第2話


「……実は私、ライナルト様が背中の傷を負う場面を見たことがあるのです」

「……それは、怖い思いをさせたな」


 ふるふると首を横に振る。確かに驚いたし、血を流しながら戦う姿は恐ろしかった。……ライナルト様が死んじゃうんじゃないかって。彼は自分の命よりも殿下の命を優先する。わかっている、それが護衛の仕事だもの。


「……護衛の仕事だとわかっています。ただ、あなたを心配する人も居るのだと、知って欲しくて……。いつか、お伝えできれば良いなと思っておりました」

「……見守ってくれていたのか」

「私に出来ることなんて限られていますから」


 苦笑を浮かべてそういうと、ライナルト様は意外そうに私を見た。ただ見守るだけなんて、誰にでも出来ることだけど……。


「……もしや、騎士団に傷薬を差し入れたのは……」

「すみません、私です……」


 ライナルト様が怪我をした時に、騎士団にこっそり差し入れしていたのだ。男爵令嬢の私が唯一出来ることをやっていた……つもりなのだけれど、ライナルト様は小さく笑った。……レアだ! ライナルト様の笑顔!


「ずっと疑問だったんだ。俺が怪我をした時や寝込んだ時に薬が差し出されるのが」


 街でライナルト様の噂を聞いた時に、毎回差し入れしたから……。


「そうか、君だったのか。ありがとう」

「……あの、こう言ってはなんですが、使われたのですか……?」


 ライナルト様はこくりとうなずいた。


「差し出されていたのはクラウノヴィッツの薬だったからな。あそこの薬は品質が良いから、よく効くんだ」


 お父様! うちの薬は品質が良いと評価されました!


「そういえば名前を聞いていなかった。名は?」

「レオノーレ・テレーゼ・クラウノヴィッツと申します」

「ああ、クラウノヴィッツ男爵令嬢だったのか」


 そしてうちの爵位まで知っていらっしゃる!


「クラウノヴィッツの薬は騎士団でもよく使っているからな。いつも助かっている」

「い、いいえっ、そんなっ! 役立っているのならなによりです!」


 柔らかい口調を聞いて、私の胸がドキドキと高鳴る。低めの声が耳に届いて、なんだか落ち着かない。

 それにしても騎士団で使われていたとは……。


「騎士団では怪我が絶えないからな。薬を使い比べていたんだ。その中で、クラウノヴィッツの薬が一番よく効いた」

「そうだったんですね……!」


 うちがどうして潰れないのか謎だったけど、騎士団からの注文を受けていたからか……。とは言え、そんなに数は出来ないのがネックではあるのだけど……。

 ……ライナルト様の喋り方って、あまり怖くない。優しい声色だし、どうしてみんなにあんなに恐れられているのかが不思議だわ。


「……レオノーレ嬢」

「は、はいっ」

「俺のことを心配してくれてありがとう」


 きゅん、と胸が締め付けられそう。私の知らないライナルト様の表情が……私に向けられている。

 そのことにどうしようもなくときめいてしまう。

 私、本当にライナルト様のことが好きなのね……と改めて思った。


「あ、あの、ライナルト様っ」

「なんだ?」


 私はライナルト様に身体を向けて、胸元で手を組んで彼のことをじっと見つめてから声を出す。言え、言うんだ私! お友達になってくださいって!


「わ、わ、私の……、お、お、お……っ」

「?」

「夫になってくださいっ!」


 ……、……、……、こ、言葉を間違えたぁ……! お友達になってください、がどうして夫になってくださいになったの私! 願望がだだ洩れている! 恥ずかしくて顔を両手で隠すと、ぷっと吹き出す声が聞こえた。

 恐る恐る彼に視線を向けると、ライナルト様はくつくつと肩を震わせて笑っていた。うう、笑われている……。


「すまない、あまりにも意外な言葉だったから。俺に対して求婚して来た令嬢は、君が初めてだ」

「申し訳ございません、つい願望が……」

「……不思議な人だな、君は」


 目元を細めて私を見るライナルト様。勢いあまって夫になってください、なんて口にしてしまったけれど、ライナルト様に意中の方が居たらどうしよう……! 物凄く迷惑なことをしているわよね、私!

 私があたふたとしていると、それに気付いたライナルト様が首を傾げた。


「どうした?」

「いえ、あの、えっと。……わ、私の想いは重くありませんか……?」

「……正直にいえば、女性に好意を寄せられたことがないからわからない」


 ライナルト様はそこで困ったように眉を下げた。……ライナルト様の浮いた話なんて聞いたことがなかったけれど……、まさか本当に一度も女性から好意を寄せられたことがない!?


「……俺は、生まれつきこの顔なので、どちらかといえば疎まれていることが多く……」

「そんな……とても凛々しくて格好良いのに……」

「……そう言うのは君だけだ」


 軽く肩をすくめてそう言うライナルト様に、私は首を傾げた。私にとってはライナルト様が一番格好良く見えるのだけれど……。そりゃあ、最初にお会いした時は怖そうな方だと思ったりもした。殿下の護衛中だから、余計にそう見えたのかもしれない。

 だけど、彼はただ怖いだけではない。


「……そんなわけで、結婚相手を探そうにも逃げられるばかりで、諦めていたのだが……」

「ら、ライナルト様っ?」


 すっと私の前に跪いて、私の手を取って手の甲に唇を落す。


「こんな俺でも良いというのなら、喜んで君の夫になろう」

「――っ、え、あ、あの……!? ほ、本当に私なんかで良いんですかっ、私、身分相当低いですよ!?」


 慌ててそういうと、ライナルト様はくすりと笑った。……ああ、こんなに柔らかい表情を見られるなんて……! ってそうじゃないっ!


「――で、一体いつまで覗いているつもりですか、殿下たち」

「えっ!?」


 バルコニーの扉が開いて、殿下とナターリエ様がにやにやと目元を細めて入って来た。え、えええっ、もしかしてずっと見られていたの!?


「ごめんなさいね、つい気になっちゃって……」


 ナターリエ様が扇子を広げて口元を隠しながら私に近付いて来た。


「……いや、まさか本当にライナルトを見ていたとは……。ナターリエ、これがライナルトに春が来たというやつか?」

「ええ、殿下。ライナルトが女性の手にキスを落とすところなんて、初めて見ましたわ」


 ……は、初めて!? だ、だってライナルト様は殿下の護衛だから、女性と知り合うことだって多かったろうに……!


「硬派なんですね……!」


 私の言葉を聞いて、三人は顔を見合わせて――……、ナターリエ様と殿下は思わずというように肩を震わせ、ライナルト様はバツが悪そうに顔を逸らした。

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