第22話


 いつもより早めにお風呂に入った後、手早く夕飯を作る。

 今日のメニューはペペロンチーノなため、エマが配信を終えるのをジッと待っていた。


 ぼんやりとテレビを眺めていれば、19時くらいにようやく配信部屋の扉が開く。


 「お疲れ様」

 「うん…もうご飯食べた?」

 「まだ」


 立ち上がってエプロンの紐を閉めていれば、突然背後から抱きしめられる。


 肩に顔を埋められて、くすぐったさで身を捩った。


 「な、なに」

 「愛来さ、配信の時にコメントするならせめてニックネームにしなよ」


 言葉の意味を理解して、頬を赤く染め上げる。

 気づかれていないと思っていたのに、愛来が送った質問はしっかりとエマの目に触れていたのだ。

 

 「ひ、人違いじゃないの…」

 「星宮愛来なんて珍しい名前、なかなかいないと思うけど。どんな女の子がタイプかって、それ聞いてどうするつもり?」


 体を反転させられて、正面からエマと顔を見合わせる。

 いつもの揶揄いはなく、エマはひどく優しげな笑みを浮かべていた。


 「う、うるさい…」

 「返事になってないよ」

 「暇だったから…それくらいしか、書くこと思いつかなくて…」

 「タイプを言えば、その通りの女の子になろうと努力するの?」

 「しないしっ…」

 「あ、そう」


 可愛げのない返事をすれば、ようやく体を解放される。


 チラリと、テーブルの上に置かれていたタバコに視線をやる。


 配信が終わったら、エマはタバコを吸うことが多いのだ。


 「タバコ、吸わないの?」

 「…別に好きじゃないし」

 「そうなの?あんなに吸ってたのに」

 「口寂しくなったら愛来にキスしてもらうから」

 「バカじゃないの」


 可愛げのない返事を返しても、エマは楽しげに笑みを浮かべている。


 可愛い自分でいなくても、受け入れてくれる。


 その空間が愛来にとって酷く心地良いものになってしまっているのだ。





 お昼ご飯後の5限の授業は、多くの生徒が眠たげに船を漕いでいた。


 満腹になって睡魔に襲われてしまうのは仕方ないと思っているのか、先生もあまり注意はしない。


 保健体育の授業はいつも適当に聞き流していたというのに、この日の愛来は違った。


 体の健康についてをテーマにした授業に、すっかりと釘付けになってしまっているのだ。

 

 「タバコを吸う人と吸わない人ではガンや脳卒中、他にも色々と体への悪影響が…」


 殆どの生徒が興味なさげに欠伸を噛み殺す中、まともに聴いている生徒は愛来くらいだろう。


 タバコというワードを聞いて、エマのことを思い出してしまったのだ。


 最近は少しだけ本数は減っているが、以前はかなりのペースで吸っていたようだった。


 「今は吸わないと決心しても、大人になると色々あるから…どうしてもタバコに逃げたくなってしまう心理状況になるかもしれない」


 だからそうなった時に備えて心の拠り所になる相手や、リラックス・息抜きの方法を見つけておけ、と言葉を続けた後に先生が授業を締めた。


 「タバコ、か…」

 

 彼女がタバコを吸う姿が魅力的で気にしていなかったが、喫煙は間違いなく体にとって悪影響だ。


 今更ながらに、エマの健康が心配になってしまっていた。






 夕食後に暖かい紅茶を飲んでいれば、エマが当然のようにタバコに手を伸ばす。


 途端に思い浮かんだのは、今日習った保健体育の内容。


 タバコが体にとって悪影響で、将来的に病気になるリスクも高めるというもの。


 ライターに手をかけた彼女の手を、そっと掴んでいた。


 「なに」

 「タ、タバコ吸わないで」

 「は……?」

 「体に悪いって今日習った。エマが死んじゃったら嫌だ」


 タバコとライターを置いて、エマがテーブルに肘をつく。


 「どうしたの。今日は素直じゃん」

 「だって…」


 将来、タバコのせいで病気になって苦しむエマを想像したら、胸が苦しくて仕方なくなったのだ。


 エマには1日でも元気でいて欲しい。


 ふと思い浮かんだのは、昨晩の彼女の言葉だった。


 「……私がキスしたら、口寂しくならないの?」


 そこまで好きではないけれど、口寂しいからタバコを吸うとエマは言っていた。

 

 その口を愛来が塞いでしまえば、タバコをやめてくれるのだとしたら。


 「……いくらでもちゅーしていいから…もう、吸わないでよ」


 優しく頬に手を添えられる。

 ゆっくりとエマの方を向けば、愛来の無防備な唇にエマの唇が重なった。


 唇に柔らかい舌が触れて、そっと口を開けば中にエマの舌が差し込まれた。


 今日はまだ吸っていないのか、柔軟剤の香りがする。


 熱い舌に蹂躙されながら、彼女の香りに酔いしれていた。


 タバコの香りなんかより、よっぽど好きだ。


 舌を絡ませ合うたびに、いやらしく水音が鳴る。

 聴覚でも羞恥心を煽られて、余計に頬の赤みが増していた。


 ゆっくりと唇が離れていく中で、名残惜しさを感じながら彼女の舌を見つめていた。


 「……いいよ。愛来が側にいるときは吸わない」

 「私がいなくても吸わないで」

 「愛来がいなくならなければ問題ないでしょ?」


 まるでこの先ずっと一緒にいるような口ぶりに、胸が密かにときめいていた。


 一緒にいる未来を約束してくれているようで、勝手に喜んでいる自分がいる。


 しかし、この生活はいずれ終わりを迎える日が来るわけで、離れなくてはいけない時が来る。


 今の関係のままでは、2人が一緒にいる未来はないのだ。


 エマは、この関係をどうしたいのだろう。

 自分は、どうしたいと思っているのだろう。


 本当はもうだいぶ前から分かり始めている答えに、愛来は気づかないふりをしているのだ。

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