第44話
電車の窓から見える桜の木々に、より彼女への想いを募らせる。
右手にはスーツケースを持って、肩にはスクールバッグを掛けたまま。
中には卒業証書と、大学の合格通知。
卒業式を終えた愛来は、制服姿のままで彼女の元へ駆け出したのだ。
胸元には卒業生の証であるブローチ。
一度荷物を取りに行った足で、そのままエマの家へ向かっていた。
『次はー〇〇駅ー、〇〇駅…』
目的駅を告げるアナウンスを聞いて、大荷物を抱えたまま電車を降りる。
期待で胸は膨れ上がって、気を抜けば笑みを零れさせてしまいそうだった。
あの日エマの家を出た日から、一度も使っていないルームキーを使ってエレベーターに乗り込む。
あれから一度もここには来ていない。
戻ってしまえば、寂しさで勉強に集中できないと思ったからずっと我慢をしていたのだ。
スーツケースを転がしながら、彼女の部屋の前で足を止める。
鍵を使わずに、あえてインターホンをゆっくりと押した。
すぐに中から鍵を開ける音がして、扉が開く。
「おかえりなさい」
両手を広げて出迎えてくれるエマの姿に、ジワジワと涙が込み上げる。
そっと彼女の胸に飛び込めば、優しく抱きしめてくれた。
「……ただいま」
触れるだけのキスをして、至近距離で会話を続ける。
本当は今すぐにでも、もう一度唇を重ねたい衝動を必死に抑えていた。
「…大学合格と、高校の卒業、おめでとう」
「ありがとう。もう、子供じゃないでしょ?」
遠回しに誘って見せれば、そっと頭を撫でられる。
「セーラー服着てる間はまだかな」
「脱いでくる…」
お揃いの香水の匂いを感じながら、名残惜しさを覚えながら離れる。
部屋に上がる前に、愛来はまた子供のようなことを口走っていた。
「……セフレ連れ込んでないよね」
「まだそんなこと言ってるの」
「エッチなビデオは?見てる?」
呆れたようにため息を吐かれるが、エマの表情に怒りの色は滲んでいない。
困ったように、愛来の弱い耳を指でくすぐってきた。
「解約したし、セフレだって連れ込んでない。愛来以外可愛いと思わないって」
「私だってエマ以外の女の子何とも思わないし…っ」
軽く耳に口付けられて、ドキドキと胸が早く鳴り始める。
両親にはエマの家から通った方が大学に近いと話しているため、これからようやく一緒にいられる。
制服を脱ぎ捨てて、一つ大人になって。
好きな人の隣で堂々としていられる権利を得たのだ。
同棲初日の夜は、卒業祝いを込めてエマと共に高級中華料理店へやって来ていた。
コースメニューを予約していたため、チャーハンや麻婆豆腐など店員によって次々と料理が運ばれてくる。
特に一番美味しかったのは小籠包で、愛来もエマも大満足で帰路についていた。
時刻は夜の10時頃。
再びエマと暮らす家に戻ってきて、愛来はそわそわと落ち着かずにいた。
「……先風呂入る?」
「う、うん…」
下着とルームウェアを洗面所まで持って行ってから、服を脱いで風呂場に入る。
当然、考えるのは邪な考えだ。
いつもより念入りにトリートメントを髪に揉み込んでから、体は隅々まで丁寧に洗う。
「きょ、今日するのかな…」
あれだけお預けを食らったのだから、同棲初日に体を絡ませあったとしても何ら不思議ではない。
今までずっと、最も快感を感じる部分には触って貰えなかったのだ。
風呂から上がれば、血色が良く見えるように薄づきの色付きリップを塗っていた。
色素沈着を考えると風呂上がりに塗るのは良くないと分かっているが、少しでも可愛いと思ってもらいたい。
下着はつい先日購入したばかりのものだ。
「エマってどんな下着が好きなんだろ…」
淡いピンク色の小花柄の下着。
上下セットで可愛いと思って購入したものだが、完全に愛来の趣味だ。
以前、エマは紫色の下着を身に付けていたため、もしかしたら子供っぽいデザインより大人でセクシーに見える下着の方が好みかもしれない。
こんなことなら聞いておけば良かったと後悔しながら、洗面所を出る。
「上がったよ…」
「じゃあ私も入ってくる」
ドライヤーで念入りに髪を乾かしてから、お風呂上がりでペシャンコになった前髪をコテで巻く。
クルンとしたカールが上手に作れて、色付きリップのおかげですっぴんよりはマシなはずだ。
「あれ…?」
ベッドルームへ行けば、ベッドが新調されていることに気づいた。
最初はベットカバーだけが変わっているのかと思ったが、やはり大きさ自体違う。
「前より大きい…?」
2人で眠るなら広々として良いかもしれないが、内心前のままで良かったと思ってしまう。
あまり広すぎると、エマとくっついて寝られないのではないかと考えてしまったのだ。
ベッドに腰を掛けて、体育座りをする。
ドキドキしながら待っていれば、ベッドルームの扉がガチャリと開いた。
「さっぱりした。久しぶりに湯船浸かったかも」
緊張をしている愛来とは対照的に、エマはいつも通りカラッとした笑みを浮かべている。
こちらの気持ちなんてお構いなしに、躊躇なく愛来の隣に腰を掛けた。
「明日、食器とか買いに行こうか」
「う、うん…」
「シャンプーとかは?私が使ってるの嫌だったら新しいのでも…」
「エマと同じ香りがするから一緒のが良い」
そっとエマの肩にもたれ掛かりながら甘えた言葉を溢せば、優しくベッドに押し倒される。
やはり今日体を絡ませ合うのだと、更に緊張から胸が高鳴っていた。
彼女の唇がこちらに近づいてきて、ギュッと目を瞑る。
しかしふわりと柔らかい感触が触れたのは、唇ではなく額だった。
「寝ようか」
驚きで言葉を失うこちらなんてお構いなしに、エマがリモコンで部屋の明かりを消してしまう。
真っ暗な室内でベッドに横たわっていても、当然エマの方から手を出してはくれなかった。
あれだけ可愛がってくれると約束したのに。
わざわざ新しい下着を新調して、前髪だってお風呂あがりにコテで巻き直した。
愛来以外興味ないと言っていたくせに、どうして手を出してくれないのか。
唇を尖らせながら、エマに背を向けて目を閉じる。
高校を卒業したといっても愛来はまだ子供で、拗ねるように唇を尖らせてしまっていた。
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