第二十五話

 一週間は何事もなく過ぎ去った。二十四時間体制の見張りが二十四時間体制で何事もないということを報告し続け、そして例の二人もまた二十四時間態勢でイチャイチャし続けていた。まあ、それはいい。好きにやらせておくと、ほか八人全員の合意が既に形成されている。


 異変が起こったのは、出航から八日目の夕方のことだった。空が急に曇り、夕立になった。雨が降った際に特有の帆の操作というのが色々あるので、リョウカが大忙しだった。


 それから夜を徹して雨は降り続けた。飲料水は十分にあるから、有難いことは何もない。見張りはずぶ濡れになり、他のクルーたちは湿っぽい船室で眠った。


 翌朝。雨脚は強まる一方だった。そして、恐ろしい事態がさらに重なった。風向きが変わったのである。南から強い風が吹き始めていた。船の進路がずれたのではなく風向きの方が変わったのだ、ということは僕がすぐに確認したから間違いない。


 さて、この段階で、航海経験でいえばこの船で随一、というか圧倒的なベテランであるマシュア・ソラナムが言った。


「嵐になるな、こりゃあ」


 僕らは決断を迫られた。何って、帆をどうするかである。嵐というのは危機ではあるが、ある面では好機となる場合もある。つまり、嵐の強風を推力として利用すれば、ものすごい船速を出すことができる、という話もあるにはあるのである。


 ただ、僕らは別にそんなに急いではいなかった。食糧も水もまだ十分にある。そして、厄介な問題が一つある。風が強くなりすぎ、帆や舵がコントロールを失った場合に、嵐の中では帆を降ろす作業がほとんどできないのである。マストを叩き切るか、帆布を切断して切り離すか、それくらいしか選択肢がなくなってしまう。嵐が本格化する前に帆を降ろしておけば、そういう真似をする心配はいらなくなるし、嵐を抜けたら元通りに帆を張り直すことだってできる。そういうわけで、船長ミハイルが決断し、命令を下した。


「帆をすべて下ろし、たため!」


 リョウカをはじめとする数人が作業にかかる。無事、帆は畳まれた。帆船としての推進力はほとんど失われたが、海流というものがあるので、船はじっとしてはいない。錨は下ろした。海流と風が強いために完全に船の動きを止めることはできないが、錨が下りている状態だと、それが凧の役割を果たして自然と船体が安定するのである。なぜ船体を安定させたいかというと、船が嵐に遭遇するにあたってもっとも恐れなければならない事態は転覆だからだ。そうなったら、終わりだ。全員が海の藻屑になる。


 さて、能書きとしてはこんなところだ。あとは祈るしかない。


「風力、さらに強さを増しています!」


 見張りをしているミネオラからの報告。僕はマシュア・ソラナムとともに船長室に出頭して、現下の方針についてミハイルと真面目な相談を続けている。だが、そんなことをしている間にも、嵐は激しくなるばかりだった。


「船内の水を汲み出せ!」


 ミハイルからの命令。底から浸水したわけではないが、雨水の流入がひどすぎて、バケツを使って水を汲み出すよりどうしようもない事態が訪れていた。僕も参加する。船長も自らバケツを振るっている。


 だが、そんなことをしていられる間というのはまだましなうちであった、というのがやがて分かり始めた。かつて経験したことのない、信じられないような暴風雨がラウラ号を飲み込んだ。水たまりの上に浮かべられて棒で突かれた木の葉のように船体が揺れる。転覆の恐怖が頭をもたげ、そして、凶悪な船酔いが全員を襲った。さすがに、このレベルになると、耐えられなくなる者が多かった。マシュア・ソラナムくらいだ、まったく平気な顔をしているのは。甲板に出て海に向かって、なんてことをやっていられる状況ではまったくなくなっており、みんな船内のそのへんにゲーゲー吐いた。それを気にしていられるような状況でもなかった。ゆっくりと眠ることもできない状態が三日三晩も続いた。


 そして、ようやく僕らは嵐を抜けた。嵐が止んだというより、抜けたのである。ミハイルの航海日誌を確認すると、最初に雨が降り出してから嵐を抜けるまで、一週間近い日数が経過していた。

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