第十四話

 とりあえず色々とひと段落ついたので、風呂でも浴びることにした。シルヴェストリス邸には大浴場がある。時間帯によって、男子と女子とか、家の人間と使用人とか、いろいろ分けられていて今は女使用人の時間なのだが、僕がいま入りにいっても怒られるということはない。向こうが遠慮してしまうから普段は気を遣うけど、たまにはいいだろう。というわけで、リョウカも連れて行く。


「おやチユキ様。こんな時間にお珍しい」


 と、言うのはアンフィスバエナである。別の若い女奴隷にタオルで身体を洗わせている。僕もリョウカにそうさせている。奴隷頭というものは奴隷ではあるが偉いのである。しかしそれにしても、アンフィスが侍らせている女は僕でもちょっと目を引くくらいに可愛らしかった。そう言えば、と僕は思う。アンフィスは女が好きな女なんだっけ。この子もそういうあれかな。そういえば、知ってるからこう思うだけかもしれないけど、この子はエルフだが少しクリスタータ殿下と面影が重なるところがある。ということは、その血縁者である僕とも似たところがある、ということでもある。年も僕と同じくらいだなあ。……ちょっと変なことを考えそうになったが、それは忘れよう。


『アンフィスバエナ様は、男性の方にはまったくご興味はないのですか?』


 と、浴槽の中に浮かびながら質問をぶつけたのはリョウカである。古代竜人語を使っている。僕とアンフィスとリョウカは分かるが、アンフィスが連れているエルフの子にはこの言葉は分からないようだ。まあ、当たり前だが。


『まったく、というと、そこまでないこともない。基本的には恋愛対象は女だけどね』

『というと。その。リョウカは気になるのですが、男性とは、その、あっちの方のご経験は?』


 なんてことを聞くんだ。相手はこの家のお偉い奴隷頭だぞ。後で僕から𠮟っとこ。


『一人だけ、ある』


 奴隷頭アンフィスバエナは割と正直にぶっちゃけた。


『ええっ!? マジで!? どんな人だったの!?』


 僕も思わず食いついてしまった。


『いー男だったよー。だったっていうか、今もいい男だけどね。みんなもよく知ってるように』


 えっ。僕らの共通の知人なのか。僕だけならまだしもリョウカも含めて、となると、そんなに選択肢はない。


『誰だと思いやす?』

『うーん。……法務大臣閣下、ですとか?』


 リョウカが微妙なところを攻めた。


『ぶー。違います』


 流れ的に義務のような気がするので、僕も一つ名前を挙げてみる。


『タツキ・クロノ?』


 まあ、思いつく名前がなかったから、冗談で言ってるだけだが。結婚してからも、浮気どころか女奴隷に色目の一つすら使わない父だし。


『それも違います。というか、わっちにはオジ様を愛でる趣味はありません』


 というともっと若い男か。思い当たる線が特にない。


『誰なの? ここまでじらしたんだから、教えてくれるってことだよね?』


 と言うと、アンフィスは悪戯っぽく笑った。


『皇帝陛下です』

『皇帝って、どの?』


 ミカの祖父にあたる人物、つまり先代の皇帝はだいぶ前に死んでいるが、いちおうそう言ってみた。


『皇帝は皇帝ですよ。今上陛下のことに決まっているでしょう』


 だいぶびっくりした。いや、あの皇帝の行状は(若い頃に比べればだいぶ落ち着いたとはいえ)有名なので誰に手を出していても不思議ではないといえば不思議ではないのだが、アンフィスとクリスタータ殿下の関係と、そしてクリスタータ殿下の嫉妬深さを考えると意外な話だった。


『クリスタータ様はそれを知っているの? 知られたとして、怒られないの?』

『クリスタータ様のご命令で、わっちはあの皇帝と寝ていたのですよ。何回くらいだったかな。子供はできなかったでございますけどね』

『ええ? どういう事情で?』

『それはですね……』


 話を聞かせてもらった。なんでも、クリスタータ殿下は陛下を独り占めしたかったのだが、結婚前には身体を許してはいなかった。だが皇帝に自分と同じ一人寝を要求するわけにはいかないので、自分を求めてきた夜などに時たま、自分の身代わりにアンフィスバエナを同禽させていたのだという。


『お嫌ではなかったのですか?』

『いや、別に。もっかい言うけど、けっこういい男だし、それに優しかったしね。いい経験だった。いい思い出です、わっちにとっては』


 ひ、人に歴史あり、だなぁ。僕はそう思った。それともう一つ。例の、『或る女奴隷の忠誠』の元ネタの事件のとき、なぜああまで手間をかけて皇帝がアンフィスバエナの命を庇ったのかということはこの国の歴史の謎の一つとされているのだが、そうか、そういう事情だったんだなぁ。情を交わした女を身体を張ってまで守るとか、皇帝も人の子ですね。

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