第四十二話

「あいにくの天気となったが。しかし、善き夜である。皆のもの、乾杯を許す」


 皇帝が乾杯の音頭を取った。夕方ごろからにわかに雨が降り始め、晩餐会の時間には暴風雨になっていた。春の嵐である。帝都でこんなことは珍しい。旅の記憶が脳裏をよぎる。あんまり思い返したいような経験ではないが。


「両国の未来に」


 と言って、アルバさん、いやこういう席だからもう少し硬い呼び方をしよう、アクレアツム卿が杯を掲げた。毎度の説明になるが、彼は夜行性の種族なので、これは彼にとっては朝食の席である。宮中のことなので、彼の杯には何かの動物の生き血が注がれている。料理はない。彼には杯だけである。


 僕は慣れているので今更驚くようなことは特になく、晩餐会は平和裏に終わった。さて、場所を改めることになる。外交交渉の席には皇帝は臨席しないことになっていた。全権をミカが委ねられているので、講和の申し出を受けるも蹴るも、ミカの自由ということになる。


「帝国皇太子、そして西の都の総督、ミハイルです。この場における帝国の外交の全権を委ねられております。よろしくお願いいたします」


 こんな喋り方をするミカは珍しい。が、そもそもこんな席にミカが立つこと自体も珍しいのだから、当然ではあった。


私共しどもがオフィシナリス皇国特別公使、イポメア・アルバ・カロクニション・アクレアツムでございます。同じく全権を委ねられております。しかし、ミハイル殿下とはしみじみと奇縁で結ばれていることでございますね。よろしくお願いいたしますよ」


 ちなみに、僕らの早馬が帝都に着いたとき、実は皇帝の親征軍が進発を命じられる、その直前であったそうだ。軍はまだ解散してはおらず、帝都の近くに駐留している。今夜の交渉の結果いかんによっては、実際にまた戦いになる可能性だって十分にある。ミカ次第だった。


 さて、交渉が始まった。もちろん、簡単に終わるような話ではない。双方が落としどころを探っていき、そして双方が少しずつ手札を見せていき、それぞれの主張をぶつけ合う。そういう席になった。だが、基本的な前提を言えば、ミカは皇国を国家として承認すること、それ自体はやぶさかでないようだった。つまり、皇国側の要求がミカの許容する範囲に収まれば、戦争はもう終わりになるということだ。で、僕は僕で、挙手して発言させてもらった。


「アリエル島の領有権は僕にあります。この点、皇国としてはお認めいただけますでしょうか?」

「そうですな。発見者が貴女であり、そしてその領有を皇帝陛下がお認めになった以上、たとえ我が皇国の形がとられたとしても、そこを否定することは難しいでしょうな」

「……ええ」


 やはりアリエル島を軍事占領する意思は捨ててはいないようだ。アクレアツム卿はしたたかだった。


「では、こういうのはどうでしょう。領主は僕ですが、統治権だけを皇国に有償でお貸しします。年あたりの金額の方はまた別途相談するとして、その租借期間は。九十九年。そういうことで如何でしょうか?」


 僕の寿命の範囲では多分終わらなくなるが、皇国に島の開発だけさせて、九十九年経ったらその成果はすべて我が国のもの、ということである。どうだ、悪くないアイデアだろう?


「……なるほど。面白いお申し出ですね。ミハイル殿下に御異存がなければ、その形で話をお請けしたいのですが、如何でしょうか?」

「いいだろう。では、帝国は皇国に、アリエル島の九十九年租借を認めることとする」


 これで、この時点で、ある意味講和は成立したも同然だった。島ひとつの租借は認めるけどそれはそれとして西の都には軍をひっ立てて攻め込む、なんて話があるはずはない。いちおう名目としては、皇国は帝国に従属する形はとる。だが、帝国の側では皇国を独立国家として承認する。そういうことで、話は落ち着いたのであった。


「では、講和は成立だ。調印を」

「はい」


 二人が書類に判を押した。そのとき、歴史的瞬間をまるで祝福するかのように、雷鳴が轟いた。

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