第18話


 秋を迎えた夜空の下は冷え込んでいて、エマが掛けてくれたトレンチコートがより暖かく感じた。


 返すと言っても「暑いから平気」の一点張りで、受け取って貰えなかったのだ。


 ようやくマンションに帰ってきてから、道中に芽生えた疑問を彼女にぶつける。


 「ボディガード雇うのって高くないの?」

 「私、稼いでるから」


 今まで踏み込んで良いか悩んでいた領域。

 本当にエマを信用していいのであれば、踏み込んでもいいだろうか。


 「…何のお仕事してるの」

 「Vtuber」

 「だから、それって何」


 話すよりも見せる方が早いと考えたのか、手を取られてからあの部屋へ連れて行かれる。


 こっそりと秘密の部屋と読んでいた、リビングから向かって右側に位置する部屋。

 

 扉を開いた先には、パソコンが2台並べて置かれていた。


 「二次元の絵に合わせて動く、動画配信者のこと」


 中にはパソコンの他に、マイクやカメラもあれば、他にもゲーム機などの電化製品で溢れていた。


 「宇佐美こねこっていう名前で活動してるの」


 見せられた画面は、愛来もよく見る動画サイト。

 宇佐美こねこというアカウントページには、確かに登録者100万人と書かれていた。


 「ひゃ、100万人!?」


 愛来が頻繁に視聴している美容系の動画配信者は10万人だったため、その10倍だ。


 どうしてこの若さでこんなにも広い家に住めていたのか。 


 セキュリティが頑丈な家に住む必要があるのか。


 今まで疑問に感じていた点が、全て一つの線で結ばれたような感覚だった。






 

 あの日の記憶を、未だに時々思い出す。

 朝学校へ向かう電車の中や、授業中のふとした時。


 そして今は、夜に眠りにつくベッドの上でだ。


 エマのセフレに襲われた記憶は、時々フラッシュバックのように蘇るのだ。


 そこまで気にしていないつもりでも、あの出来事は思ったより愛来の心を傷つけていたのかもしれない。


 暗闇の中で必死に手を伸ばせば、エマがいないことに気づく。


 「エマ…っ」


 体を弄られる感触を思い出して、恐怖で涙が込み上げてくる。

 

 あの時、どうしてもっと抵抗しなかったのだろう。


 同性相手なのだから本気になれば押しのけられただろうに、恐怖で体が動かずにされるがままだった。


 頬を伝う涙を必死に拭っていれば、エマが室内に入ってくる。


 ポロポロと涙を流す愛来を見て、急いでベッドまで駆け寄って来てくれた。


 「エマ、どこ行ってたの…」


 返事を聞かずとも、タバコの匂いで分かってしまう。

 眠る前に、エマはよくタバコを吸っていることを知っているのだ。


 「タバコ、そんなに美味しい?」

 「おいしくないよ。けど、楽になるから」

 「なにそれ…」

 「……に、依存してるのかもね」


 重要な部分が聞けずに聞き返そうとすれば、優しく髪の毛を撫でられる。


 酷く温かい瞳で、心配そうに愛来を見つめてくれていた。


 「思い出した?」

 「うん…」

 「手握ってたらいい?」

 「あと、ギュッてして…」


 弱っているせいか、素直に言葉を吐いてしまう。

 隣に寝転んでから、エマは愛来の体を引き寄せてくれる。


 「…早く忘れたい」

 「好きな人とシたら、そんな思い出すぐに忘れるよ」

 「……そういうもの?」

 「たぶん…本当に好きな人とすれば…辛い記憶も、書き換えられるよ」


 ぼやける視界の中で、手を伸ばして目元を拭うが指先に雫は触れなかった。


 「…泣いてるかと思った」

 「何で私が泣くのよ」

 「そうだよね…」


 暗闇のせいで鮮明に表情は分からないけれど、声が震えているように感じたのだ。

 

 ほのかに香るタバコの香りが嫌いなはずなのに、更にエマに体を密着させる。


 「…もっとギュッてして」


 温もりに包まれながら、ようやく心が落ち着いていく。


 お風呂上がりにエマがまとっていたシャンプーの香りは、タバコの匂いでかき消されてしまっていた。


 独特なこの香りがあまり好きではない。

 大人のタバコの香りを纏うエマは、まるで知らない誰かのようで。


 普段知っているエマとは別人のように、儚い雰囲気を纏ってしまう。


 吸わないでと言っても困らせるだけだと分かっている。


 同居人にタバコを咎められても、嫌な思いにさせるだけできっと直してくれないだろう。


 特別な間柄でもない愛来には、彼女のタバコをとやかく言う権利なんてないのだ。






 静かにするよう約束させられた後、エマが秘密の部屋…及び配信部屋へ篭ってしまう。


 一度入ると2〜3時間ほど出てこないため、何をしているか不思議で仕方なかった。

 まさか生放送で配信をしていたなんて思いつくはずがないだろう。


 1人残されたリビングで、動画サイトを開く。


 そして宇佐美こねこのアカウントを検索してから、本日の生放送分のサムネイルをクリックした。


 21時スタートと記載されていたが、それから更に10分ほど経過した後配信が始まる。


 『こんばんにゃー。宇佐美こねこです』

 「だ、だれ…!?」


 声は普段より何オクターブも高く、甘く可愛らしい。


 普段から透き通った綺麗な声をしているとは思っていたが、こんな声を出せるなんて知らなかった。


 とても同一人物とは思えない声色だ。


 『今日はゲーム配信をしていくんだけど…』


 二次元の絵が、喋りに合わせて動いている。


 どういう仕組みか分からないが、可愛らしい声にマッチした美少女キャラクターだった。


 「実物の方がいいじゃん」


 綺麗なブロンドヘアに、ブラウンカラーの瞳。

 

 整った容姿にあのスタイルの良さだ。


 姿を公開した方がもっと人気が出るだろうに、なぜ隠す必要があるのか。


 「よく分かんないや…」


 しかし、宇佐美こねこの話は分かりやすく、ユーモア溢れているため聞いていておもしろい。


 アニメや漫画に疎い愛来ですらそう思うのだから、好きな人には堪らないのだろう。


 「これがエマのお仕事か…」


 高級感あふれる家具に、都内の一等地に住める財力は、全て配信活動を通して稼いできたのだ。

 

 声とトークスキルで食べていけるほど、彼女は才能に溢れている。


 「すごいな…」


 姿形を隠しても、エマは世間から評価されている。


 綺麗で可愛いルックスを抜きにしても、世間から評価されるエマのことが、少し羨ましくなってしまっていた。





 

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