第8話


 平日の夜にも関わらず、繁華街は人で溢れている。スーツを着たサラリーマンや、オフィスカジュアルの服装を纏ったOL。


 愛来と年が近いであろう高校生など、様々な人でひしめき合う街並みを一人でトボトボと歩いていた。

 

 実家に帰ろうにも鍵がなく、そもそも財布はおろかスマートフォンすら置いてきてしまった。


 「くしゅっ…」


 秋を迎えているせいで、肌寒い。

 部屋着のまま飛び出したため、纏っている服の生地は薄いのだ。


 強引に捲り上げられた部屋着を見るだけで、先ほど無遠慮に撫で回された指の感触を思い出す。


 途端に震えが込み上げてきて、見ないように視線をグッっと上にあげた。


 「寒いだけだし」


 同性に体を弄られたくらい、別に大したことない。

 そう思いたいのに、やはり本能的恐怖は拭えなかった。


 必死に力を込めれば押しのけられただろうに、出来なかった。


 欲を孕んだ目を向けられて、恐怖から血の気が引いていった。


 「やめて、触らないで」とか細い声で訴えかけることしか出来なかったのだ。


 本当は、エマが現れたとき心底安心したのだ。

 彼女の焦った表情を見て、安心感から更に涙が込み上げた。


 エマはあの女性に怒って、愛来を庇ってくれていたのに。


 動揺していた愛来は言葉を吐き捨てて、あの家を飛び出してしまったのだ。





 結局行き場のない愛来が辿り着いたのは、人気の少ない公園だった。


 繁華街の中でラフな部屋着でいると、それだけで目立ってしまうため誰もいないところを探した結果だ。


 ベンチに座りながら、そっと腕をさする。


 「前は、エマが迎えに来てくれたんだよな…」


 同性愛者だからとエマを避けた罪悪感で家に帰れなかった日も、愛来はこの場所に逃げてきて、彼女が迎えにきてくれたのだ。


 子供じみた偏見に囚われる愛来のことを、見捨てずに迎えに来てくれた。


 エマが悪い人でないと分かっている。


 分かっているからこそ、セフレを複数人キープするような良い加減な所が、余計に目についてしまうのだ。


 人気がない分、夜の公園はどこか気味悪い。


 何かトラブルに巻き込まれる前に移動しようと公園を出れば、黒いバンが入り口付近に止まっていることに気づいた。


 ゆっくりと窓が開いて、運転席に座っていた男性に声を掛けられる。


 「なにしてるの。家出中?」


 黒いトレーナーを着た男性の言葉に、本能的に警戒してしまっていた。


 ナンパとはまた違う、犯罪の雰囲気を感じ取ったのだ。


 こんな夜に、車から女性に声を掛ける男性がまともなはずがない。


 よく目を凝らせば、後部座席にもう1人男性が乗っていることに気づいた。


 下手に動けば連れ込まれるかもしれない恐怖で、バクバクと心臓が恐怖で早鳴っていた。


 「……い、いま帰るところで…」

 「送ってあげようか」

 「だ、大丈夫です…近いから…」

 「けど、女の子1人じゃ心配でしょ」


 ガラリと後部座席の扉が開いて、もう1人の男性が出てくる。


 咄嗟に浮かんできたのは、絶望感だった。

 体格の良い男性相手に、愛来が叶うはずがない。


 起こりうる未来を想定して、それでも抵抗しようと叫ぼうとした瞬間。


 「愛来!」


 耳に届いてきた声に、安堵から涙が込み上げてくる。


 体を引き寄せられて、守るようにギュッと体を抱きしめられた。


 「……おい、逃げるぞ」

 「待て」

 

 突如として現れた第三者の声は、怒気を孕んでいた。

 後部座席から降りてきた男性を勢いよく殴りつけている彼を、愛来は知らない。


 「いった…何すんだよ」

 「それ以上騒ぐなら警察呼ぶぞ」

 「チッ…くそ」


 殴られた男性が顔を押さえながら、車に乗り込む。

 そのまま発進してしまうが、段々とパトカーのサイレンの音がこちらに近づいていることに気づく。


 「警察もう呼んでるけどね。じゃあ、エマちゃんと…愛来ちゃんだっけ。送るよ」


 愛来を連れ込もうとした男性を殴りつけた彼は、先ほどとは打って変わって優しげな雰囲気を纏っている。


 エマと共に車まで案内されるが、あんなことがあった直後なため恐怖で乗り込むことができない。


 「愛来…?」

 「…この人、怖い人じゃない?」

 「大丈夫。私の知ってる人だから」


 だから乗って?と言われて、勇気を出して車に乗り込む。

 シートベルトを締めたことを確認して、愛来とエマを乗せた車が発進した。


 「ごめんね、私のセフレとの関係に巻き込んで…しかも危ない目に2回も合わせた」

 「別にあれくらい大したことない」

 「…本当、強がり」


 そっと頭を撫でられてから、優しく体を引き寄せられる。

 タバコの香りが鼻腔を擽り、思わず顔を歪めた。


 「近い…」

 「子供は黙って泣いてればいいの」


 トントンと背中を叩かれて、勝手に涙が溢れてくる。


 本当は嫌だった。

 体を触られることも、道を歩いているだけで勝手に写真を撮られることも。


 初対面の相手から、あんな風に強引に迫られることも。


 本当は全部、怖かったんだ。


 「…私、泣いてないから」

 「はいはい」

 「……っ、泣いてない」

 「どうやったらこの子は素直になるのかなあ」


 声を震わせて涙の雫をポロポロと流しているにも関わらず、それでも愛来は強がっていた。


 簡単に涙を流すから、舐められるのだ。

 この容姿のせいで、か弱い存在だと勘違いされて強引に迫られるのだ。


 だったら強くなればいいと必死に強いフリをしていたけれど、実際は違う。


 みんなの理想通りの女の子じゃないと必死に気を張ってきたけれど、本当は苦しかった。


 強がり続けて、弱音を吐ける強さを気づけば見失っていた。


 こんな風に誰かの前で涙を流すことすら、みっともないことだと我慢し続けていたのだ。


 「……あれくらい、どうってことない」


 説得力のない愛来の言葉に、エマは優しく頭を撫でてくれた。


 いつもからかってくるくせに、こういう時はそっと受け止めてくれる。


 エマから注がれる視線が優しくて、他の人のように可憐な女の子像を押しつけてこないからこそ、彼女に惹かれている。

 

 少しずつ心を開き始めているから、エマの前で涙を流せているのかもしれない。

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