第九話

 窯の工事は無事終わり、クロノの店の開店はいよいよ明日に迫っていた。今日は前祝いというか、関係者や近所の人などを招いて小規模なパーティーが開かれていた。かれの社会ではこういうのをレセプションと称するらしい。われわれの文化や商習慣とは異なるのだが、まあやってはいけないという道理もない。


 ルービィが忙しそうに皿を運んだり、フェリクスのところから来た新入りに指示を飛ばしたりしている。フェリクス本人の姿もあった。菓子屋のお披露目のためのパーティーだから、もちろん並べられているのは菓子である。タルト・タタンもあったし、その隣に二つ並んでいるのは……えーと、確かこれはアップルパイというやつ。エルフ語のプレートが添えられている。左が「ヨークシャー風チーズアップルパイ」で、右が「洋酒のアップルパイ」とある。クロノの字だった。教えているのはわたしであるが、よく短期間でここまで上達したものだと思う。左の方を自分の皿に取る。


 ……? おいしいけど、妙だな。チーズの味はしないな。


 ……


「おや? 御嬢様、どうかされましたか?」

「やー、フェリクス。だからおじょーさまはやめてってのら。イリスはもーこどもじゃないのよ」

「! ルービィさん! こちらへ!」

「はいっ! どうされましたフェリクス様? ってあれ、レティ様、お顔が真っ赤」

「うにゃー」

「誰かレティクラタ様にお酒を飲ませましたか?」

「え、まさかそんな……ってあれ。もしかして、プレート逆だった……?」

「あなた、文字は?」

「読めません」

「レティクラタ様は極度の下戸です。そのことは」

「いま初めて知りました」

「あなたはすぐにクロノさんをここへ。まさかとは思いますが、使われた酒の量によってはお命に関わる」

「は、はいっ」

「どなたか! ここにお医者様はいらっしゃいませんか!」


 ざわ ざわ


「拙老、いちおう医師の資格も持っておりますが、どうされましたかな」

「あれ、きょーじゅじゃないですかー。いらしてたんですか」

「アルコール不耐症です。幼少期に判明し、当時の侍医に飲酒を厳禁されています」

「成程。ではレティクラタ殿、少々お脈を拝借」

「ふにゃ」


 ……


「横にならせて当面は安静にさせて、正気に戻ったら真水を多めにお与えなさい。そのアルコール量なら子供でも死ぬことはありません」

「良かった、レティ様……申し訳ありません……」

「泣いている場合ではありませんよ。レティクラタ様をお運びしなければ」

「あたし一人では無理です。どなたか――」


「俺が連れていく。俺の責任だ」


「くろの? ……ひゃっ」


 ざわ ざわ


「うわお。リアルお姫様抱っこ。初めて見た。いーなぁ」

「……泣いている場合でないとは言いましたが、すぐにけろりとするのも如何なものですか。五十年この世界にいるが、君のような肝の太い奴隷を見るのは初めてだよ」

「はい」


 ……


「イリス」

「んにゃー」

「着いたぞ。大丈夫か? 水を持ってこようか」

「ううん……いい……でも」

「どうした」

「もうちょっと……ここにいて……」

「……ん」


 ……


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