第二章

第五話

 わたしはクロノをアパルトメントに残し、ひとり奴隷市場を訪れていた。局長に言われたからではない、現実問題としてわたしがクロノの世話をするわけにいかなければ、またかれにわたしの世話をさせるというわけにもいかないのである。つまり使用人が要る。使用人とはこれ即ち奴隷のことだ。主人が皇帝だというのでもない限りは、他に選択肢はない。


 話の流れからして職場に請求書を回せば公費が下りそうではあるが、それをやるとわたしの発言権があとあと減少するのでわたしが払う。さて。


「これはこれは、レティクラタ様。本日はどのような」


 ひとりの奴隷商人が揉み手で近寄ってきた。わたしは別にそこらへんの一般人に名前を知られているほどの有名人でも大貴族でもないが、こいつがなんでわたしの名前を知ってるかってこの間の騒ぎのときに見た顔だった。同じ市場に来たのだから当然ではあった。帝都の奴隷市場はここだけではないが、何しろここが一番大きい。


「使用人が要る。オールワークスがいい」


 オールワークスとは、ひとりで家事全般何でもこなすことのできる使用人のこと。だから価値があるのかというとそういうものではなく、むしろ一人しか奴隷を持つことのできない一般庶民向けの存在であってふつう貴族が買うものではないのだが、二人も三人も奴隷を連れて帰ったら今度は引っ越しからしなければならなくなるしそれは面倒だから嫌だ。ぎりぎりの妥協ラインである。


「それでしたらこちらはいかがでしょうか、ちょうど昨日入荷したばかりの健康な――」


 商人のありきたりな売り文句を聴き流しつつてきとうな相槌を打ちながらざっと眺めて歩いていると、エルフがいた。別に珍しいことではないのだが、視線が合う前に向こうに目を逸らされた。まあ、どんな種族も奴隷にならないということはないのだが、それで思うこともまた人それぞれである。知り合いでもあるまいしそっとしておく。


 別に誰がどんな奴隷を持とうとそれは勝手といえば勝手なのだが、常識とか、肌感覚とかいうものはある。例えば、わたしと同じエルフの若い女で、女のドワーフの奴隷を身近に置いて使っているという例をわたしは知らない。わたしもそんな真似はしたくない。オールワークス向きで、またエルフの主人にも向く種族というと、まずすぐ浮かぶのは獣人かなあ。


 と。竜人が売られていた。わたしの足が一瞬止まり、もちろん商人はすぐそれに気付く。来歴やら健康状態やらを説明される。一般論を言えば奴隷商人の言うことのだいたい半分くらいは嘘なのだが、それはこの際どうでもいい。わたしの目に狂いはない、本物の竜人なのは間違いなかった。また、わたしでもこう言わざるを得ないのだがそれは美しい娘だった。竜人は高貴な種族だ。それを侍らせて歩けば自慢になるし、前から欲しいと思って探していた。値札に示されている値段はもちろん高いが、わたしなら買えないということはない。だが、なぜだろう、いまは買う気になれなかった。わたしは再び歩みを進める。


 と、今度は逆にやたら値段が安いのがいた。ケルピーだ。馬の耳と尻尾を持った獣人。獣人の中では希少だが、あまり流通していないから珍しいというだけで特に人気があるわけではない。そして確かにやせっぽちで男受けもしそうにない娘だが、しかしそれにしても付けられた値は安すぎだった。気になったので聞いてみた。


「ああ、あれですか……」

「前科でもあるのか?」


 逃亡の前歴があるとか、或いは盗癖持ちだとか、そういうのは一気に値段が落ちる。いくら安くてもわたしは買わないが。


「そうではないんですが」

「なんだ、歯切れが悪いな」

「これは隠してもすぐ分かってしまうことなので正直に申し上げますが」

「うん」

「明るくて前向きで元気いっぱいなんです」

「えっ」


 市場で売りに出されてる奴隷が? それは……控えめに言っても常軌を逸していた。


「正直厄介払いしたいのですが、どこも引き取り手がありませんで」

「だろうね」


 いまは所有者であっても奴隷を殺すことは国法で禁じられている。奴隷の食費はぜんぶ所有者に拠出の義務があり、そして食費をゼロにしたら死んでしまうわけで、つまり価値を生み出さない奴隷というのはタダでも引き取り手が無い、ババ抜きのババみたいなものだ。最低でも自分の食費分くらいは客が付くあてがなければ、娼館の娼婦にだってなれない。


「エルフ語以外の言葉は?」

「ケルピー種の固有言語だけです」

「お前はその言葉が分かるか?」

「無理でございます」


 まあそりゃそうだろう。苦労してまで覚えても商売に繋がらないだろうし。しかしわたしにはそれが好都合だった。わたしはケルピー語で娘に話しかけた。


『聞いていたろう。今のは本当か?』

『うん、本当だよ。村を出てから、あたしたちの言葉が分かるひと、お姉さんが初めて』

『お姉さんではない』


 そこでエルフ語に切り替える。


「これからはレティ様と呼ぶように」


 わたしは奴隷商人に銀貨を一枚放った。

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