第五章
第十五話
「母様。この際だからはっきりと申し上げますが。僕は史局員にはなりません。冒険家になります。そうして生きていきますし、既にそうして生きています」
「アリエル」
ある夜、家族でテーブルを囲む晩餐の席で、僕はそう宣言した。食事は済ませた後だったので、僕は席を蹴って自室に立った。
「アリエル!」
母の怒鳴り声が背中に響いたが、僕は無視した。
ラウラ号の建造にはぶじ国家予算が付き、冒険航海の事業はどうやら軌道に乗りそうな塩梅だった。皇帝が中立を保っているからなし崩し的にそうなっているだけとはいえ、表立って反対意見を表明している有力者は、もはや僕の母一人という状況になっている。
ところで、母は僕を史局員にしたいと思っていたわけで、そのためには当然幼い頃からの猛勉強が必要であるわけで、僕には家庭教師が大勢いた。うち一人は母自身である。が、今は外部の家庭教師は全員断っており、唯一残っている母との勉強時間も、僕は全部ブッチしていた。おかげで母イリスと僕との関係は日に日に険悪になっていっている。なんでも、僕なら史上最年少での入局の記録(現在は母が、18歳という記録を持っている)を塗り替えられるかもしれないということなのだが、僕はそんなことに興味はなかった。何度も言うようだが、僕の夢はこの大陸の外に出ることであって、この大陸の歴史を研究することではない。
「チユキ様……」
リョウカが心配そうな顔をしている。さっきの今、僕の部屋である。
「リョウカ。そろそろ君の食事の時間だよ。行っていいよ」
自分の家の中でまで24時間態勢で護衛をしてもらう必要は別にない。奴隷にも食事時間とか自由時間とかいうものはある。
「いえ。今はここに居させていただきます」
「……そう」
「チユキ様。あたしの母の話をさせてもらってもよろしいですか?」
「八歳のときに亡くなった、んだっけ」
奴隷を買うと商人が身上書というものを書いて寄越すので、生い立ちとかそういうものはそこに記されていた。リョウカは戦災孤児である。どういう戦争の戦災かというと、僭称皇帝ガレガ・オフィシナリスというやつがいてだな、十年位前に帝国に対する反乱を起こしたのである。数ヶ月で鎮圧されて僭帝ガレガは公開処刑になったのではあるが、それにしてもけっこう大きな戦争ではあった。僕もぎりぎり物心はついていたから、いちおう覚えてはいる。リョウカの近い血縁者はその戦争に際してリョウカ自身を除いた全員が命を落とし、そしてリョウカは奴隷の身になった。
「あたしの母も、何しろオーガ族ですから、苛烈な女でした。優しかった、というような記憶はろくに残ってはいません」
ふむ。僕の母以上だろうな。僕の母は厳しいときは厳しいが、優しいときは優しい。そして、甘ったるいときはやたらと甘ったるくなる。それは主に亭主の前においてであるが、それにしても、厳しさ比率は五割くらいである。
「そんな母ですが、たった一度だけ、あたしに申したことがありました。親子の絆というものは死んでも切れることがないものである。もしも子が親に逆らって己の道を行くというのなら、それはそれでよいが、その時は親を屍とし、それを踏み越えてから己の道をゆかなければならない、親から道を逸らし、親のいないところを進んで行ってはいけない、と」
「オーガ族の親子関係って本当にシビアだね」
「ですからチユキ様。チユキ様が、母君様にお逆らいになること自体を、あたしはお止めはいたしません。それはチユキ様の人生がかかった問題なのですから。……ただ。そのためには、はっきりと、お母上様と対決して、その上で自分の道を決するべきだと思うのです。そうでなければ、きっと将来に禍根を残してしまいます。……これは申し上げるべきではないかもしれませんが……はっきり言ってしまえば、船出したが最後、戻ってこれるとは限らない旅路でもあるのですし」
「……そうだね。ありがとう、リョウカ。正直に言えば母様の態度に少しカッカしてたんだけど、ちょっと頭が冷えたよ」
こういうのを『女奴隷のお説教』って言うんだろうな。僕は初めてだ。自分の奴隷を持つようになって、そんなすぐにお説教をされるというのは普通のことではないけれど、聞くところによれば母がルービィ叔母様からかつて一回だけお説教を受けたのも、割と付き合い始めの頃であったらしい。
「では、リョウカはごはんを食べてまいります。正直言いますと、ペコペコです。それでは」
リョウカは部屋から出て行った。そして、それと入れ違いになるように部屋に入ってきたのは、我が家の当主。イリス・レティクラタ・シルヴェストリス。つまり、母だった。
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