第二話

 史局で預かると言いはしたが、とりあえず連れてきたのはわたしのアパルトメントである。なぜって近くだから。四階建て集合住宅の二階、日当たりのいい東南角部屋、上下水道完備。まあそれでも正直爵位持ちのエルフが暮らすような場所ではないのだが、自宅なぞ寝に帰ってくるだけだし、自分の奴隷を持たず帝都に家族もないわたしにとってはこれで十分だった。


「とりあえず、ここに坐れ」


 雑多に積み重ねられた書物やら、捨ててないゴミやらを適当に蹴とばして床に空間を作り、そこを示す。男はおとなしく従う。


「我々が今居るのは此処だ。分かるか?」


 大陸全土を記した地図を見せ、帝都の場所を示す。男の表情が険しくなった。首を横に振る。まあ、そうだろうとは思っていたので、次に何も描かれていない紙と、ペンとインク壺を見せる。こちらの意図は伝わったらしく、男は何かを描き始めた。


「これは……」


 海と、いくつかの大きな陸地と小さな陸地らしきもの。大陸と島なのだろうが、まったく見たことのない形だ。そして男は、その図の一点を示した。四つの島からなる諸島の、その一部であると思われる。男はそこに文字らしきものを書き足した。読めないが、二文字でこういう形だ。


『日本』

 

 そこで男は懐に手を入れ、何やら小さな紙片を取り出した。何者かの肖像が配された精巧極まりない図柄に、鋭利な直線と直角で構成される切断面。恐ろしく高度な加工技術の産物だということが分かる。男が指で示す先に、やはりわたしには読むことのできない複雑な形状の文字が並んでいる。


『日本国銀行券 壱万円』


 最初の二文字は男が書いたものと一致する。それが島の名かそれとも国号か分からないが、ともかく男はここから来た、ということだろう。


「どうやらわたしの手には負えそうもないな。教授と相談するか」


 この大陸の外側、海の向こうがどうなっているかはほとんど知られていない。史局でも、それを研究しているのは皆から教授とだけ呼ばれている一人の老学者くらいなものだった。


 と。


 男の視線が、籠の上に載せられているポムの実に注がれていた。


「喰いたいのか?」


 一つ取って手渡してやったが、そうではないようだった。男はペンの軸を使って、その赤くて丸い果実の表面を削り始める。


「え……?」


 はじめは何をやっているのか分からなかったが、男が削り出しているのはさっき紙に描いたのと同じ形の地図だった。球体の上に描かれる以上、東西が一つに繋がる。完成を待つまでもなく、その意味がわたしには分かる。つまり、この男のもといた世界の大地は球形に閉じていて、我々の暮らすこの大陸とは空間的に連続していないのだ。


「天の導きか、魔の働きか……これは思った以上にとんでもない拾い物をしてしまったようね」


 わたしは氏族学者としての知識を総動員して考える。異界……いや異世界と言うべきか、ともかく未知の世界からの来訪者に関する諸部族に伝わる伝承。荒唐無稽な古いおとぎ話の類がほとんどではあるが、いくつか念頭に浮かぶものはないでもない。わたしは巻物を入れている壺をひっかきまわして、使えそうな資料を探す。


「うーん。これは違う……これでもない……」


 わたしは書物を片手に、地図が彫られたのとは別のポムの実をがりりと齧る。だいぶ前に買ったやつだからか、スカスカしててまずかった。

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