第33話
頬に触れた冷たさに、咄嗟に身をすくませる。
家に帰ってすぐに、エマが濡れ布巾で打たれた箇所を冷やしてくれているのだ。
「痛くない?」
「うん…軽くぶたれただけだし…それより、配信は?」
「愛来を放って配信出来るわけないじゃん」
それがまるで特別扱いされているようで、キュンと胸を高鳴らせる。
打たれた頬の痛みなんて、本当はもうどうだってよかった。
「……ありがとう」
「え……?」
「……愛来がいなかったら、たぶんまた同じこと繰り返してた…愛来がいたから、未練も無くなって…前に進めたよ」
頭を撫でられて、単純な愛来はまた勘違いしそうになる。
それはどういう意味か。
恋愛感情に絡めて、考えてもいいものか。
愛おしさが込み上げて、許可もなくエマの唇に自身のものを重ねていた。
舌を入れるのを我慢して、僅かな間くっつけて唇を離す。
「…愛来?」
「ご褒美欲しい……ダメだった…?」
困ったように、エマが笑みを浮かべる。
「私は良いけど…愛来はいいの?」
頷けば、互いの唇が重なり合う。
自ら舌を出して、はしたなくエマのものと絡ませた。
敏感な箇所に触れればゾクゾクと快感が込み上げて、太ももを擦り合わせながらエマとの口付けに没頭する。
柔らかく心地良いキスに、このまま溺れてしまいたかった。
ベッドに横たわりながら、当然のように隣にいるエマの手を握っていた。
結局今夜の配信はお休みするらしく、健全な時間にベッドに入ることが出来たのだ。
「前に、理想のキスのシュチュエーションはって聞いてきたでしょ」
「うん…」
「好きな人と出来るキスなら、何でもいい」
「私も同じだよ」
ギュッと、握っている手に力を込める。
これから先、キスをするための口実はなくなってしまったため、触れられるうちに彼女の熱を少しでも感じていたかった。
襲われた記憶を思い出した恐怖心を、和らげるために手を握ってもらう。
だけど本当は、愛来はとっくにトラウマを乗り越えていて、あの記憶をフラッシュバックすることもなくなった。
にも関わらず、卑怯な愛来はそれを理由にエマの手を奪っている。
「……ずっと一緒にいたいよ」
眠ってしまったのか、返事はない。
聞こえなかったことに安心しながら、今更ながらに彼女への想いがさらに膨れ上がっていることに気づいた。
いつも通り部屋を換気させながら、掃除機を掛けている時だった。
目にする度に嫉妬に駆られていた、エマを苦しめ続けた女性の写真。
棚の上に置かれた写真立てをチラリと見て、愛来は思わず息を呑んだ。
「これって……」
飾られていた写真が変わっている。
一つはエマと、彼女の友人である小鞠の写真。
有名テーマパークへ行ったのか、可愛らしいキャラクターもののカチューシャを2人とも付けていた。
そしてもう一つは、以前2人でプロジェクションマッピングの大規模施設に行った時の写真だ。
薄暗い中で撮影したため、写りはあまりよくないけれど。
嬉しそうに微笑む愛来とエマの写真が飾られていた。
たまらなく愛おしさが込み上げて、無性に嬉しくなってしまう。
一度手に取った後、元の場所に戻してから頬のニヤニヤを止めることが出来ずにいた。
恋人としてではなくても、少しはエマの中で大きな存在になってきているのではないか。
少なくとも、ただの従姉妹以上の関係にはなれているのではないだろうか。
「よしっ…」
改めて、気持ちを引き締める。
好きな人に、同じように好きになってもらいたい。
沢山傷ついて苦しみ続けたエマを、癒してあげたい。
彼女を傷つけるものから守って、共に幸せになりたかった。
そんな未来を送るためにも、これからはアプローチを頑張らなくてはいけないのだ。
クラスメイトと放課後にカフェでお茶をした帰り道。
ショーウィンドウに飾られているルームウェアに、愛来は釘付けになっていた。
白地にピンクのラインが入ったルームウェアは、ふわふわな質感でとても可愛らしい。
セットのスリッパも冬仕様でもこもこしていて、これからの季節にピッタリだろう。
半ば引き寄せられるように、気づけば店内に入ってしまっていた。
「やっぱり可愛い…」
人気なものなのか、店内の入り口付近に先程のルームウェアが数着置かれている。
水色の他に紫色もあって、ピンク色とは違った印象でどれも可愛かった。
「そちらおすすめですよ。人気で今日やっと再入荷したんです」
店員の言葉に、余計購買意欲に駆られる。
大人気、再入荷というワードを聞くだけで、更に魅力的に見えてしまうのだから不思議だ。
手に取ってみれば触り心地が良く、何より淡いピンク色が可愛さを主張し過ぎず魅力的だった。
「ふわふわで気持ちいいから、恋人が触れたくなるルームウェアだって話題になってるんです」
「へ、へえ…」
「暖かいのでこれからの季節にオススメですよ」
「じゃあ……買います」
これから寒い季節がやってくるのだから、着ていてもおかしくないはずだ。
エマに抱きしめられたい…などといった下心は全くない。
「…ちょっとしか」
本当はほんのちょっとだけ、これを着たらエマに触ってもらえるのではないかという下心もある。
ルームウェアを買うことすら、エマを主体に物事を考えてしまっている。
愛来はすっかりエマの虜なのだ。
帰宅して、早速購入したばかりのルームウェアのタグを切る。
着てみれば膝上ほどの高さで、胸元は意外とザックリと開いていた。
「ね、狙いすぎかな…?」
エマに喜んでもらいたくて着ていると、勘づかれたりしないだろうか。
ドキドキしながら、ソファに座ってエマの配信が終わるのを待っていた。
しかし1時間ほど待っても、エマが配信部屋から出てくる気配はない。
「まだかな…」
お気に入りのボディクリームを取り出して、足と腕に塗り込む。
近づいた時に少しでも良い香りと思って欲しかったのだ。
ハサミで前髪も数ミリ切ってから、薄い色の色付きリップを塗る。
準備を終えて、体育座りをしながらエマの配信が終わるのを待ち続けた。
そしてそれから30分ほどして、ようやく配信部屋の扉が開く。
「お、お疲れ」
「んー…」
ソファから立ち上がって、わざとらしくエマの前に立つ。
新しいルームウェアを着た愛来を見て、嬉しい言葉を掛けてくれた。
「…あれ、可愛いじゃん」
「モコモコで触り心地もいいよ」
「本当だ、ふわふわしてる」
いつもだったらふざけて抱きついてきそうな所なのに。
軽く腕に触れるだけで、彼女の手は離れていってしまう。
何故だろうか。
以前に比べたらエマは愛来に触れてこない。
あの頃はキスだって躊躇いなくしてきたのに。
「なんで……?」
大切だから触れないと、前に言ってくれた。
従姉妹として、年下の女子高生に遠慮しているのだろうか。
勇気を出して、両手を広げて見せる。
「つ、疲れてるならギュッてする…?」
「……愛来は可愛いね」
優しく抱きしめられて、肩に顔を埋められる。
彼女のブロンドヘアが耳に触れて、それが僅かにくすぐったい。
「…めちゃくちゃふわふわだ」
優しい力で抱きしめられて、嬉しいのに。
同時に、愛来が言わないとボディタッチが出来ない状況を寂しく感じてしまう。
本当はエマの方から、触れて欲しいのに。
あの頃みたいに、揶揄いながらキスをして欲しい。
「どうした?」
心配そうに顔を覗き込まれても、愛来の目線は彼女の唇に夢中で。
脳内は邪な感情で溢れているのだ。
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