第9話
無事にマンションまで送り届けた後、2人を乗せていた車は夜の街へと消えていく。
取り乱していたため、挨拶も出来ずじまい。
結局、彼が誰なのかは分かっていないままだ。
「あの人誰…?」
「私のマネージャー。愛来探すなら車のほうが良いかなって呼んだの」
「マネージャー…?モデルとかしてるの?」
チラリと、暮らしているタワーマンションに視線をやる。
夜になるとライトアップされた外観は、より高級感が増しているように見えた。
「私がモデル?ないない」
「じゃあ、何のマネージャー…?」
「
「なにそれ」
「Vtuber」
「Vtuberってなに」
更に質問を重ねれば、エマがそっと笑みを浮かべる。
ワードを知らない愛来を馬鹿にしているわけではなく、どこか嬉しそうな笑みだ。
「まあ、悪いことはしてないから」
「はあ?意味わかんない」
「わかんないことだらけだね。エッチの仕方も知らないし」
「…っ、別にそれくらいあるし」
強がって言い返せば、グッと顔を近づけられる。
彼女の端正な顔立ちがすぐ側にあって、咄嗟に視線を逸らした。
「へえ?」
「な、なによ」
「愛来はどういうエッチするの」
「…ふ、普通の。エマみたいに変態臭くないやつ」
そっと髪を撫でられた後、エマが愛来の手を取る。
そしていたずらっ子のように声をひそめながら、愛来の耳元で囁いた。
「私、好きな子とのエッチは優しいよ」
くすぐったさで、思わず身を捩る。
ポケットからタバコを取り出した彼女は、口元まで運んだ所で動きを止めた。
「…ここじゃ吸えないから、早く帰ろう」
手を取られて、一緒に歩き出す。
タバコとお酒が大好きで、貞操観念の緩いエマ。
本来であれば絶対に関わりたくない人種なはずなのに。
時折見せる優しさのせいで、愛来はエマを拒否することが出来ないのだ。
いつもより念入りに体を洗ってから、湯船に浸かった後風呂を出る。
胸元まであるロングヘアはドライヤーが大変で、正直言うと面倒くさい。
それでも今のヘアスタイルを気に入っているため、毎晩サボらずに丁寧にブローしているのだ。
洗面所を出た頃には、既に時刻は23時を迎えていた。
「さっきの男捕まったらしいよ。マネージャーから連絡あった」
「え…」
「常習犯だったんだって。それで…さっき愛来を襲った女の人も、もし愛来が訴えたかったら…」
「別にいい…未遂だし…そもそも大事にしたくないし…あれくらい大したことないから」
リビングの明かりを消して、ソファに寝転ぶ。
ブランケットに包まりながら、そっと目を閉じた。
「おやすみ」
「……寝心地悪くないの」
「ふかふかだから平気」
「…もし寒かったら、いつでもおいで」
足音が遠のいて、ガチャリと扉の閉まる音が耳を掠める。
暗闇の中目を瞑れば、自然とあの記憶が脳裏を過った。
「……ッ」
今日の夕方に愛来はこのソファに押し倒されて、体を無遠慮に弄られたのだ。
下着の中までは触れられなかったが、それでも愛来を怯えさせるには十分過ぎるほどの恐怖。
「…ッ最悪」
襲われた場所でぐっすりと安眠できるほど、愛来は図太くない。
どれだけ忘れようとしてもあの感触が、記憶から消えてくれない。
ギュッと下唇を噛み締めながら堪えようとするが、次第に涙まで込み上げ始めていた。
「……眠れない」
吸い寄せられるように、足があの場所へと進んでしまう。
ソファを出た愛来が向かったのは、エマが眠っているベッドルームの前だった。
扉の隙間からは明かりが漏れていて、まだ起きているだろう。
ノックをしようとして、中途半端に手を挙げたところで動きを止める。
あれだけエマのことを拒否していた手前、今更なんと言えばいいのか。
素直さを持ち合わせていないせいで、こういった時にどうすればいいのか分からない。
呆然と立ち尽くしていれば、ベッドルームの扉がゆっくりと開く。
「…っ」
「寒いから、一緒に寝よう……何もしないから」
足音と気配で、エマは愛来が来たことに気づいていたのだ。
素直になれない愛来を見兼ねて、そっと手を差し伸べてくれた。
その優しさに甘えて、ベッドルームに足を踏み入れた。
広いベッドの上に横たわれば、ふかふかなマットレスの感触が背中に伝わる。
やはり、ソファとは寝心地が段違いだ。
電気が消されて、暫く経った頃。
声を掛けてきたのはエマの方だった。
「……もう寝た?」
「…どうしたの」
「ルームキーは全部回収してるから、もう誰かが入ってくる心配はないよ。セフレとの関係も全部切ったから、この部屋に私と愛来以外が入ることもない」
「…うん」
「巻き込んでごめん」
暗闇の中で、必死に手を伸ばす。
手探りで見つけたエマの手を、ギュッと握り込んだ。
「…眠れないの」
「愛来……」
「ギュッてしてて」
返事の代わりに、エマの方から手を握り返される。
指を絡めた状態。彼女の熱が伝わってくるだけで安心感から瞼が重くなり始めた。
あれほど怖くて仕方なかったというのに、隣にエマがいるおかげで安心しているのだろうか。
目を瞑れば、心地の良い睡魔に襲われる。
久しぶりにベッドで眠っているからか。
隣にエマがいるおかげか。
すんなりと眠りに付けたのは、一体どちらのおかげだろうか。
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