第二十六話

「各員に告ぐ! 速やかに本船の現状について担当業務に関する調査を行い、船長室に出頭の上報告せよ! かかれ!」


 ミカは予想していた以上にしっかりと船長をやっていた。それはこの航海にとって好材料ではあった。で、僕は夜を待って星を視てからでないとちゃんとした報告ができないので、船長室にいて他の船員たちの報告を聞いていたのだが。


「第三倉庫の食糧が浸水し、駄目になっておりやした」

「損害の程度はどうだ?」

「ざっと全体の二割を損耗、といったところです。水の方は問題ありやせん」

「分かった」


 以上が料理長ノヴァからの報告。


「薬品の一部が、容器の損傷などで失われたわ。そんなに深刻な状況と言うほどではないけれど、いくつか、対応できない疾患が出てきた。それと、怪我人が二人。一人はリョウカで、こっちは軽傷。ピルカさんの方は足を捻挫していて、ちゃんと歩けるようになるまでには二週間くらいはかかるわね」


 以上が船医オトギリからの報告。


「帆を下ろすのが早かったから、帆とマストはほとんど無事だな。舵も大丈夫だ。錨もちゃんと回収出来た。だがな、船体構造が何ヶ所かイカれちまってる。ま、全部修理するのに、おれっち一人で三日ってところだ」


 以上が船大工ポイアスからの報告。


「帆は無事に上げ終わりました。今後の帆走に支障はないかと思われます」


 以上が水夫リョウカからの報告。ちなみに怪我というのはただのかすり傷である。


 さて、それから夜になったので、僕は星を視て天測を行った。現在位置を確認する。


「かなり……思った以上に北に流されてる。おそらく、この緯度まで来てしまうと、東の季節風はあまり吹かないと思う。つまり、十分な速度が出せなくなるから、航海期間を大幅に加算して見積り直さないといけない」


 以上が航海士二名を代表しての僕からの報告、ということになる。


「……分かった。とりあえず、進路は南西に向ける、ということでいいな」

「はい。それでお願いします」


 天測を行うには夜空が晴れていないといけなかったわけだが、夜が更けると曇り空が広がり始めた。晴れてるうちに作業を終えてあって良かった。しかし、良くないことがまた起こった。


「あれ、冷たっ。……あ。これは……」


 それは雪だった。雪が降り始めたのだ。僕は反射的に、風向きを確認した。もし、今度は吹雪交じりの暴風雪に巻き込まれてさらに北に流される事態になどなったら、多分もう我々は生きて大陸に戻ることなどできないだろうから。


 結論から言えば、風の向く先は南西、順風であった。つまり北東から風が吹いてきている、ということだ。最悪ブリザードになっても、その推力で南に戻ることができるだろう。というわけで、今回はミハイル船長は帆を畳ませなかった。しかし、結局嵐にはならず、翌日の昼頃には雪は止んだ。良かったのか悪かったのかは微妙なところだが、まあ良かったと考えるべきだろう。船の修理も完全に終わらないうちから嵐の二連発は正直、勘弁願いたい。沈没してしまえばそれで終わりなのである。


「あのさリョウカ。僕、嵐を乗り越えて、思ったことがあるんだけど」

「なんでしょうか、チユキ様」

「ミネオラとノヴァがさ、出航の前に娼館に行ってきたって話があったじゃない?」

「ああ。そうでございますね」

「僕もちゃんと、そういうことを済ませて、覚悟を決めておくべきなのかもしれないなって、思って。リョウカはどう?」

「……それはつまり、今夜にでもチユキ様がお一人で船長室に赴かれると、そういうお話でございましょうか」

「それもそうだけど。リョウカも同じようなものじゃない。選択肢は限られるけど、リョウカも同じことをするとしたら、この船の中で、誰とそうなりたいのかなって。それを聞いておこうと思ってさ」

「チユキ様」


 リョウカは過去にほとんど見たことのない硬い表情をしていた。


「申し上げてよろしいのなら、申し上げますが」


 リョウカはなんでこんなに真剣になっているのだろう。


「確かに、リョウカのお慕いしている殿方が、この船の上におられます」


 そうか。実は、アンフィスバエナのことがあるから『アリエル様です』と言われる可能性を脳裏の隅っこで少しだけ考えていたのだが、それは無かったようだ。さて、それで男たちのうちの誰であるか、ということだが。


「あたしが好きなのは、ミハイル殿下です」


 え。


「想い続けた日々の長さでは、チユキ様に遠く及ぶことはないでございましょうけども。少なくとも、リョウカのこの気持ちは、あたし自身にとっては真剣なものです。……ご理解、いただけましたでしょうか」


 僕は理解した。


 その夜。


 僕は一人で船長室に夜這いに行ったりはしなかった。そして、リョウカがそれをやったりもしなかった。僕らは同じ船室で、隣り合ったベッドで、お互いに背中を向け合ったまま、一晩眠った。

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