第7話 銀色の少女が釣れた

 蒼いシュシュで纏められた胡桃染のポニーテールがそよ風に揺らされている。

 たまに大きく揺れる尻尾のようなそれは、奥に隠されている艶々としたうなじをちらりと見せた。


 その艶美さに思わず息を呑ませるようなうなじの持ち主である波未のすぐ斜め後ろを、環流は歩いていた。

 辺りはいけどもいけども緑に囲まれたまま。


 借りたサンダルは少し大きめで、ちょっと歩きずらい。

 足の裏の怪我については、やはり薬の効き目が抜群だったようで思ったよりも早く治ってしまった。


 サイズが合わないせいか、思うように足を進めない環流だが、波未の歩幅も広くないので結果ちょうどいい感じに足並みを揃えている。


「なあ、どこ行くんだ?」


 あまりにも景色が変わり映えしない道をしばらく進んでいたので、しびれを切らして尋ねてみる。

 波未からは「ちょっと外いこ」と言われて出てきただけだったので、環流は行き先を知らないのだ。


「行けば分かるよ」


 振り返ることなく、一言そう答える波未。

 それは答えにはなってないのではないか、と言いたくもなるが行けば分かるならいいやと口を開くのをやめた。



 それから数分歩けば、続く緑も終わりが見えてきた。

 結構な距離を歩いたので、環流のふくらはぎは僅かに悲鳴を上げている。


「ついたよ」


 ようやく目的地に着いたらしく、波未は立ち止まって言った。


「これは……」


 環流の視界に広がったのは、栄えているとまではいかないながらも確かに人が行き交う街だった。

 島の自然は残しつつ、いろいろな店が並んでいる。


 和気あいあいと話を弾ませるおばあさんたちの姿や、無邪気に走り回って母親に叱られている子供たちの姿なんかも目に映る。


 記憶を失った環流が目覚めてから初めて見る街の風景は、とても和やかな島の雰囲気を一身に伝えてくれた。

 それは思わず、「いいな」と口から漏らしてしまうほど。


「だよね」


 環流の呟きを聞き取ったのか、優しい微笑みを浮かべながら波未は頷いた。


「今日は環流に島を案内しようと思ってね」

「そういうことだったのか」

「そういうこと。しばらく島で過ごすでしょ?」

「ああ」


 記憶のない環流には帰る場所などない。だったら、波未の言う通り島で過ごすしか選択肢はなかった。


 それにこの島で目覚めたのは、偶然だったのか必然だったのか知る由もないが何かの理由があるかもしれない。そんな気がするのだ。


 だからその理由を知るためにもこの島で過ごそうと決めた。波未にプレゼントのお返しもしなけらばならないというのもある。


「じゃあ環流も島の人だね」


 目を細めて笑う波未。この島がこんなにも胸の鼓動を早くさせるような笑顔を生んだのだとすれば、ある意味でそれは罪だと思う。



 しばらく島の街を探索する。

 確かに自然が残された景観ではあるのだが、流石に波未の家のように緑に囲まれているというわけではないので暑さはある。


 島の人々はみな仲が良いのか、それとも波未の人柄がそうさせるのかは分からないが、波未は人とすれ違うたびに声をかけられていた。

 ただまあ、波未が話している様子を見るとどちらも正解な気がする。


 一方で見かけない顔というのがこの島ではあまりないのか、島の人々は環流を見ると物珍しそうな表情を浮かべた。


 若い女性からは「あら、どちらから?」とか、小さな子供からは「おまえ、波未ねえのかれしか!?」などと様々な声をかけられる。


 しかし困ったことに、どちらからと言われても記憶がないので答えようがないし、彼氏かなどと問われても世話かけているだけの身なのでどう答えたものかと迷ってしまう。


 けれども困惑の色が滲み出てしまっていたのか、「えーっと、いや……」などと言い淀んでいると、全てを察してくれたかのように救世主の波未が環流の記憶のことには触れず、当たり障りのないよう代わりに答えてくれた。


 正直助かったと安堵するのと同時に、こんなにも自分は人と接するのが下手だったのかとちょっと落ち込んでしまう。


 そんな環流の胸中を悟ったのか、波未は慰め顔で、


「島のみんなは誰にでもフレンドリーだからね。気後れしちゃうのも無理ないよ」


 慰められてしまっては余計にみじめだ、とは言えずこんなはずじゃないのにとボソッと波未には聞こえないように呟いた。




 新鮮が売りの魚屋や、波未がプレゼントしてくれたステテコが売られていたという服屋など一通り街を案内してもらった後、最後に二人が訪れたのは『氷菓<雪見>』という看板が屋根に掲げられた店だった。


 島の建物はほとんど木造らしく、この店も例外ではなかった。

 街の中心とは少し離れた位置にあるせいか、あまり賑わっていないようだ。


 氷菓と書かれていることからアイスクリームが売られているのだとは思うが、アイスが好きそうな子供の姿すら見当たらないのは、中心部にもアイスクリーム専門店があるからだろうか。


「ここ、あたしのバイト先なの」


 波未はそういうと、反応を伺うことなくがらがらっと店の扉を開けて入っていくので、環流もついていく。

 店の中に踏み込むと、冷房のせいかキンキンとした冷気が襲ってきた。環流は大きな気温の変化に思わず「さむっ」と口にしてしまう。


「いらっさーい。アイス屋だからねー、寒いのは我慢してねー」


 どうやら誰かに聞かれてしまったようだ。文句ではないので許して欲しい。

 愛嬌のある声に乗せられたぶっきらぼうな挨拶が飛んできたのは奥にあるレジの方。

 しかし、レジの方に目を向けても見えるのは同じ机の上に置かれた赤いベレー帽だけで声の持ち主は見当たらなかった。


 店内を見渡しても、色んな種類のアイスが冷凍ショーケースにしまわれているだけである。


「鳴、来たよ」


 人影は見当たらないというのに、構わず人の名を呼びかける波未。

 一体何が見えているというのか。


 波未は誰もいないと思われるレジの方へと歩いていくので、訝し気に思いながらも環流も後を追う。


 すると、レジが置かれた机の横からぴょんぴょんと跳ねる銀色の何かが見えた。

 なんだかその様をやかましく思った環流は、飛び出る銀色を掴んでみると、


「おい、なんか釣れたぞ」


 ──釣り上がったのは、一人の女の子だった。


 推定年齢はおよそ十歳。


 上から順に観ると、広がる銀世界の一部を切り取ったかのような白銀で形成された長めのショートボブ。

 ジトっと冷ややかな視線を向けてくる碧眼に、小さくて綺麗な造形の顔。


 苦虫を噛み潰したような表情じゃなければ、さぞかし素直に美しくて可愛らしくもあると思えただろう。


 そして雑に扱ってしまえば簡単に壊れてしまいそうな、波未と同じセーラー服(上だけ)に包まれた体。


(下はどうしたんだ、下は)


 肩から伸びる白い肌の腕の先では、なぜだか拳が握られていた。


「波未、こいつ殴っていいよね」


 呆れた様子で波未は、


「死なない程度ならご自由に」

「おい」

「じゃー遠慮なくーっ!」


 ──ゴツンッッ!


「いてええええええ!」


 頭が割れそうだった。比喩ではなく物理的に。

 細くて脆そうな体のどこからそんな力が出てくるのか不思議でたまらない。


「何すんだよ……」

「そーれーはー、鳴のセリフだと思うんですがー?」


 女の子の銀色のぴょんと跳ねていた癖毛を離すと、宙ぶらりんになっていた足が重力によってストンと地に着いた。

 以前としてジト目の女の子は、波未と比べて十センチほど背が低いためか環流のことを見上げながら不満げに睨みつける。


「環流、自業自得」

「……悪かった」


 (解せん。癖毛が気になっただけだというのに)


 波未は鳴と呼ばれていた少女の雪原のような頭をよしよしと撫でる。が、少女の手ですぐさま払われ、


「撫でるな」


 ……一蹴されていた。


「それで波未、この失礼な男は例のやつってことでいいのか?」


 どうやら少女にとっての環流の第一印象は、失礼な男で決定してしまったらしい。

 しかし、例のやつというのはどういうことなのだろうか。環流は少女と初対面だが。


 すると、波未が甘い香りを感じられるほど環流の傍に近寄ってきて、そっと耳打ちをした。


「(同い年の親戚ってことになってるから。よろしくね)」


 なるほど理解した。大方、あらかじめ環流の存在が知らされていたということだろう。

 だから銀髪の少女は例のやつという呼び方をしたのだ。


 そういえば街ですれ違った人に環流が何者か尋ねられたとき、波未が親戚だと紹介してくれていたのを思い出す。


「親戚の灰原 環流だ。さっきはごめんな」

「……雪見ゆきみ めい。まあ今回は波未が店番してくれることに免じて許してやる」


 鳴は自己紹介をしてくれると、「次はないがな」という言葉とともにようやくジト目をやめてくれた。

 小柄な容姿ながら、若干吊り上がった目はちょっと大人っぽく見える。


「ところで、見た目の割には大人びたような感じがするけど、いくつなんだ?」

「……いっぺん死ね」

「ぐはっ……!」


 鳩尾に本当にどこから湧いているのか分からないほどの重みがある拳を入れられてしまった。


(なんで!?)


 環流は努めて優しく聞いたつもりだった。

 だから何が悪かったのか皆目見当もつかない。


「鳴はお前らと同い年だ!」

「……まじか」

「まじだ」


 せっかく許してもらえたというのに、またしても冷ややかな目をされてしまう環流。

 どうやら鳴の地雷を踏んでしまったようだ。


 ロリっ子とか思ってごめんと心の中で謝罪すると同時に、口から出なくてよかったと九死に一生を得たような安堵をする。


「……ったく。波未、店番頼んだぞ」

「うん。任せて」


 鳴は店のものと思われる鍵を渡し、レジ裏に雑に捨てられていたスカートを拾って履く。

 パンツが見えそうだったが、同い年だと判明したものの犯罪者だと思われたくはないので目を反らす環流。


「どこか行くのか?」

「ん? ああ、ちょっと野暮用でな」


 環流の問いにそう答えると鳴は、机に置かれている赤いベレー帽を癖毛を隠すように被って店から出ていった。

 まだ一歩しか外に出ていないというのに、「暑いー、溶けるー」などと嘆き、ぐでーと背を丸めながら。


「ちょっと素直じゃないけど、いい子だからすぐ仲良くなれると思うよ」

「……本当か?」


 ちょっとどころではないと思うのは気のせいか。


 鳴のことを知っているのはもちろん波未の方なので、その波未が言うことが正しいのだとは思うが、初対面の感じだとどうにも疑ってしまった。

 環流が失礼なことをしたのが、大きな原因ではあるのだが……。


 しかしそれは、環流が気になっていたあることに比べれば細かなことだった。


(軽かった……よな?)


 鳴の体重、質量のことである。

 癖毛を掴んで持ち上げた際、人のことを持ち上げているような感覚はなかったのだ。

 小柄な体躯のせい、というのはもちろんあるのだろうがそれでも些か軽く感じてこうして違和感として残るくらいの軽さだった。


 まるで、中身が空っぽであるかのように。

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