第30話


 スマートフォンを両手で抱え込みながら、配信部屋の前に座り込む。

 イヤフォンからはずっと、宇佐美こねこの配信音声が流れていた。


 扉を一枚隔てた先で、エマは今日も配信しているのだ。

 今日は新作ゲームの発売日らしく、そのプレイ動画を先程から楽しそうに実況していた。


 生放送の配信中には、投げ銭としてお金を投げられる機能があるらしい。


 学校の帰り道に、そのためのお金をチャージするカードは既に購入済みだ。


 1000円分を投げて、同時に送れるメッセージには「大好きです」と書いて送信した。


 『わ〜大好きだって、ポメのお星様ちゃんありがとう。私も好きだよ』


 偶然エマの視界に入ったようで、同じように好きだと言われてしまう。

 

 前回の反省を活かして、キチンとニックネームに変更済みだ。


 嬉しさで、自然と頬が緩む。


 「直接言って欲しいよ…」


 扉越しではなくて。

 イヤホン越しではなくて。


 直接エマに好きと言われたい。

 

 本当はあのまま、体を重ねてしまいたかった。

 酔っ払ったエマに体を弄られた時も、今日アダルトビデオを視聴している所を目撃してしまった時も。


 以前だったら心を通わせ合わないまま、体を重ねる行為を軽蔑していたと言うのに。


 今なら少し気持ちがわかる。

 心が入らないならせめて体だけでもと、そんな欲に駆られてしまう。


 だからこそ、愛来はエマを責める気になれないのだ。


 大学一年生の頃に大人に漬け込まれ、嘘をつかれ続けた挙句裏切られたエマ。


 好きな相手を一心に信じ続けた彼女を、責められるはずがない。

 

 「…どうしたら、エマはあの人を忘れられるのかな」


 残りの残額分を全てメッセージと共に投げ銭するが、タイミングが悪く今度はエマの目に触れなかったようだ。


 「顔、見たいな…」


 すぐ近くにいるのに、酷く遠い所にいるような気がしてしまう。


 焦ったらダメだと分かっているが、心はやはり苦しくなってしまっていた。


 もし、愛来がエマから体だけの関係を求められたら、受け入れてしまうかもしれない。


 恵のことは忘れるから、それまでの間体だけでも繋がって欲しいと言われたら、頷いてしまう。


 エマのように、相手の言葉を信じて何年だって待ってしまう。


 津山恵のしたことは、人の好意を利用した到底許されることではないのだ。








 目を覚ませば、珍しくエマの方が先に起きていることに気づく。

 夜通し配信をしたわけではなく、昨晩はきちんと愛来と同時刻に彼女はベッドで眠りに付いていた。


 キッチンからは味噌の良い香りが漂ってきて、寝起きの胃袋を刺激される。


 「おはよう…朝早いね」

 「この前豪華な朝ごはん作ってもらったから、たまには私もって」


 ウインナーと卵焼きに目玉焼きという組み合わせに、クスリと笑ってしまう。


 卵が好きなエマは、それに加えて卵がけご飯を作り始めた。


 手を合わせて二人で食べ始めて、自然と口角が上がってしまいそうになる。


 好きな人に朝ごはんを作ってもらって、一緒に食べられる幸せを噛み締めていた。


 「美味しい」

 「お母さんに教わったからね」


 母親を懐かしむエマの瞳に、懐かしさの色が滲む。

 罪悪感から実家に帰っていないが、エマは家族のことを酷く愛しているのだ。


 「昨日ありがとね」

 「え、私何かした?」

 「ポメのお星様ちゃん」


 心当たりのあるニックネームに、飲んでいた味噌汁を吹き出しそうになる。


 「なんで気づいたの!?」

 「やっぱり」

 「ニックネームにしたのに…っ」

 「星宮と、私がポメラニアンって呼んでるの知ってそうだから、もしかしたらって…大好きって、直接言ってくれたらいいのに」


 愛来がその言葉を口にしたら、それは告白になってしまうのだから言えるはずがない。

  

 しどろもどろになりながら、また強がる言葉を吐いていた。


 「…や、やだ。言わない」

 「最近は素直になったと思ったのに…まあいいや。お礼にどこか行く?」

 「デートってこと!?」


 身を乗り出して尋ねれば、エマの口元がニヤニヤと緩み始める。

 

 彼女の手がこちらに伸びて、愛来の頬に優しく触れた。


 「愛来がそう思うなら、そうなんじゃない?」


 また図星を掘ったことに気づいて、羞恥心がジワジワと込み上げる。

 結局、いつもエマの掌の上で転がされてばかり。


 子供の愛来は、まだまだエマには敵わないのだ。

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