第六話

 ついその場のノリでカッコつけてコイン投げなどしてみたはものの、奴隷をひとり買うというのは露店の店先で果実を購うのとはわけの違う取引行為である。あのあと書類だけで何枚書かされたことか、奴隷商人には購入者の自宅を直接訪れてそこに本当に居住しているかどうか確認する法的義務が課せられていたりもするし、全部片付けて奴隷商人を玄関先から帰した頃には午をだいぶ過ぎていた。おなかすいた。


 くそう、これだから奴隷なんか持つのは嫌だったのだ。まあ、ふつうの貴族はそんな面倒くさいことはそもそも家の奴隷頭とかあるいは専門の法務奴隷に全部委任して済ませるものであって、一人も奴隷を持たないで貴族をやっていたわたしの方が悪いといえば悪いのだが。


 さて、戸を閉めて振り向くと、ここは本当に今朝のこの場所と同じ場所だろうか? という光景が広がっていた。部屋は掃き清められ、床に座卓が置かれ、座卓の上に何やら美しげな料理が載っていて、クロノがそれを切り分けている。


 ケルピー娘、名前はルービィと言うのだが、にはもちろん道すがらクロノのことを話してあった。この国の言葉や風習をほとんど知らない遠来の客人で、わたしが身元を預かっており、身分は自由市民である、と。すべてを説明しているわけではないが嘘は言ってない。一つ屋根の下で暮らす自分の奴隷を相手に嘘をついてはいけない、何故なら後で絶対にボロが出るから、というのはこの国の市民と貴族が持つ最低限の常識の一つだった。


「クロノ、これはルービィ。ルービィ、御挨拶を」

「ルービィと申します。レティ様にお仕えしております。今後よろしくお願いいたしますっ」


 これでクロノに対するルービィの紹介は済んだことになる。主人であるわたしがこの手続きを踏んでおかないと、奴隷身分のルービィは自由市民身分にあるクロノに自分から話しかけることすらできないのだった。貴族だからといって年がら年中ただ威張っていればいいなんてことは全然なく、奴隷の所有者には所有者なりの、色々な義務やら慣習やらがあるのである。だからわたしには面倒だったのだという話でもあるが。


「さて、せっかくのもてなしだ。食事にしよう。ルービィ、お前も一緒に」


 と言うと、その顔がぱあっと輝いた。ふつう貴族は奴隷と食卓をともにしないし、わたしも実家ではそうだったが、アパルトメントで一緒に暮らしているという場合には主人と奴隷が同じ食卓を囲むのはふつうのことである。じゃあアパルトメントで暮らす貴族の場合はどうかというと、そもそもふつう貴族はアパルトメントに暮らさない。


「……!」


 素晴らしい味だった。パン菓子に近い何かであり、ポムの実と穀物の粉、乳製品と……あと菓子であるからにはもちろん糖蜜。わたしに分かるのはそれくらいだ。そもそも食文化は専門じゃないし、またわたしのような生き物でも時には学者根性を忘れたくなる時というのがあって、今はまさにそれだった。美味しいものは美味しいと感じられればそれで十分だろう。うっとり。


 そして貴族のわたしでもこうなのだから、寒村出身のルービィがこれをどう感じたかということは察して余りある。感極まっているらしく、いまにも瞳から涙がこぼれそうで、身体ごとぷるぷると震えていた。

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