第16話


 可愛いだけの女と思われるのが嫌で、昔から文武両道を目指してきた。


 中学校の頃に所属していたテニス部ではそこそこの成績を残して、現在も都内では有名な進学校に通っている。


 「どうせ顔だけだろ」と陰口を叩かれて以来、ムキになってひたすらに努力してきたのだ。


 その陰口を叩いた相手の顔は、覚えていないというのに。


 「…こんなものかな」


 ベッドに座って壁にもたれ掛かりながら、授業の内容を復習する。

 来月に期末テストがあるため、休みにも関わらず勉強に取り組んでいるのだ。


 志望大学もあるため、勉強で手を抜くつもりは一切ない。


 エマの友達が訪れてから2時間ほど、ベッドルームに篭ってずっと勉強をしていた。


 「……ッ」


 ペンを置いて、先程のキスの感覚を思い出す。

 

 エマはいやらしいキスをして、太ももや耳をくすぐってくるけれど、直接的な箇所には絶対に触れない。


 しかし経験のない愛来にとっては、もどかしいタッチで触れられるだけで翻弄されてしまうのだ。


 愛来とエマは恋人ではない。

 血が繋がっていないとはいえ従姉妹同士で、セフレでもないのだ。


 それなのに太ももに触れられて、熱いキスを交わして。


 にも関わらず、ちっとも嫌じゃない。


 このまままでは性経験はないくせに、快感に対してどんどん詳しくなってしまう。


 どうしたものかと溜息を吐いた所で、トントンと扉がノックをされて、部屋のドアが開けられる。


 顔を出したエマは、愛来に対して手招きをしていた。


 「愛来、ちょっと」

 「なに?」

 「いいから、来て。あとでお菓子あげるから」


 お菓子で釣られてしまうような子供だと、愛来は思われているのだ。


 もう高校生なのだから、ご褒美がなくても言うことくらい聞くというのに。

 

 リビングへ行けば、エマの友達であろう可愛らしい女性の姿があった。


 「可愛い〜!めちゃくちゃ可愛い。現役JKと同棲とかエマ羨ましすぎる」


 興奮した声を上げながら、女性が勢いよく抱きついてくる。


 驚きでビクッと肩を跳ねさせれば、見兼ねたようにエマが助け舟を出してくれた。


 「小鞠こまり、愛来が困ってるから」

 「あ、ごめん…」


 すぐに体を解放されて、小鞠と呼ばれた女性は申し訳なさを滲ませながらはにかんでいた。


 笑うと八重歯が見えて、より一層可愛らしい印象を受けた。


 「私、遠藤えんどう小鞠こまり。エマと同い年で友達なの」

 「星宮愛来です…」

 「エマから聞いてるよ〜めちゃくちゃ可愛い女子高生と同居してるって」


 可愛い女子高生とワードを聞いて、チラリとエマの方を見やる。


 「私のことそんな風に紹介してたの?」


 いつも揶揄われているため、仕返しのチャンスだと思ったのだ。


 恥ずかしがると思っていたが、愛来よりエマの方が何枚も上手だ。


 「事実でしょ?」


 ちっとも照れる様子がなく、むしろ堂々と答えられてしまう。


 こちらの方が照れそうになって、パッと顔を背けた。


 「可愛い」

 「でしょ」

 「愛来ちゃんの写真とか撮っちゃダメ?」

 「絶対ダメ」


 キッチンから淹れたてのコーヒーを持ってきて、3人でソファに並んで座る。


 愛来を真ん中に、右隣には小鞠。左隣にはエマが座っていた。


 「実はね、いま女子高生をテーマにしたお話を書いてて…」

 「お話を書くって…」

 「小鞠は漫画家なの。大学生の頃からで、いまはそれを仕事にしてる」


 文武両道だが芸術面は全くな愛来にとって、絵を描けるというだけで尊敬してしまう。


 おまけにお話まで考えてしまうのだから、小鞠は画力にも想像力にも恵まれた女性なのだ。


 「どんなお話描くんですか」

 「恋愛ものだよ。それで、今の女子高生ってどんなものにハマってるのか、良かったら教えてほしいなって…エマに相談したの」


 純粋にそう答える小鞠を見て、エマに対する罪悪感が込み上げてくる。


 勝手に疑って、問い詰めるようなマネをしてしまったのだ。

  

 「全然、いいですよ」

 「本当?ありがとう」


 トートバッグからタブレットを取り出して、小鞠が文書ファイルを開く。


 そこには幾つか質問が記載されていて、一番上から順番に読み始めていた。


 「それじゃあ始めるね。最近ハマってるスイーツとかある?」

 「トゥンカロンですかね…味は別にだけど、可愛いから」

 「トゥンカロン…初めて聞いたや。じゃあ、今欲しいものは?」

 「デパコスブランドの香水の詰め合わせが期間限定で発売されるらしくて…いろんな香り試せるから、欲しいなって」


 自分の興味のある話題ばかりを質問されて、ニコニコと笑顔で答えていく。


 欲しいものや可愛いスイーツを想像するだけで、自然と笑みを浮かべてしまうのだ。


 「じゃあ、恋人にして欲しいことといえば?」

 「え…」


 先ほどまでと打って変わって、笑みが引き攣ったものになる。


 苦手な恋愛話に話題が移って、おまけに左隣にはエマがいるのだ。


 左側がなるべく視界に入らないようにしながら、声のボリュームを小さくして答える。


 「して欲しいこと、ですか…?」

 「うん、何でもいいよ」

 「普通にその、デートしたり…とか?」

 「具体的には?」

 「えー…映画見たり、遊園地とか…」


 足を上げて、ソファの上で体育座りをする。

 デートの経験すらない為、雑誌や漫画で見たことのあるシチュエーションを必死に思い出していた。


 「理想のキスのシュチュエーションとかある?」

 「キス…!?」


 パッと思い浮かんだのは、先程のエマとのキス。


 舌を絡め合わせたキスを思い出して、恥ずかしくて仕方ない。


 目線を逸らした愛来を見て、小鞠が気を利かせてくれる。


 「ごめん、セクハラだったね」

 「あ、いや…別に、その…」

 「愛来は恥ずかしがり屋だからさ。他に聞きたいことあるなら、私にそのファイル送っといて。愛来に書いてもらって、転送しとくから。口で話すよりはたぶん平気でしょ」


 普段揶揄って愛来を虐めてくるくせに、こういう時は優しい。


 助け舟を出してくれるエマが、酷く頼もしく思えてしまう。


 「すみません…」

 「いいよ。思春期の女の子に私もデリカシーなかったし」

 「恋愛漫画だったら、私も読んだことあるかな…タイトルとかよかったら教えてもらえませんか」


 つい先程の愛来のように、小鞠が気まずそうに言葉を詰まらせる。


 先程の饒舌さはどこへやら、すっかり言葉の歯切れが悪くなってしまっていた。


 「えーと…」

 「この子、ノンケだけど大の百合好きの百合作家だから」

 「ちょっとエマ…!」


 つまり、愛来の話したことは全て女の子同士の恋愛漫画に反映されてしまうのだ。


 戸惑っていれば、小鞠が安心させるように声を荒げる。


 「大丈夫!2人をテーマにしたお話なんて、絶対に描かないから!」


 「じゃあ私帰るね」と叫んでから、トートバッグを引っ掴んだ小鞠が部屋を飛び出していく。


 室内に残されて、愛来は確信めいた言葉を口にした。


 「ねえエマ…絶対さ、私たちの話…」

 「描くつもりだよね…?」


 エマも知らなかった様で、呆れたようにため息を吐いている


 「……まあ、名前とかは変えるだろうし」

 「う、うん…」

 「あの子、大学の頃から百合大好きだからさあ」


 テーブルの上に置かれていたタバコを手にして、当然のように口元まで運んでいる。


 慣れた手つきでライターを付けてから、美味しそうに吸い込んでいた。


 「それで、理想のキスのシュチュエーションは?」

 「…別に何でもいいじゃん」

 「減るもんじゃないんだし、教えてよ」

 「そういうエマはどうなの」


 タバコを口から離したあと、愛来の顔に向かってふうっと煙を吹きかけられる。


 キツイ匂いと煙たさに、反射的に咳をしてしまっていた。


 「けほっ…何すんの」

 「確かに、言いたくないかもね」


 付けたばかりのタバコを灰皿に擦り付けてから、彼女が立ち上がる。

 定位置に置かれているルームキーを手に取って、こちらに背中を向けた。


 「じゃあ、私小鞠のところ行ってくるから」

 「え…?」

 「エレベーター、鍵ないと乗れないし」


 エマが部屋を出ていっても、先程の彼女の表情が脳裏にこびりついて離れない。


 珍しく寂しげな表情で、触れて欲しくなさそうに冷え込んだ瞳をしていた。


 どこか遠くを見つめた、初めて見る表情。


 そんな顔もするのかと、新たな一面に驚きながら、何か意味が込められているような気がしてならなかった。

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