第十一話

 隠遁を開始して四日目、寝室にあったポムの実が尽きて二日目。さすがに空腹に耐

えかねたわたしが鍵を開けると、すぐ外にルービィが立っていた。


「レティ様」

「あ、あの」

「四十秒お待ちください。すぐに食事の支度をいたします」

「うん」


 ルービィがおかゆを運んでくる。温かかった。


「……おいしい」


 ルービィは無言で微笑んでいる。


「ごちそうさま」

「はい」


 ルービィは台所に食器を下げ、戻ってくる。


「さて、ではお話をいたしましょうか」


 笑顔なのだが、有無を言わさぬ迫力があった。


『うまぴょいしたんですか?』

『その語彙はわたしにも分からない』

『ウコチャヌプコロとも言います』

『それも分からない』

「と、言うのはケルピー流の冗談で」

「はい……」


 わたしはかつて母以外の女性からこれほどのプレッシャーを感じた経験がない。


「なんて言ってフラれたんです?」


 すごい直球きた。


「振られたわけじゃないもん。ただ」

「ただ?」

「あのひとね」

「あのひと」

「故郷に……奥さんと、今年七歳になる娘さんがいるんだって……」

「僭越を申し上げるようですがそういうのをフラれたと言います」

「うう」

「クロノ様はあれ以来ずっと下で寝起きされています。お店も忙しいようですし」

「そう……」

「そしてこれも大変僭越かとは思ったのですが一つだけ、わたくしからクロノ様にお伝えしておきました」

「なにを?」

「この国で貴族の女性をファーストネームで呼んでいいのは家族か恋人だけであり、また貴族の女性の側から男性にそれを求めるのは求愛を意味する、ということをです」

「事情があったの……」

「一回や二回だけならそういうこともあるでしょうが、自分の奴隷の前でそれを放置するのは、貴族の女性がなさっていいことではありません。言うまでもありませんね?」

「はい……」


 ぐうの音も出ない。


「ここに来た最初の日、クロノ様がレティ様をお名前でお呼びになられるのを聞いて、わたくしはおふたりが内縁の御夫婦か、世を忍ぶ恋人同士か、いずれにせよそういったご関係なのだろうと推察いたしました。でも、そうではなかった」

「そうね」

「クロノ様がいったい何処の何者なのか、ということはわたくしにはいまだに分かりませんけれども……」

「うん」

「ここへ来てどれだけ日が浅いと言えど……あたしはレティ様の奴隷なんです。どうか、そのことを忘れるようなことだけは、もう金輪際なさらないでください」

「……ごめんなさい」

「お説教は以上です」


 ……この国に、対を為す二つの格言がある。「女主人は女奴隷を甘やかしてはならない」。そして「女奴隷は女主人を甘やかしてはならない」。もちろんこの二つの文章は似ているようでいてそれぞれまったく違う意味内容を持つのだが、それが、つまり、こういうことなのだった。血を分けた娘であるから知ってるが、母は過去に三回女奴隷のお説教を受けている。


「ここからは女子トークです」

「女子トーク」

「レティ様、そんなんで諦めちゃうんですか?」

「そんなんって貴女ね」

「あたしの最初の恋人は既婚者でしたが」

「パーン君が?」

「いえ。ボーイフレンドと恋人は別々にカウントが進みます」

「そ、そう」


 この子があの値段で市場に立たされていた理由。わたしが知っているものが全てで

はないと思ってはいたが、あと幾つくらい残っているのだろうか。わたしがその全てを知ることは、永遠にないことは間違いないけれど。


「それとですね……こういうことを貴族の御嬢様にお教えするのは奴隷の世界ではほとんどタブーではあるんですけど、レティ様があんまりにもおぼこいので、特別サービスで一つだけ教えて差し上げます」

「ぶつわよ」

「女奴隷を性的な目で見ない男には二種類しかない。遠くの女に操立ててる奴とホモ」

「うわあ」


 奴隷の世界には奴隷の世界のこうしたカルチャーがあるのだろうということは経験知のレベルでは全く知られていないわけではないが、史局にさえこうしたことを研究する学者はいない。学者より風刺詩人の方が詳しい。


 それから三日後。提出しないといけない報告書があったので久々に史局に顔を出したわたしを見て、局長が言った。


「あら。少し女が増したわね」

「母さん」

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