第25話


 昼食を食べ終えて食器を洗っていれば、インターホンの音が室内に鳴り響く。


 モニターを見やれば、エマの友達である小鞠の姿があった。


 すぐにタオルで手を拭いてから、インターホン越しに応対する。


 丁度エマはコンビニに行っているため、留守にしているのだ。


 「すみません、いまエマいなくて…」

 『そっか…』

 「もうすぐ帰ってくると思うので、部屋で待ちますか?」

 『うーん…ごめんね。そうしようかな』


 カードキーを手にして、エプロンをそのままに一階まで迎えにいく。


 ロビーのソファーに腰掛けていた小鞠に声を掛けた後、エレベーターに乗って目的階まで上がった。


 センサーで鍵を開いてから招き入れれば、小鞠がスンと息を吸ってから驚くような顔をした。


 「あれ、タバコ臭くない」

 「最近タバコ吸ってないからだと思います」

 「あの子が?」


 信じられないとばかりに、小鞠の表情には衝撃の色が滲んでいた。


 リビングのソファに2人で腰を掛けてからも、話題はタバコについてだ。


 「エマが禁煙か…あれだけ言っても聞かなかったのに」

 「エマっていつからタバコ吸ってるんですか」

 「3年前かな。20歳になってからすぐ吸い始めてた気がする」


 どこか切なげに、小鞠の目が細められる。

 昔を懐かしむ小鞠の姿は、決して明るいものではなかった。


 「小鞠さんとエマっていつからの付き合いなんですか」

 「大学からだよ。だから、5年前かな」


 5年前ということは、丁度エマが親戚の集まりに来なくなった時だろう。


 彼女であれば、愛来の知らないエマを知っているかもしれない。


 緊張と期待で声を震えさせながら、小鞠に尋ねる。


 「小鞠さん、恵さんっていう女性を知ってますか」


 分かりやすく、小鞠が狼狽える。

 なぜその名前を知っているのかと、驚いたように目を見開いていた。


 「え?何急に」

 「寝言で…エマが呼んでたから」


 悩んだように目線を彷徨わせた後、彼女がグッと押し黙る。


 手にしていたマグカップをテーブルに置いて、全く違う話題を話し出した。


 「愛来ちゃんは、エマのことどう思ってるの」

 「え…」

 「好き?」

 「えっと…好きかどうかは、その…」

 「…あの子は真剣な恋はしないよ」


 苦しげに絞り出された声に、言葉が詰まる。


 「どういうことですか…」

 「人と真剣に向き合わないの。傷つくことを恐れて…人と深く関わりたがらない。セフレが沢山いたのも、人に執着がないから」


 薄々感じていたことだった。

 あれほどいたセフレとの関係を簡単に切って、特別な恋人を作ろうとしない。


 タバコを吸う時の、寂しげな瞳。

 明るさの裏に、何かが隠されている気がしていたのだ。

 

 「……正直言って、愛来ちゃんにエマはおすすめできない。高校生のあなたがするには…たぶん、苦しい恋になるから」


 「でも」と小鞠が言葉を続ける。

 その声色には僅かに、希望の色が滲んでいるような気がした。


 「同じくらい、期待してるの」

 「え…」

 「誰もあの子を変えられなかった。傷つけられて、タバコを吸うことでしか自分を守れなかったあの子が…変わってきてる」


 ギュッと手を握られる。

 いやらしさは微塵もない、懇願するような手繋ぎだった。


 「友達として…私が言う権利なんてないって分かってるの。でも…心配だから」


 小鞠は本当に、エマのことを大切に思っている。

 だからこそ、彼女の心情を…健康面を心配しているのだ。


 「……あのね、愛来ちゃん」


 覚悟を決めたように、小鞠がそっと口を開く。


 「…恵は…津山つやまめぐみっていう女性は…」


 丁度その時、玄関の方から鍵を解除する音と共に「ただいま」と明るい声が聞こえてくる。


 コンビニ帰りの彼女はご機嫌で、声色からワクワクしているのが伝わってきた。


 「……また今度、話すよ」


 リビングに現れたエマと入れ違う形で、1人でベッドルームへ移動する。


 ベッドに横たわりながら考えるのは、先程小鞠が溢した名前。


 津山恵。


 それがエマを縛り付ける女性の名前だ。


 「好き、か…」


 口にしてしまえば、妙にしっくりして腑に落ちる。


 一度自覚してしまえば後はあっという間で、彼女に対する愛おしさが凄まじい勢いで込み上げてきた。


 今まで目を背けていたけれど、エマに対して抱いていた感情は恋心以外に説明がつかない。


 まさか自分が同性を好きになるなんて思いもしなかった。


 最初はあんなにも、レズビアンのエマを警戒していたと言うのに。過去の愛来が知ったら、きっと酷く驚くだろう。


 「仕方ないじゃん…」


 すぐ揶揄ってくるけれど、根は優しくて。

 愛来のことを心配して、守ろうとしてくれる。


 愛来の内面を含めて、可愛いと言ってくれる人。


 そんな人を好きにならない方がおかしいのだ。


 「……あんなに素敵な人なんだもん」


 言えばどうなるだろう。


 高校生の愛来が、津山恵を忘れられないエマを、振り向かせることは出来るのだろうか。


 「…何もせずに終わりたくないし」


 小鞠の言う通り、苦労するかもしれない。

 沢山傷つく恋になるかもしれないけれど、簡単には諦めたくない。


 せっかく芽生えたこの恋を、なかったことにはしたくない。


 そして何より、時折苦しそうに遠い目をするエマを支えられるような存在になりたいのだ。






 可愛らしい現役女子高生は休みにも関わらず勉強をすると言って、ベッドルームへこもってしまった。


 大学からの友人である一条エマと、遠藤小鞠はお菓子を摘んでいるのだ。


 どれもエマの好みのお菓子ばかりで、スナック菓子を頬張りながら文句を言う。


 「…チョコが良かった。ていうか約束しといて普通家あける?」

 「忘れてたんだよ。ごめんって」


 ちっとも悪びれた様子もなく、サラリと言われてしまう。


 チラリとエマの姿を盗み見れば、相変わらず綺麗な容姿をしていた。


 歳を重ねるに連れて色気が増しているけれど、同時に心配になる。


 彼女を苦しませ続けた"あの出来事"を知っているからこそ。


 またあの頃のように生きた屍のようになってしまわないかと、心配で堪らないのだ。

 

 「愛来ちゃんにあの事黙ってるんだ」

 「どうしたの急に」

 「恵さんのこと知ってるかって聞かれた」

  

 驚いたように、エマが飲んでいたビールを吹き出す。


 昼間に酒を飲むことも、きっと彼女にとって当たり前なのだろう。


 「なんで愛来があの人のこと…」

 「寝言で言ってたんだって…まだ、好きなの?」


 迷いなく、エマは首を横に振った。

 てっきりまだ未練があるのかと思っていたため、その答えに驚いてしまう。


 「別にまだ好きなわけじゃない…ただ、また夢にみたの。最後に会った日のこと」

 「うん…」

 「あの時遠ざかっていく背中に向かって、みっともなく泣いててさあ…けど、今日見た夢は違った」


 津山恵の話をするときのエマはいつも悲しげだったというのに、珍しく明るい口調だ。


 「言い返してたんだよね。あの人に…いつも言いなりだった私が」


 何でだろうとエマは不思議そうにしているけれど、そんなの理由は一つだ。


 間違いなく、彼女の中で何かが変わっている。

 心境の変化があったから、そんな夢を見たのではないか。


 愛来が淹れてくれたコーヒーはとても美味しく、気付けば飲み切ってしまっていた。


 まだ高校生のあの子に託すには、重荷になることは分かっているのに。


 愛来であればこのまま、エマを変えてくれるのではないかと願わずにいられないのだ。




 


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