第4話
背中に感じる痛みに、愛来は思わず顔を顰めた。昨夜はソファで寝たのだが、やはりベッドに比べれば寝心地が良くない。
しかし、エマと同じベッドで眠るくらいならこれくらい我慢できる。
「3ヶ月か…」
その間ソファで眠る未来を想像して、耐えられるだろうかと不安が過った。
洗面所で顔を洗ってから、こっそりとベッドルームに忍び込む。
いまだ眠っているエマを起こさないように、物音を立てずにスーツケースから学校のセーラー服を取り出した。
都内では珍しいセーラー服で、赤色のスカーフが可愛いと巷でも囁かれている。
セーターやニットを着るくらいしかアレンジの施し用はないが、特に拘りも無いため不満はない。
さっと制服に着替えて、リビングで実家から持ってきたオートミールを頬張っていれば、寝癖をつけた彼女がベッドルームから顔を出した。
「…ねむ、朝早くない?……あれ、制服だ」
興味深そうにジロジロと見られて、思わず表情を歪める。
好奇心に満ちた視線が不快だったのだが、その態度がエマにはどう映ったのだろう。
「……意識し過ぎじゃない?」
「はあ…?」
「いくら愛来が可愛くても、こっちだって17歳の子供に欲情したりしないから」
「……っ、なんでそんな下品な言い方するの」
「昨日からずっと余所余所しい態度取られて気分悪い」
吐き捨てるような言葉に、グッと押し黙る。
6歳年上の美人に睨み付けられて、愛来にしては珍しく萎縮してしまったのだ。
「私は確かにレズだけど、愛来のことは絶対好きにならないし興奮もしないから安心して」
それだけを言い残して、エマは再びベッドルームへ戻っていく。
使用した食器をキッチンで洗いながら、どこか罪悪感に襲われていた。
愛来がエマを避けたのは、彼女が同性愛者であることを知っていたから。
ただ、それだけ。
自分は何もされていないにもかかわらず、それを盾にしてエマから距離を置こうとした。
先ほどの、エマの表情を思い出す。
「ちょっと、傷ついてた…?」
濡れた手をタオルで拭いてから、学校へ行くためにスクールバッグを引っ掴む。
「いってきます…」
声をかけても当然返事はない。
ジクジクと胸が痛むのは、自分の行動がひどく子供染みていたと理解しているからだ。
エマが同性愛者であることを知ったのは、愛来が12歳の小学6年生の頃。
当時はエマもまだ実家のある北海道で暮らしていて、長期休み中に一条家に足を運んだのだ。
そして、その時に偶然。
愛来は偶然エマの愛読書を見つけてしまった。
『エマちゃん、これなに?』
『女の子同士の恋愛漫画』
『そんなのあるの…?普通は男の子と女の子が恋愛するんじゃ…』
『いろんな世界があるんだよ。私も女の子が好きだし』
ちっとも隠さずに、エマはあっさりとカミングアウトをしたのだ。
衝撃的ではあったが、軽蔑をしたわけではない。
ただ、それまで恋愛は男女でするものだという固定概念に囚われていた愛来にとって、初めて聞く話はあまりに衝撃的で。
それまでどうやってエマと会話をしていたのかも忘れるほど、彼女が知らない誰かのように思えた。
距離感を掴めずに、よそよそしくなってしまったのだ。
そしてその機会を最後にエマは親戚の集まりに全く顔を出さなくなったため、二人の気まずい関係は5年もの間解消されることはなかったのだ。
学校へ向かうまでの間に纏わりついてくる視線は、慣れているつもりでも憂鬱なものだ。
見ず知らずのサラリーマンからジロジロ視線を寄越されて、目が合わないように視線を斜め下にやる癖が付いた。
到着すればそこまで仲良くのないクラスメイトに声を掛けられて、廊下を歩けば上級生や下級生から視線を送られる。
この容姿のせいで、どこにいても人目を引く。
「おはよう、愛来ちゃん」
教室に入ればクラスメイトたちが寄ってきて、愛来のご機嫌を取ろうと褒めてくる。
適当にあしらいながら、仲の良い女子グループの元まで足を進めた。
学校で愛来が気を許しているのは、仲の良いグループの3人だけだ。
「愛来今日遅かったね」
「いま親戚の家で暮らしてるから、最寄駅が変わって」
「え、イケメン!?」
「美人」
「なんだ、女の人か。じゃあ楽しそうじゃん」
女性同士であれば恋愛に発展しないのだから、目の前の友人のように警戒しないのが普通だろう。
だけど、愛来は一条エマの秘密を知っていて。
だからこそ警戒して、余所余所しくなってしまう。
「美人のお姉さんとか目の保養じゃん」
「うん…」
そのお姉さんと今朝喧嘩して家を飛び出したなんて、当然言えるはずもない。
何もされていないのに、意識するあまり失礼な態度を取ってエマを怒らせたのだ。
完全に非があるのはこちらで、愛来だって本心は後悔している。
一条エマとの距離感は確かに掴めないけれど、悪い人ではないことを知っている。
気に入られようと媚びてこない態度も、愛来にとっては新鮮だった。
どう接していいか分からないけれど、一条エマを嫌いじゃないのは確かなのだ。
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