第12話


 暗闇の中、肌を弄る感覚を思い出して身震いする。

 布団を手繰り寄せて、フカフカの羽毛布団に包まっても震えは止まってくれない。


 時折、あの女性に触れられた感触を思い出す。

 本能的に感じた恐怖心は簡単には忘れられず、愛来を苦しめるのだ。


 「……エ…マ」


 手を伸ばしてから、隣に彼女がいないことに気づく。

 秘密の部屋に篭っている彼女は、夜の12時を迎えても部屋から出てこなかった。


 「…エマっ……」


 もう一度名前を呼べば、ベッドルームの扉が開く。

 疲れた様子で伸びをしている彼女は、愛来の様子を見て一目で異変に気付いた様子だった。


 冷や汗で張り付いた前髪を、優しく梳いてくれる。


 「…起きてたの」

 「…うん」

 「…また思い出した?」


 心配そうに顔を覗き込まれるだけで、途端に安心感に包まれる。

 

 エマの手の甲に指を乗せれば、そっと握り込んでくれた。


 「…もし隣に人がいるのも嫌だったら、私ソファで寝ようか」

 「……一緒がいい」

 「でも…」

 「いいから、このままギュッてしててよ」


 手に力を込めれば、返事が返ってこなくなる。

 

 ギシッとスプリングの音を立てながら、エマが隣に寝転んでいた。


 彼女の手の温もりを感じながら、今更ながらにセフレとはここで体を重ねたのだろうか、と考える。


 愛来と出会う前のことだから、知らなくて当たり前なのに。


 知らないことがあまりにも多すぎるせいか、胸がモヤモヤしてしまうのだ。





 

 学校で仲の良い女子生徒のことは決して嫌いではないけれど、話題に付いていけないことが多々ある。

 

 年頃の女子高生が話す内容といえば恋愛の話ばかりで、経験のない愛来はいつも誤魔化すことに必死だ。


 なるべく平常心を装って、興味がないフリ。

 ポーカーフェイスを貫いて、経験豊富のレッテルが剥がれないようにしていた。


 学校の休み時間。友人らはいつも通り、昼間に似つかわしくない話題で盛り上がっている。


 「キスの時さ、みんなどうしてる」

 「どうしてるって?」

 「自分も舌動かす?されるがまま?」

 「なにいきなり」

 「あんまりキス気持ち良くなくてさあ。今の彼氏とするの」


 当然、愛来がその話題に加わって良いアドバイスが出来るわけがない。


 興味がないふりをしてスマートフォンを弄ろうとすれば、名指しで話題を振られてしまう。


 「愛来はなんかコツとか知らない?」

 「ないしょ」

 「なにそれ〜絶対知ってるじゃん」


 内緒も何も気持ちいいキスの仕方なんて知るはずがない。


 そもそもどうして経験豊富だと思われているのか。


 自分からモテている自慢をしたことは一度もなく、なるべく同性から反感を買わないようにしているというのに。


 やはり、高校2年生なのだから恋愛の一つや二つした方がいいのだろうか。


 思いを通わせてから恋人を作って、共に体を重ね合う。

 大人になるにつれて段々と焦りも生じ始めているが、その相手がいないのだからどうすることも出来ないのだ。




 ウォークインクローゼットの中に仕舞われているセクシーなランジェリーを見つけて、愛来は一気に頬を紅潮させた。


 掃除がてらに荷物の整理をしていた際、偶然見つけた代物。


 おまけに数は幾つもあって、デザインだって様々だ。


 色違いのペアのものもあれば、大切な箇所を全く覆い隠せていないような…下着としての役割を何も担えないであろうランジェリーもある。


 日常使いではなく、そういった時にだけ付ける下着。


 以前の彼女はセフレが沢山いたのだから、その相手のために購入したものだ。


 「私のせいで、そういうこと出来なくなっちゃったんだよね…」


 愛来が来たからセフレを呼べず、関係だって全て切ったのだ。


 すっかり抜け落ちていたが、エマは性的なことにオープンな女性で。


 不特定多数と体を重ねることが平気な、貞操観念の緩い女性。


 高校生のお守りだって親戚から言われて、嫌々引き受けたのだろう。

 

 その罪悪感を少しでも緩和したくて、愛来はいつにも増して念入りに家事をこなしていた。

 




 シチューをグツグツと煮立てていれば、玄関の扉がガチャリと開く音が聞こえてくる。


 エマは友人とどこかへ遊びに行くと言っていたが、夕飯前には帰ってきたらしい。


 エプロンを外すのが億劫で、そのままの状態で出迎えに行く。


 「おかえりなさい」

 「…ただいま。帰ってきたら出迎えられるのも悪くないね」


 軽く頭を撫でられる。

 エマの方が背が高いとは言え、そこまで身長差はない。


 子供扱いされているのは明確だというのに、不思議と彼女の手つきは嫌じゃなかった。


 「これ、いる?」

 「なにこれ、マグカップ……?」


 渡された紙袋の中に入っていたマグカップは、愛来の好きな猫柄だ。


 取っ手の部分が尻尾の形になっていて、とても可愛らしいデザイン。


 両手でギュッと抱えながら、口元が緩みそうになるのを堪えていた。


 「いいの?」

 「猫好きなんでしょ」


 何気ない会話の一部を、彼女はきちんと覚えてくれていたのだ。


 さりげない優しさに心を温かくさせていれば、ある香りが鼻腔を擽る。


 「…っ」


 ベビースモーカーの彼女はいつもタバコの香りをさせていて、たまに愛用している香水の香りを漂わせている。


 しかし今のエマから香るのはそのどちらでもなくて、お風呂上がりのような石鹸の香りを纏っているのだ。


 爽やかで、純粋なその香りに心が掻き乱されていく。


 マグカップをもらって舞い上がっていた心が、一気に現実に引き戻されていた。


 「エマ、今日どこ行ってたの」

 「友達と遊んでた」


 それは本当に、ただの友達なのか。

 ウォークインクローゼットの中に仕舞われていた下着を、着させたくなるような相手ではないのか。


 「本当に?」

 「本当」


 しつこく尋ねてもはぐらかされるのは、愛来が子供だからか。


 それとも所詮、ただの従姉妹でしかないからなのだろうか。

 

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