第二十七話

 我々の食事の内容は少し寂しくなった。美味しいことは美味しいのだが、今朝は各員パンを三切れと薄めのスープだけである。食糧が多少減り、そして予定航海日数が延びたのだからやむを得ない措置ではあったが。


 それにしても、水の量に問題がないのは幸いだった。ラウラ号に風呂はないが、今の水の配給量なら、毎日濡らした布で身を清めるくらいのことは一応可能である。ちなみに最低でも毎日クルー各員に洗面器一杯分くらいの水を配ることは絶対に必要で、水の供給量がこのラインを割り込むと病気などの発生率が一気に高まることが航海士の世界の常識として知られている。


「ねぇリョウカ。あんな女たらしの何がいいの?」


 と僕は聞いてみた。返答は冷ややかだった。


「その答えはあたしではなく、ご自分の胸に聞かれた方がはっきりとお分かりになるのではありませんか、チユキ様」


 喧嘩をしているわけでも対立しているわけでもないが、何というか、冷戦状態である。


「リョウカは……もうミカに告白したの?」

「いいえ。チユキ様のお許しなく、それをするつもりはあたしにはありません。お許しになりますか?」

「うっ」


 正直、かなり悩む。


「……しばらく考えさせて」

「分かりました。仰せのままに」


 さて、色恋のことばかり考えている場合でもないのである。進路の修正はなんとかなって、僕らの船は再び西へと進路を向けた。それから、また一週間くらいして。


 何か、ものすごく嫌な振動が、夜中に船内に響いた。


 扉を叩き開けるすごい音がした。僕の部屋の扉ではない。誰かが自分の部屋の扉を開けて外に出た音だ。僕もリョウカを連れて外に出る。


「暗礁だ! 衝突したぞ!」


 と、叫んだのはマシュア・ソラナムだった。そのとき見張り番をしていたのはノヴァだった。彼はコックである。暗礁の位置を予期して船長や操舵手に伝える能力など、持っているはずもなかった。


 続いて、ポイアスが看板に飛び出してきた。


「暗礁はどっち側だ!」

「進路方向、左手です!」

「分かった! すぐ損傷を調べてくる! 男どもは何人か来い! 人手がいるかもしれん!」


 僕は恐怖に震えながら、それから十数分あまりの時間を過ごした。暗礁に激突した時点で船底に致命的な損傷を受けていたとすれば、このまま沈没するだけだ。いちおう脱出用のボートは積んであるが、こんな外海のど真ん中でボートに乗り移っても、死ぬまでの苦しみが少し伸びるという以上の意味はない。だが、結局沈没はしなかった。損害ゼロ、というわけにもいなかったが。


「第四、第五倉庫、大破! 食糧が流された! だが、侵水の方は食い止めた! それは心配しないでくれ!」


 ポイアスがそう報告し、そしてノヴァが残っている食糧の状況を調べた。損耗率、七割。普通に消費していけば、あと二週間くらいですべての食糧が底をつく。ラウラ号の現在位置から僕が予測しているユーメリカ諸島の最も近い陸地まで、完全に順風に恵まれたという想定をしたとして、あと一ヶ月。


 というわけで、状況はかなり厳しくなった。毎朝のパンは各員一切れとなった。何故かアーモンドの粉が大量に残っていたので、ノヴァはそれを練って色を付けて、肉料理や魚料理などに見せかけたものを作った。食事の席に彩りと笑顔をもたらす効果はあった。だが、肝心の摂取カロリーの不足という問題それ自体はどうにもならなかった。


 風は今のところ順風だが、どこまで季節風の吹くエリアが続いているのかは定かではないし、そもそも東風の季節はそろそろ終わりが近づいてもいた。もう少し早く出航しておくべきだったかもしれない、などと今さら益体もないことを考える。


「リョウカ」

「なんでしょうか、チユキ様」

「もし。陸地が見つかる前に、また雨が降り始めたら。そのときは、二人で船長室に行って、僕たちの気持ちをあいつに打ち明けよう。二人、一緒に。同時に。それでいい?」

「はい。もちろんでございます。チユキ様、ありがとうございます……たかだか、奴隷であるに過ぎないあたしなんかのことを、まるで対等の恋仇であるみたいに扱ってくださるなんて。リョウカは……リョウカは嬉しいです……。ううっ。うっうっ」

「泣かないで。そんなことでまで」

「は、はい。ずびっ」


 だが結局。そうする事態は訪れなかった。雨は降りださず、そして食糧が底をつく限界ぎりぎりのタイミングで、僕らの視界に、陸地が見えた。そう広い島ではなさそうだったが、鳥と、そして鹿のような動物の姿が見えた。つまり、食料の調達が可能な規模の島に辿り着いた、ということだ。座標を考えれば、ここはもうユーメリカ諸島の一部であるはずだ。つまり。天は僕たちとラウラ号を見捨ててはいなかったのだ。


 航海開始から数えて四十と七日目。僕たちは、ついに新天地へと辿り着いた。

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