第8話 そんなに近くていいのかよ?

「付き合わせちゃってごめんね」


 鳴の代わりにレジを守る波未が申し訳なさそうな表情で言う。


 勝手に環流の予定を決めてしまったとでも思っているのだろうか。

 特にやることもなく、暇を持て余している環流にとっては謝られるようなことではないし、なんなら街を案内してもらえてありがたい限りであるというのに。


 それに、嫌だったらとっくにどこかをふらついている。


「謝ることじゃないだろ。それに外は暑かったから丁度よかった。……まあ涼むにしては冷え過ぎてるけどな」

「だよね……」


 思うことは同じなのか、同意の意味が込められているような笑みを浮かべた波未は、「まってて」と立ち上がり店の奥へと消えていった。


 波未はこのアイス屋でバイトをしていると言っていたので、店のあれこれについては把握しているのだろう。


 消えたほうから戻ってきた波未が手にしていたのは、薄布のブランケットだった。


「これどうぞ」


 そう言って、持ってきた藍染めのそれを手渡す波未。

 環流は一応受け取りはするが、


「お前はいいのか?」

「あたしは慣れてるから。一枚しかないし、使って?」

「でもなあ……」

「だいじょぶだから」


 そうは言うものの、流石に慣れているからといって寒く感じているのは波未も同じはずだ。

 半袖のセーラー服から伸びる華奢な腕を、何度かさすっていたのも確認済みである。


 だというのに、女性を差し置いて手に持つこのブランケットを使わせてもらうというのは気が引けてしまう。

 ここは女性である波未に返して、男である自分が我慢するべきだと環流のどこかに潜む紳士な部分がそう告げていた。


 ──……くしゅんっ。


 静かに落ち着いていて、かつ可愛げもあるそのくしゃみを聞いてしまえば、やはり返すしかなかった。


「本当に大丈夫なのかよ」


 環流は言いながら、受け取り拒否されないようにとちょっと強みにブランケットを押し付ける。

 流石に言い逃れできないと悟ったのか、抵抗することなく受け取ってくれた波未は、


「お恥ずかしいところを……」


 なんて顔を赤らめた。


 木造の家の一部を売り場に変えてあるこの店は、部屋と部屋の境目がぱっと見で分かるようになっていて、ちょうどレジ裏が畳の部屋につながっている。


 レジ裏から畳の部屋に上がるのに二段の段差があり、そこに波未はブランケットを持って座った。

 どうやらそこが店番をするときの定位置らしい。


 すると波未は、座っている隣のスペースをとんとんとたたきだす。


「環流も」


 その動作が指し示すに、続く言葉はこっちにきて、とかだろうか。


 まあ確かに店の中で突っ立っているのもおかしな話なので、波未の隣まで行き、腰を下ろした。


「えい」

「ちょ、お前……」

「これなら文句ないでしょ?」


 波未は環流の膝にも掛かるようにブランケットを広げたのだ。

 確かにこれなら文句は……というか、もとより文句を言っているつもりはなかったのだが。


 しかし問題はある。


 少し間隔を空けて座ったのに、二人分の膝を覆うにはブランケットの幅が足りないせいか環流の左腕と波未の右腕が触れてしまうくらいに寄ってきたのだ。

 これはあまりにも距離が近すぎやしないだろうか。


 波未の甘い匂いに鼻腔がくすぐられ、理性を保つのに必死である。


「……いいのかよ」

「なにが?」

「こんなに近くて」

「なんで? こうしないと二人で入れないよ」


 どうやら環流の心境は伝わりそうにない。


 これはちょくちょく感じていたことだが、波未は魔性の女なのではないだろうか。


 今、この状況が証拠になる。

 傍から見ればカップルだと思われてもおかしくない。

 街ですれ違った、「波未ねえのかれし?」と聞いてきた子供が急に店の扉を開け、やってきたとしたら「やっぱりかれしだったんだ」などと叫ばれそうなものだ。


 だからと言って何かあるわけではなく、おそらく素で男心をくすぐってきているのでちょっと落ち着かないというだけなのだが。


 ふと近くにある横顔を見てみると、距離感のせいかすぐに気付いた波未は小さく、優しく微笑んでくれる。


(一体、どのくらいの男がこの笑顔にやられたんだろうな……)






 客は未だに一人も来ず、しばらく静寂に包まれていた店内だったが、なにやら二階から人が下りてくるような気配がした。


「珍しい」

「店の人か?」

「そんなとこ」


 階段はちょうど店になってる部屋からつながっていて、その人が下りてくるなら環流と波未の二人と鉢合わせることになる。

 この密着した状況を見知らぬ人に見られるのはまずい気がしたが、階段を下ってくる速度が思ったよりも早く、移動する間もなく出会ってしまった。


 ──上裸の男に。


「……んあ?」

「おはよ」


 寝起きなのか、あくびをしながら降りてきた男に波未は朝の挨拶を送った。時刻はもう午後三時だが。


「なんや波未か。鳴はどうした?」

「響子さんのとこ」

「……もうそんな時間か」


 寝ぐせが気になるのだろうか、上裸の男はボサボサの茶髪を雑に搔きながら、店の物であろう冷蔵庫から一本の炭酸飲料を取り出し、ためらいもなく飲み始める。


「勝手に店のものを……」

「別にいいじゃねえか。どうせ客なんざ来やしねえんだから」

「そういう問題じゃないのに」

「それよか、波未。その隣の男は誰や……ってえ!」


 上裸の男は環流のことを聞こうとすると、何かに気づいたように目を見開いた。


 一体何事かと思う環流。上裸の男はずいずいと近寄ってきたのだ。


「お前これどうしたんや! 言うてみ!」


 物凄い剣幕で、レジの置かれている机から乗り出し問いただしてくる。

 だが、環流には何にそんな目くじらを立てているのか分からなかった。


「これって言われてもな……」

「どう考えてもお前が着てる超絶ウルトラプレミアム四字熟語Tシャツのことやろが!」

「……は?」


(超絶ウルトラプレミアム四字熟語Tシャツってなんだ?)


 上裸の男の視線は環流の胸元に向けられていた。

 環流も確かめるように下を見てみる。


 書かれていたのは「虎視眈々」の四文字。


 そういえば波未はこのTシャツを変態から貰ったと言っていた。

 加えて目の前には上裸の変態。


 環流はピンときた。


「あんたがこのシャツくれた人か。ありがとな。デザインはともかく意外と着心地はいいぞ」

「ありがとな、じゃねーよ! お前、自分がどんだけの大罪を犯したか分かって言うとんのか!?」


 全くもって分からなかった。

 この男は善意でシャツを譲ってくれたのではないのか?


 これは波未に直接確かめるしかない。


「おい波未、どういうことか分かるか?」


 だが、シャツの運搬者であるはずの波未は、


「……さ、さあ?」


 その顔には思い切り焦りが混じっていた。


 ──ガラガラっと店の扉が開く音がする。


「ただいまー。って、起きたのか変態」


 響子さんという人のもとに出かけていた銀髪ボブカットの少女、鳴が帰ってきた。

 店の冷気が逃げないようにとすぐさま扉を閉めると鳴は、なぜだかスカートを脱ぎ始める。


 この少女は男の目というものを気にしないのだろうか。

 と、思ったが隣の波未も男と密接しても気にならないようなのでこの島ではこれが普通なのかもしれない。それはそれでめまいがするが。


「鳴~、聞いてくれよ。こいつやったんだよ。俺の超絶ウルトラプレミアム四字熟語Tシャツをパクリやがったのは!」


 上裸の男は怒っていたのも束の間、鳴が現れると泣くつくようにその小柄に飛びついた。


 しかし──、


(……パクった?)


 なんだか聞いた話と違う気がする。


 一回りも大きな男に抱きつかれ、鬱陶しそうにする鳴は、


「帰って早々やかましい。どうでもいいだろ、超絶ダサ過ぎゴミ同然需要無しTシャツのことなんか。どうせ服着ないのに」

「そんなこと言わんといてや! 大事な大事なコレクションやったのに! 兄ちゃん泣くで!?」


 凄い言われようだった。

 確かにダサいとは思うが、着心地はなかなかに良かったのだ。だからちょっと気に入りつつあったのだが、罵倒に罵倒を重ねられてしまってはやっぱり着たくないかもとかいう負の気持ちになってくる。


 といっても、着るものはこれしかないのだが。


「──というか、そもそもその男に譲ったの、鳴だし」


「え?」 

「は?」


 鳴によるその言葉は、この場に居合わせた男二名に衝撃を走らせた。

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