第4話 選択を間違ったかもしれない、洗濯だけに
「ちょっと行ってくるね」
一夜明け、また太陽があらゆるものを照らすほどの高さまで昇った時間のこと、波未はセーラー服に身を包んで家を飛び出していった。
一言何か声をかけようかと思ったが、時はすでに遅く、波未の姿はもう見えなかった。
未だにこの家にいるのは、波未が泊めてくれたからである。
行き場のない身とはいえ、出会ったばかりの少女の家で夜を過ごしてしまったわけだが、決してやましいことなどはしていない。
しっかりと、「しつこいよ」と言われるくらい本当に男を泊めていいのかと問い詰めたくらいだ。
それでも波未は、気にしないし襲われたら通報するだけだからと、やはり生活感のない部屋を貸してくれた。
目が覚めてから初めての夜は、知らぬ間にいろんな疲れが溜まっていたのか、開いた窓から吹く島の夜風の心地よさも相まって気持ちよく眠れた。
「しかし、暇だな……」
本来なら、島の中心部にでも出向いて失った記憶を探したり、人様に迷惑をかけないよう自立する手段を見つけたりするべきなのだろうが、色々世話を焼いてくれて部屋まで貸してくれた家主に礼も言わず出ていくなどという無礼を働くわけにもいかないので、このまま波未の帰りを待つしかなかった。
昨日、昼食をとった畳の部屋にふと足を運んでみると、円形のテーブルの上に折られた一切れの紙が風に飛ばされないようにボールペンを抑えに置かれていた。
「なんだ……?」
波未の置手紙だろうか、とボールペンをどかし紙を手に取り開いてみる。
そこに書かれていたのは、
『気が向いたら、適当に家事とかしてくれると嬉しいな。なんてね』
という、暇を見越したかのような要望だった。
しかし、あくまで客人扱いなのか、波未の気づかいが読み取れる置手紙でもあった。
別に気が向いたらとかでなくとも、泊めてもらった身なのだから頼まれたことはやるのになと思う環流。
紙を元に戻し、何から取り掛かろうかと周りを見渡してみる。
普段からまめに掃除をしているのか、埃が被っていたりゴミが落ちていたりするような場所はない。もとより、物が少ないので散らかりようがないというのもあるのだろうけど。
台所を覗いてみても、既に使われた食器は洗われていて、こちらも特にやることはなさそうである。
頼まれたのはいいものの、やることなどあるのかと疑心暗鬼になる環流は続いて脱衣所に向かった。
すると目に入ったのは、古ぼけたまでとは言わないがやや年季のある家に置かれているのは違和感のある、新しめのドラム式の洗濯機が震えているところだった。
脱衣所に入るのは二度目なので、この洗濯機を目にするのも二度目なのだがやはり家の雰囲気にはそぐわないような気がする。
最近まで使っていた洗濯機が壊れて、買い替えたばっかりとかなのだろうか。
丁度いいタイミングだったのか、ピロピロピロという電子音が洗濯し終わったことを伝えてくれる。
(洗濯物でも干しとくか)
ついにやることを見つけた環流は、洗濯物を入れる籠を準備して洗濯機の扉を開けた。
中の衣類を取り出そうと手で掴みだしたとき、あることに気づく。
というか、なぜ手で掴むまで気づかなかったのか。
「これ下着じゃねえか……」
昨日見た、とても年頃の少女のものとは思えない苺柄の下着を手にしながら環流は悩んだ。
せっかく見つけた頼まれごとの家事だが、果たして女性の衣類を広げ、太陽に晒すという行為をただの彷徨い人である男の環流が行ってしまっていいのだろうか。
見立てが正しければ、大多数の女性がノーというに違いない。波未のような年であれば特に。
とはいうものの、女性が嫌うのは下着などを見られることなのであって、もう既に手に取ってしまっているこの状況はもう手遅れかもしれないという考えもよぎった。
「ま、いいか」
これが欲情をそそるようなランジェリーとかだったりしたらまた話は変わってくるのだろうが、幸い全くもってそんな気にはさせない下着だったので、ここまできたらやり切ってしまおうという決断に至った。
怒られるかもしれないが、そのときのことは……。そのときのことはまたあとで考えることにしよう。
洗濯物を全て籠に入れ、近くにあった数本のハンガーとともに畳の部屋まで運んで戸を開けた。
開けた戸の外には洗濯物を干すときに使っていると思われるサンダルがあったので、それを履いて外に出る。
環流は淡々と日差しを浴びながら、波未の衣服をハンガーに通して物干し竿にかけていく。
改めて思えば、とんでもなく恥ずかしい行為なのではと波未に対して後ろめたい気持ちになる。
ものの数分で自分の決断に後悔する環流。やはり見て見ぬふりをすればよかったかもしれない。
少し外に出ただけなのだが、日差しのせいかそれとも羞恥心からか顔を赤く染めた環流は洗濯籠を元に戻し、他に残っていそうな家事を探してみる。
しかし、家中を歩いてみても特にやれそうなことは見当たらなかった。
あまりに生活感がなかったのだ。
思えば、この家に入れてもらったとき、波未は今は誰もいないと言っていた。
だが、昨日から現在にかけて波未の家族らしき人が帰ってきた様子はなかった。
まだ判断するには早いかもしれないが、もしかしたら両親はあまり家に帰ってこれる仕事ではないのかもしれない。
今くつろいでいる畳の部屋には座布団が三枚あることから、大方母親と父親、そして波未の三人家族なのだろうという予想が出来る。
そういうことなら、この広い家に波未が一人なのも、生活感があまりないのも納得がいった。
生活感がないといっても、波未の部屋以外を見ての感想だったからだ。
波未の部屋では、しっかりと生活の跡が見られると思う。女性の部屋を覗くわけにはいかないのであくまで憶測だが。
勝手に他人の家庭事情について思索してしまった環流は、足の裏に貼ってあったリント布が剥がれかけているのに気付いた。
テープは粘着力を失ってしまっていたので、一旦剥がして傷の治り具合を確認してみる。
「おお、結構治ってる」
波未が使ってくれた薬のおかげか、あと二日くらい放っておけば元通りになりそうだった。
手当してくれた波未には感謝しかない。
せっかくいい手当をしてくれたので、悪化させてしまっては申し訳がたたないと思った環流は、自分で波未が貼ってくれたリント布を貼りなおすことにした。
「確かこの棚だったはず」
昨日、波未が道具を片付けていたと思われる棚の上から二段目に手をかける。
勝手に開けることになるが、事情を話せば気にしないだろう。
ががっと、取っ手を引く。
しかし、中は空で波未が使っていた応急道具は見当たらなかった。
「あれ、もう一個下だったか?」
見間違えていたかもしれないと思って元に戻そうとしたとき、隅のほうに一枚の長方形の紙が挟まっているのが見えた。
気になって、手に取ってみる。
「写真か?」
表が見えるようにひっくり返すと、環流は戦慄した。
「なんだよこれ……」
映っていたのはピースをする一人のワンピースを着た幼い少女。幼少期の波未だろうか。藍色の瞳や、蒼いシュシュに結ばれたポニーテールと似通っている部分が多い。
だが驚いたのはそこではない。
波未の周辺に映る黒いモヤのようなものである。
写真のほとんどがこのモヤで隠されてしまって、波未以外の情報が読み取れない。
若干の隙間から、そこが青い景色であることと、波未の隣に人がいることはかろうじて分かるが、どんな場所なのか、隣の人がどんな顔なのかはまるで分らなかった。
この黒いモヤは見た感じだと、上から油性ペンで塗りつぶしたわけでもなさそうで、撮影した時かもしくは現像したときに映ったのだろうか。
それにしても、言葉が悪いかもしれないが薄気味悪いと感じてしまった。
波未はこの写真のことを知っているのだろうか。
どちらにせよ、今この写真を環流が手にしているのを波未に見つかるのはなんとなくまずい気がした。
しかし、
「──環流」
「え?」
いつの間に帰宅していたのか、波未が廊下から顔を覗かせていた。
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