第23話
つまらなさそうにテレビを眺めるエマを、愛来はチラチラと盗み見ていた。
タバコをやめると約束して、初めて迎えた休日。
洗濯物を畳みながら、飴を美味しそうに頬張るエマの姿をずっと盗み見ているのだ。
口寂しくなったらキスをすると約束したにも関わらず、エマはあれ以来棒付きキャンディを食べてばかりいる。
カラッと飴と歯がぶつかる音が聞こえてきて、愛来は我慢できずに声を上げた。
「それ、美味しい?」
「うん、ソーダ味特に美味しいよ。愛来も食べる?」
「いらない…」
ソーダ味にいちご味と、色々な味が入ったアソートパックの袋をガサガサと漁っている。
恐らくもう、2袋目になるだろう。
「…あんまり飴食べてると虫歯になるんじゃない」
「歯磨きしてるから平気」
「ふーん」
「あ、そういえば忘れてた」
キスをする約束をようやく思い出したのかと、ドキッと心臓を跳ねさせる。
しかしその予想は大きく外れて、エマはカバンの中から何かを取り出し始めた。
「マネージャーから、息抜きに行ったらってこれ貰ったの」
見せつけてくるチケットは2枚。
プロジェクションマッピングを広い室内で見られる施設のチケットで、デートスポットとして有名な場所だ。
キラキラと綺麗で、部屋ごとに様々なデザインが映し出される映像はSNS映えすると支持されているらしい。
「もうすぐなくなっちゃうんだって。せっかくだから行かない?」
特に用事もなかったため、その誘いに二つ返事をする。
1時間ほどで身支度を済ませてから、彼女と共にマンションを出た。
ビューラーが上手くできたため、くるんとした可愛らしいカールをすることが出来た。
アイシャドウも大粒のラメが入ったもので、いつもより目元を華やかにしている。
ちらりと、隣を歩くエマの姿を盗み見る。
ただでさえ165センチ近くある身長は、ヒールを履いているため更にスタイルが良く見えた。
薄化粧にも関わらず十分に華やかで、コテで巻かれたブロンドヘアがより彼女を魅力的に映している。
先ほどから、道ゆく人がチラチラと彼女を見ているのだ。
「愛来、本当に目立つね」
「エマといるから余計にね…て、近い!」
「宇佐美こねこってバレたらめんどくさいから、小声じゃないと」
登録者が100万人以上いる人気配信者なため、どこにファンが潜んでいるか分からない。
声の高さは違うけれど、エマの地声は確かに宇佐美こねこの声質なのだ。
人通りが多いため、周囲に勘付かれないよう対策する必要があるのは分かるけれど、耳元で囁かれるたびに体がゾワゾワしてしまう。
「……っそれ、どうにかならない?」
「なにが」
「んっ…だから、耳元で喋るの」
必死に唇を噛み締めながら訴えかければ、エマが楽しそうに笑みを浮かべる。
「耳、弱いんだ」
「うるさいっ…だから、喋んないで」
「愛来」
耳たぶに唇が触れてしまいそうなくらいの至近距離で、エマが吐息たっぷりに囁いた。
「今日、楽しもうね」
そのまま耳元でリップ音を鳴らされて、ビクンと体を跳ねさせる。
思わずしゃがみ込めば、エマはケラケラとおかしそうに笑っている。
やっぱりこの人は意地悪だ。
優しいけれど、こちらを揶揄ってばかり。
本当に愛来は翻弄されてばかりいるのだ。
会場に到着して、真っ先に荷物をロッカーに預ける。スマートフォンだけを手にして、館内を散策していた。
会場内は暗いが、プロジェクションマッピングの光が煌めいているためキラキラと明るい。
幾つかエリアが別れていて、テーマごとに映し出される映像も違うようだ。
広い館内にて、キラキラと映し出される色とりどりのお花を眺める。
「綺麗…」
先程は反射鏡の空間で、無数のランタンが様々な色を浮かび上げていた。
初めて見る映像美に、柄にもなく見惚れてしまう。
「すごい、キラキラしてる…」
「写真撮る?」
「撮りたい」
互いを撮影し合ってから、ツーショットで写真も撮る。
続いて館内を撮影しながら、自分が酷く楽しんでいることに気づいた。
初めて見るプロジェクションマッピングに、テンションが上がっているのかもしれない。
次はどこのエリアに行こうかと考えていれば、突然ギュッと手を握られる。
「逸れたら大変でしょ」
確かに館内は暗いけれど、足元が見えないわけでもない。
互いの姿や表情が分かるくらいには、十分光で照らされている。
にもかかわらず、愛来はされるがままになっていた。
エマと手を繋ぐのが嫌ではなかったから。
二人で手を繋ぎながら歩いていれば、ふとあることを思い出す。
「あれ、耳元で喋らなくていいの…?」
「愛来はちょっとは人を疑いなさい」
揶揄うような口ぶりに、自身が騙されていたのだと気づく。
エマのことだから、愛来が耳が弱いことに気づいて揶揄っていたのだ。
「…エマっていじわるだよね」
「いじけないでよ」
「私のことからかってばかりじゃん…前、タバコの代わりにキスするって約束したのに、飴ばっかり舐めてるし…私のこと期待させてそんなに楽しい?」
ピタリと、エマがその場に立ち止まる。
手を繋いでいるために、愛来も彼女に合わせて足を止めた。
ピンク色の花を背景にした彼女は、いつにも増して美しく見える。
やはり、エマはとても綺麗だ。
「…キスして欲しかった?」
「ちが…そういう約束だったから」
「けど期待してたんでしょ?」
辺りを見渡せば、ちょうど周囲には誰もいない。
それを良いことに、ジリジリと壁際まで追い詰められていた。
プロジェクションマッピングの明かりが、徐々に薄暗くなっていく。
花の色が青色や紫色へ変わったため、先ほどよりも暗く見えるのだ。
「する?キス」
「外じゃん、ここ…」
「でも誰もいないよ?」
赤色の口紅で彩られたエマの唇を、ジッと眺める。
悪い大人の誘惑を、拒否することが出来ない。
「……嫌かと思ったの」
「え…?」
「私とキスするの、愛来は嫌々なのかなって」
そんなはずがないだろうと首を勢いよく振ってから、すぐに後悔する。
また揶揄うために誘導尋問をされたのかと思ったが、愛来の答えを聞いたエマはホッとしたような表情を浮かべていた。
「……いいの?」
珍しく自信のない、僅かに震えた声色。
そっと目を瞑れば、唇に柔らかい感触が触れる。
舌を入れない、触れるだけの優しいキスだった。
「…こんなこと、簡単に人にさせたらダメだよ」
「エマだって、沢山セフレいたじゃん」
「そうだね…けど、キスはセフレとしたことないよ」
初めて聞く話に、戸惑っている自分がいる。
「じゃあ、なんで私とはキスするの…」
「なんでだろう…」
自分でも分かっていないようで、エマもウロウロと視線を彷徨わせていた。
「分からない……分かりたくないだけかも」
歩き出したエマに合わせて、愛来も再び足を進める。
それからはプロジェクションマッピングを見る余裕なんて無くなっていた。
あの時、愛来は何を期待していた。
彼女から、どんな言葉が出てくるのを期待していたのだろう。
手の温もりが愛おしくて、少しだけ強めに力を込める。
人に固執せず、沢山いたセフレすら簡単に切ってしまったエマ。
そんな彼女が、配信部屋に飾り続けている写真の女性は一体誰なのだろう。
聞きたいけど聞くのが怖い。
それがきっと愛来の喜ぶ答えではないと気づいているから、耳を塞ぎたくなってしまうのだ。
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