第36話 T字戦法
「では、改めて作戦についてなんだが――」
どうにかこうにか誤解を解いた俺は、顔にちょっとかかってしまったアナスタシアのゲロを拭いつつ、二人に作戦についての説明を始めることにした。
あ、うっかり手に持っていた水着で拭いちゃったよ。
「おい、貴様、私の水着で拭くやつがあるか! せっかく洗濯したというのに」
吐くだけ吐いたアナスタシアは、少しだけ元気を取り戻したようだ。
「うっさい、こうなったのはお前のせいなんだが!」
「何だと? そもそも、童貞の貴様が私の水着をオカズにしようとするから……」
「おい、まだそれを言うのか? 誤解だって言ったろ! ていうか、童貞は関係ないだろうが!」
「ええい、止めんか二人とも!」
一触即発の俺たちの間に、エスタが割って入って静止した。
「揉めている場合ではない。旦那様よ、早く作戦を教えるのじゃ」
そうだった。確かに今は揉めている場合じゃない。こうしている間にも、湖賊の船がこっちに向けてぐんぐん近づいてきている。
「作戦はこうだ!」
気を取り直して、俺は手にした水着を広げて見せた。ほぼ紐と言ってもいいそれは、Tの形をしたいわゆるTバック水着というやつだ。
いやもう、本当にただの紐なんだよ、これ。改めてアナスタシアのやつ、なんていう物を着てたんだよって思う。
「その紐のような物のどこが作戦というのじゃ?」
怪訝な表情をしたエスタがさらなる説明を求めた。
アナスタシアの方は顔を赤らめて俯き、もじもじしながら恥ずかしさに耐えている。ちくしょう、こういうところはくっそ可愛い。
それはさて置き――。
「この作戦はかつて日本海海戦で、日本の連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を打ち破った、あの有名なT字戦法にヒントを得たものだ!」
俺はドヤ顔で水着をTの字に広げた。その水着から、ほんのりと酸っぱい臭いが漂ってくる。
「「日本海海戦? T字戦法??」」
二人とも同時に声を発して眉を顰めた。あぁ、そうか。この世界の住人に日本海海戦と言っても分かるわけないか。
「日本海海戦とは、日露戦争中の1905年に対馬沖で行われた戦いで――」
俺は、昔ハマってた志摩幸太郎の長編小説『崖の下の蜘蛛』の記憶をもとに、日本海海戦のくだりを二人にかいつまんで説明してやった。
「日本とロシア? 貴様はいったいどこの国の話をしているのだ?」
エスタはともかく、アナスタシアはまるでちんぷんかんぷんといった様子だ。
「どこの国かはさて置き、この海戦で世界最強を誇ったバルチック艦隊を撃滅させた作戦がT字戦法だ。まぁぶっちゃけて言うと、敵に向かって突っ込んでいって、目の前で進路を急転、敵の頭を押さえ込みながらぶちのめすって感じだな」
「ほほう、そいつは面白そうではないか。敵の頭を押さえ込めれば砲撃はされないからな」
即座に戦法の内容を理解したのか、エスタがちょっと食いついてきた。
「じゃが――」
不敵な笑みを浮かべていたエスタが急に真顔になった。
「敵の頭を押さえ込めたとして、どうやってぶちのめす? こちらには大砲もなければ、強力な攻撃魔法があるわけでもないのじゃぞ」
エスタの指摘はもっともだ。こっちには、あの湖賊に対抗できる戦力らしい戦力はない。
俺のレベルはたったの3で、剣術に多少の覚えがある程度。唯一使える魔法の『リヴァージン』も戦闘の役には立たない。
エスタはというと、神とは名ばかりのただの
アナスタシアは、レベルは10と俺よりも高いものの、各種能力の数値は低く戦闘力は皆無に等しい。いわゆるポンコツというやつだ。実際、戦いを吹っかけて返り討ちに遭い、ヤラれちゃってるくらいだからな。
だがしかし――。
「どうやってぶちのめすのかだが、今回の作戦の切り札はこいつだ」
俺は突き立てた親指をくるりとアナスタシアへ向けた。
「わ、私だと!?」
急に振られたアナスタシアが驚きの表情を浮かべる。
「こやつが切り札とはどういうことじゃ?」
エスタは眉を顰めてさらに説明を求めた。
「それはだな――」
説明をしようとしたその時、湖賊船が発した砲弾がすぐ近くに落下し、轟音と共に水しぶきが降り注いだ。
「もう詳しい説明をしている暇はない。ぶっつけ本番でいくぞ!」
俺は握りしめていた水着で顔にかかった水滴を拭った。
あ、またこれで拭いちゃったよ。そして、やっぱりまだゲロ臭い。
「だから私の水着で拭くんじゃない! っていうか早く返せ!」
頬を赤く染めたアナスタシアが、水着を奪い取ろうと掴みかかる。
俺はどうにかこうにかそれを死守したのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【あとがき】
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