第十二話

 あの日の事を思い出す。自分のベッドに寝そべったまま、わたしは無言であのひとの袖を小さく摘まんだ。そうしたら身を翻されて、あのひとはこう言った。


。俺には娘がいるんだ。君に似た美しい金色の髪をしていて、もうじき七歳の誕生日を迎える」


 あのタイミングで、あのひとはわたしをイリスではなくレティと呼んだ。多分……ルービィに教えられるまでもなく、気付いていたし、見抜いていたのだ。何もかも。


「レティ様。クロノ様がお戻りになられましたよ」


 わたしの心臓が早鐘を打つ。あれから五日が経つが、あれ以来顔を合わせるのは初めてだった。どうしよう。わたしにはこんな感情は初めてだった。


「レティ様?」


 それでもどうにか覚悟を決めて、わたしは玄関の前に出る。


「玄野……さん」


 目が合う。わたしは心臓が爆発しそうだったが、言った。


「わたしを……もう一度、イリスと呼んでくれませんか」


 かれは目を逸らし、わたしの横を通り抜けながら言った。


「すまない。それはできない」


 そう言われるだろうことを、わたしは知っていたと思うのだが、それでもなお目の前が真っ暗になるのを感じる。少しして、寝室にいるわたしのところにルービィがやってきた。


「よく言えましたね」

「るー、びぃ」

「えらかったですよ。がんばりました。もういいんですよ。お泣きなさい。こういうときは好きなだけ泣いてもいいんです」

「ふぇぇ……」


 その後。


 クロノはうちから出て行ったりはしなかった。お互いの言葉を教え合うことも再開された。毎朝、朝食を共にして、あのひとが仕事に出かけるのをわたしは見送る。ただ、クロノは以後、二度とルービィがいないときにわたしの寝室に入ってくることはなかった。


「ルービィ。わたしも仕事に行ってくるわ」

「はい。行ってらっしゃいませ、レティ様」

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