第14話
ベッドの上に寝転びながら、そっと唇に触れる。生暖かい舌の感触を思い出すだけで、頬を赤らめそうになる。
夕飯後にしたエマとのキスを、忘れることができない。
初めてのキスはあまりにいやらしく、心地良くて仕方なかった。
「……ダメなのに」
好きな人以外とキスをしたらダメとわかっているのに、跳ね除けることが出来なかった。
ベッドから起き上がって、部屋の隅に置いていたスーツケースから猫のぬいぐるみを取り出した。
三毛猫と黒猫の小さなぬいぐるみはお気に入りなもので、寂しくならないように持ってきたのだ。
しかし高校生にもなってぬいぐるみを持ち運んでいることを知られたくなくて、時々スーツケースから取り出しては眺めて、また戻すを繰り返しているのだ。
「ちゅー……?こんな感じ…?」
片手に一つずつ猫のぬいぐるみを手にしてから、キスするように互いの口元辺りをくっつける。
軽く角度を変えながらキスをさせて、ぬいぐるみ相手に何をしているのだろうと我に帰った。
「ちゅーってあんな感じなんだ…」
「気持ちよかった?」
驚いて視線をやれば、ベッドルームの入り口扉にもたれかかったエマが、揶揄うようにニヤニヤとした笑みを浮かべていた。
「経験豊富なのに、あんなキスしたのは初めて?」
「ちがう……そういうことじゃ…」
言い淀んでいれば、エマの長い足がこちらに近づいてくる。
スーツケースの前で座り込んでいる愛来の元で足を止めてから、同じ目線になるように彼女も腰を下ろしていた。
「キスくらい平気だよね?」
こちらの返事も聞かずに、エマが愛来の額に口を付ける。
おでこを押さえながら、我慢ができずに頬を桃色に染めてしまっていた。
「…っすぐキスするじゃん」
「外国じゃキスくらい挨拶みたいなものでしょ」
「ここは日本だから」
愛来の反応がおかしいのか、エマはこうやって揶揄ってばかりくる。
拗ねながら猫のぬいぐるみをスーツケースに詰め込んでいれば、彼女によって奪われてしまう。
「飾っとけば?」
黒色の猫と、三毛猫が仲良く並んでベッドサイドに飾られる。
お気に入りなものだったため、見える所に飾ってもらえたのが嬉しかった。
お気に入りの猫2匹が新たに加わったベッドへ、再び寝転ぶ。
エマもこれから眠るようで、愛来の隣にゴロンと横になっていた。
電気が消された室内で、ふと気になっていた言葉を口にする。
「……あのセクシーな下着も、そうゆう時に着るの」
掃除をしているときに見つけた、数着のセクシーランジェリー。
暗闇で表情が分からぬ中、エマが返事をくれた。
「気になる?」
「…全然」
「私が着る時もあれば、相手の子が着る時もあったよ」
耳を背けるように背中を向ければ、背後からギュッと抱きしめられる。
ほのかに香るのはタバコの香り。
きっと寝る前にでも吸っていたのだ。
「ッ…なによ」
「愛来が来てからは一度も着てないけどね」
「だから、別に気にしてないって」
胸の柔らかさと、心臓の音が背中越しに伝わってくる。
可愛げのない愛来を安心させるように、エマは優しく頭を撫でてくれていた。
「本当強がりで、いじっぱり」
「知ってるよ…可愛くないって何度も…」
「けどそこが可愛い」
軽く身を捩るが、相変わらず離れない。
エマがそこまで力を込めて抱きしめていないことも、愛来が身を捩る際に少ししか力を入れていないことも。
きっと、互いが気づいている。
「……可愛いよ、愛来は」
可愛いなんて何度も言われてきた言葉のはずなのに。
何故か体温が上がってしまいそうなくらい、喜んでいる自分がいる。
可愛くない。見た目と違う。
だけどそれすら可愛いと言われたのが、初めてだったせいかもしれない。
背後から感じる視線に、愛来はいつもより早いペースで足を進めていた。
最初は気のせいかと思っていたが、間違いない。
人通りの多いところで足を止めれば、気配がピタリと止んだ。
スクールバッグの紐をギュッと握りながら、恐る恐る振り返る。
「…なに?」
しかし、振り返った先には誰もいない。
人はチラホラといるけれど、こちら見つめる怪しい人物は見当たらないのだ。
「気のせい…?」
昼間なため夜に比べれば恐怖はないが、それでも気分が悪い。
今日初めて気づいたが、一体いつからなのか。
今日が初めてなのか、それともずっと前から付けられていたのか。
恐怖心からサーッと血の気が引いていく。
悩んだ末に、家がバレるわけにはいかないとカモフラージュの為近くのコンビニに入った。
すると、途端にまとわり付いていた視線が消える。
「……もう、いいかな?」
5分ほど滞在してから、エマが好きなお菓子だけ購入して店を出る。
先ほどまで纏わりついていた視線は消えていて、ホッと胸を撫で下ろした。
帰ったのか、それとも愛来が気づかない所に隠れたのか。
「…こわ」
気持ちの悪い体験に身震いしながら、慌ててマンションへ逃げ帰る。
気のせいだろうと自分を宥めても、胸騒ぎは収まってくれなかった。
これほどまでにセキュリティがしっかりしているマンションで良かったと、有り難く思ったのは初めてかもしれない。
ルームキーを用いてエマの暮らす部屋の扉を開けば、優しくあの人が出迎えてくれる。
「おかえり、愛来」
「た、ただいま…」
呑気にアイスクリームを食べているエマを見て、ようやく肩の力を抜いた。
視線に気づいて以来、ずっと怖くて仕方なかったのだ。
「息切れてるけど何かあった?」
「…なんでもない」
もしかしたら気のせいかもしれないし、そもそもストーカーだと確信したわけでもない。
今回が最初で最後だろうという期待を込めて、無駄な心配は掛けまいとエマには言わなかった。
もしこれがエマの家ではなく、母親もいない実家での一人暮らし中だったら生きた心地がしなかっただろう。
どうして母親があんなにも愛来を一人きりにさせたがらなかったのか、改めて親心を理解する。
胸に手を当てれば、いまだに心臓が嫌な音を立てていた。
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