第5話


 学校が終わっても、真っ直ぐに一条エマの元へ帰ることができない。


 帰ってくるなと言われたわけではないが、彼女を怒らせてしまった手前、気まずさから帰りづらいのだ。


 「…どうしよう」


 ファストフード店に入って、カウンターの一番隅っこに腰をかけて1時間。


 注文したドリンクは氷が溶けきって、水っぽくなっているためとても飲めたものじゃない。


 グルグルとストローをかき混ぜながら、どうするべきか考えている時だ。


 他にも席は空いているのに、何故か隣の席にサラリーマンが腰を掛ける。


 そして、馴れ馴れしくこちらに声を掛けてきたのだ。


 「ごめん、待たせた?」


 スーツ姿のサラリーマンが、制服姿の女子高生に声を掛ける。


 異様な状況に、目線を合わせずに言葉を返した。


 「人違いじゃ…」

 「タイプなんだよね」


 鞄を肩に掛けて、何も言わずにその場を立ち去る。


 制服姿なのだから、愛来が高校生であることは一目で分かるはずなのに。


 鼻の下を伸ばしながら言い寄ってくる大人に対して、本能が警告アラームを鳴り響かせていた。


 ファストフードを出て、トボトボと夕暮れ時の道を歩く。


 「…はあ」


 母親がどうして、頑なに愛来を一人にしたがらなかったのか。


 大事な一人娘なのはもちろんのこと。

 17歳の娘が悪い大人の餌食になる可能性を、十分に熟知していたのだ。


 以前、母親と二人で街を歩いていたときに、突然男性が母に声を掛けてきた事があった。


 『俺の先輩が娘さんのことタイプって言ってるみたいで、連絡先教えてもらえませんかね』と、あまりに予想外の言葉。


 母親は「ふざけないでちょうだい」と怒鳴り立てて、ナンパ男から愛来を必死に守ってくれた。

 

 人一倍目を引く容姿だからこそ、母親は過剰に愛来のことを心配してくれていたのだ。





 秋頃ともなれば、夕方には気温はすっかりと冷え込んでしまう。

 行き場のない愛来が辿り着いたのは、マンションから少し離れたところにある公園のベンチだった。


 時刻はもう18時。

 辺りは徐々に暗くなっているため、このままずっとここにいるわけにもいかない。


 しかし、どんな顔をしてエマと向き合えばいいのかが分からない。


 「お嬢さん、寒くないの」


 ナンパのようなセリフに身を縮こまらせたのは一瞬。


 すぐにその声が誰のものかに気づいて、驚きで顔を上げた。


 「なんで…」


 スラッとした体型の彼女には、トレンチコートがよく似合っている。


 綺麗なブロンドヘアが、辺りが暗いおかげで一際輝いているように見えた。


 「…っ」

 「もう秋だから寒いでしょ。帰らないの」

 「……寒くない」


 強がりな愛来の言葉に、彼女がそっと笑みを浮かべる。


 今日はカーディガンを着てこなかったため、すっかり体は冷え切っていた。


 そんな愛来の強がりを、きっと彼女は…エマは、気づいている。

 

 何も言わずに、腕をさすっていた愛来の肩にトレンチコートを掛けてくれた。


 「早く帰ろう」

 「…だって、私…」

 「なに」

 「今考えたら、すごい嫌な奴だったなって…」


 思い返してみれば、エマは親切で居候をさせてくれているにも関わらず、彼女がレズビアンというだけで警戒していた。


 一条エマと向き合わず、偏見から彼女と距離を置こうとしていたのだ。


 「……別にいいって」

 「でも…」

 「タバコ吸いたいの…早く帰るよ」


 手を取られて、エマが歩き出したタイミングで愛来も一歩足を踏み出す。


 手はすぐに離れてしまったため、温もりを感じられたのは一瞬だった。


 まだ完全に警戒心を解いたわけではないけれど、少しだけ彼女に歩み寄りたいと、夕暮れ時の道を歩きながら考えていた。






 冷蔵庫の扉を開けば、何とも殺風景な景色が広がっていた。


 「空っぽだ…」


 昨日は出前を取って、朝ごはんはオートミールを食べたため気づかなかった。


 あるとすればお酒の缶と、他にはウォーターインゼリーが綺麗に並べられている。


 酒のつまみと思われる副菜はあるが、とてもじゃないが栄養面を補えているとは思えない。


 冷凍庫を開けば、沢山の冷凍パスタが敷き詰められていた。


 「…なにこれ」

 「冷凍パスタ」

 「見ればわかる…これじゃあ栄養偏るよ」

 「サプリメント飲んでる。あと、栄養ドリンク」

 「水商売なんて体が資本でしょ!もっと大切に…」


 勢いで返した言葉に、エマが驚いたように目を見開く。


 後悔しても時既に遅い。

 

 触れていいか分からぬ話題に、気まずさからウロウロと視線を彷徨わせていた。


 「水商売…?」

 「あ…」

 「愛来、私が水商売してると思ってるの?」

 「だって、ニートなのにこんなに良い家に住んでるって…」


 段々と声のボリュームを小さくしていく愛来を見て、エマがおかしそうに笑い出す。

 

 訪れて2日目にして、ようやく彼女の笑った顔を見た。

 

 「残念だけど、私は夜の仕事はしてないよ」

 「じゃあ、なんで…」

 「言ってもわかんないって」


 タバコを咥えていたエマが、こちらに向かって煙を吹きかけてくる。


 咄嗟に顔を背けたため直撃せずに済んだが、はぐらかされてしまったことに変わりはない。


 相変わらず、掴み所がない。 


 エマが何を考えているかは分からないけれど、こちらに敵意や悪意が無いのを肌で感じられるから。


 何だかんだ、彼女のことを嫌いになれずにいるのかもしれない。

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