第20話


 空腹に耐えかねてリビングへ向かえば、何かを炒めている音が耳を掠める。

 そっとキッチンを除けば、フライパンで炒め物を作っているエマの姿があった。


 普段はいつも愛来がご飯を作っているため、彼女がキッチンに立つことは珍しい。


 シンクには使用した包丁やまな板、ボウルが置きっぱなしにされていた。


 「愛来…」


 こちらの存在に気づいた彼女は、酷く申し訳なさそうな顔をしていた。

 

 エマの指には、先ほどまでなかった絆創膏が巻かれている。


 「ごめん…」

 「まだ気にしてたの…」

 「だって、最低でしょ。まともな大人は子供に手出したりしないのに…」

 「エマ、自分がまともだと思ってたんだ」

 

 酒とタバコをこよなく愛して、性的快感を追い求めるためであれば平気で不特定多数と関係を持つ。


 色々とぶっ飛んでいるくせに、変なところは常識的だ。


 「だって愛来は従姉妹で…まだ高校生の女の子に酔って手出すとか最低すぎる。いくら寝ぼけてたとはいえ…」

 「…もういいよ」

 「けど」

 「……お詫びにご飯作ってくれたんでしょ。それでチャラね」


 お茶碗に白米を盛りつけてから、エマが作ってくれた野菜炒めと共にダイニングテーブルに座る。


 いつも通り対面に座ってから、手を合わせて食べ始める。


 野菜の大きさはバラバラだけど、少し味が濃いめで美味しい。


 お味噌汁は愛来の好きなナメコが入っていて、出汁もよく出ていた。


 ご飯を食べ始めても、相変わらずエマは罪悪感に襲われているようで、箸が進んでいない。

 

 「…エマがそんなに気にするとは思わなかった」

 「…だって…ベタだけど初めては好きな人との方がいいでしょ」

 「私は…その、経験ないわけじゃ…」


 この後に及んで強がれば、エマがそっと笑みを浮かべる。


 いつもの揶揄うようなものではなくて、どこか遠くを見つめるように寂しげな瞳をしていた。


 「でも、誰彼構わず体許しちゃダメだよ。ちゃんと自分を大切にして」


 それをエマが言うのか。

 喉元まで出掛かった言葉。


 しかしそれを指摘できないのは、エマを纏う雰囲気が普段と違ったから。


 時折、エマは酷く遠くを見つめるような虚ろな瞳をするのだ。


 今の言葉を言い換えてしまえば、まるでエマが自分を大切にしていないようではないか。







 欠伸を噛み殺しながらリビングで朝ごはんの支度をしていれば、配信部屋からエマが顔を出す。


 昨夜眠る時、隣にエマの姿はなくて、朝になってもそれは変わらずだった。

 

 昨晩の24時から配信をスタートして、恐らくぶっ通しで放送し続けたのだろう。


 「…おはよ」

 「おはよう…私はこれから寝るよ…朝まで配信しちゃってさ…」


 殆ど瞼がくっついている状態で、眠そうにフラフラとリビングを後にしていく。


 本人は楽しいと言っていたが、不規則な生活は体に良くないため心配になってしまう。


 「…おやすみ、エマ」


 もう部屋を出てしまったため、当然彼女には届かない。


 お弁当のおかずを作ってから、冷めるまでの間。

 手持ち無沙汰になって、ふとベランダに出る。


 天気が良く、冷え込んだパリッとした空気が心地良い。


 フェンスにもたれ掛かりながら、朝日に照らされた街の景色を見下ろした。


 「…凄い、いい景色」


 都内を一望できる眺めの良い景色。

 エマが配信者としての実績を重ねて、人気があるからこそ見ることのできる景色だ。


 大きく息を吸い込んでから、再び部屋に戻る。

 

 「あ…」


 珍しく、配信部屋の扉が中途半端に開いていた。


 寝ぼけていたため、キチンと閉め忘れてしまったのだろう。


 扉を閉めようと近づけば、中からガタッと物が落ちる音が響く。


 そっと中を除けば、床に積み上げられた漫画が倒れていることに気づいた。


 「何冊あるのこれ…」


 中に入ってから、何十冊もある漫画を数段に分けて積み上げる。


 他にもゲームソフトやフィギュアと、本棚にはエマの好きなものが敷き詰められていた。


 ぐるりと室内を見渡せば、ラックの上に置かれている写真立てが視界に入る。


 白色のものが二つ、並べて置かれているのだ。

 

 「……誰」


 どちらの写真立てにも、エマと見知らぬ女性が写っている。


 一つは学生時代の制服を着ているエマと、20歳は超えているであろう女性の写真。


 もう一つは、同じ女性たちがもう少し歳を重ねた写真だった。


 何故か、胸がざわつく。

 この女性は誰なのか、気になるのに知りたくない。


 そもそも、聞いて教えてもらえるとも思えない。

 

 エマと愛来の間に、過去を詮索する権利があるのだろうか。


 もしなかった時、ショックだから。 

 愛来には教えたくないと言われたら、胸が痛むから。

 

 見て見ぬふりをしてしまっているのだ。

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