第3話
見るからに敷居の高いタワーマンションの前で、愛来は立ち尽くしていた。
一軒家暮らしの愛来にとって、タワーマンションは全く縁のない建物。
新築なのか、それとも掃除が行き届いているのか。
ゴミ屑一つ落ちていない廊下を、スーツケースをガラガラと鳴らしながら歩いていた。
確かにマンションのナビはここで案内をやめているため、目的地に違いないというのに。
「嘘でしょ…?」
あまりにも大きすぎるし、新卒の23歳が暮らすには絶対に家賃も高い。
セキュリティもしっかりしているオートロックのマンションで、扉を開けてもらおうと彼女の部屋番号を押した。
『はい』
「私…星宮愛来だけど」
『いま開けるから。ロビーのソファにでも座って待ってて』
扉が開いた先には、まるで高級ホテルのようなロビーが広がっていた。
コンシェルジュが滞在していて、ソファとテーブルが隅の方に並んでいる。
ちょこんとソファに腰掛けながら、居心地の悪さを感じていた。
都内の賑やかさとは打って変わって、窓の外には花々や草木が生い茂っている。
実家は貧しくはないが、裕福でもない家庭だったためこの状況が落ち着かない。
借りられてきた猫のように大人しくしていれば、玄関とは反対側に位置する扉が開く。
「お待たせ」
ラフなTシャツとハーフパンツだというのに、相変わらず一条エマは綺麗だった。
ブロンドヘアに、カラコンもしていないのに可愛らしいブラウンカラーの瞳。
23歳になった彼女は、女性の愛来からしても綺麗な顔立ちをしている。
最後に会った時の高校生のあどけなさは抜けて、大人の女性に成長しているのだ。
「大きくなったね」
「まあ…小学生以来だし」
「とりあえず部屋行こう」
エマがカードを扉横のセンサーにかざせば、黒色の扉がゆっくりと開く。
中に入ればエレベーターが3つ並んでいて、同じようにエレベーター横のセンサーにカードをかざしていた。
「カードキーがないとエレベーターにも乗れないから」
「セキュリティ頑丈過ぎない…?」
「普通だって。ほら、乗るよ」
エレベーターに入れば、部屋の階を押す前にまたセンサーにカードをかざしていた。
「私の部屋があるのは24階ね。住んでいる階以外にはエレベーター自体止まらないから」
試しにエマが他の階のボタンを押してみてみせるが、24階以外のボタンは光を灯さない。
「…ここ、高いんじゃないの」
「そんなことないよ。駅近だとこれくらいする」
「いま、お仕事なにしてるの」
エレベーターが目的階に到着して扉が開く。そこに広がっていたのは、やはりホテルのような光景だ。
窓ひとつない廊下に、薄暗いけれど雰囲気のある照明。
床にはカーペットが敷き詰められて、先程よりもスーツケースが重く感じる。
慣れた手つきでカードキーをかざした後、エマが部屋の扉を開いた。
「今は…ニートみたいなもの」
「ニート…?」
お邪魔しますと言いながら、室内に足を踏み入れる。
室内は驚くほど広いわけではないが、一人暮らしにしては十分なスペースがある。
愛来の実家ほどのスペースがあるリビングに、他にも部屋が幾つかあるようだ。
荷物が散らかっているが、それを片付けてしまえばもっとゆとりが出るのではないだろうか。
「仕事してないの?」
「してないっていうか…正社員とか、そういう仕事ではない」
「は……?」
「じゃあ、とりあえずそこ座って」
指さされた場所はソファの上だが、洗濯物が散乱しているため戸惑ってしまう。
テーブルの上にはお酒の缶が散乱していて、室内もどこか埃っぽい。
換気をしていないのか、空気も重く感じた。
「ここ、掃除してる…?」
「あー…たしか先月に」
「1ヶ月も掃除してないの!?信じらんない…」
「だってめんどくさいし。ほら、いいから生活する上での約束事決めるよ」
洗濯や食事は各自で済ませること。
互いのプライベートにはあまり干渉しないこと。
そこまで仲良くない二人の同居生活の取り決めは、何とも余所余所しいものだ。
「掃除は私がやっていい?」
「寧ろお願いしたい…あ、でもそこには入らないで」
そこと指をさしたのは、リビングから右側に位置する部屋。
何故入ってはいけないのか、それを掘り下げる気にもなれなかった。
「わかった…」
「絶対よ。それと、私が静かにして欲しいって言った夜はあんまり物音立てないで」
先ほどとは違って意味不明な約束事に、首を傾げる。
「夜は絶対に」と言うならまだ分かるが、エマが静かにして欲しい日限定で物音を立ててはいけないのだ。
「……っ」
ふと、ある可能性を思い浮かべる。
働いていないニートなのに、この高級マンションに住める理由。
もしかしたら人には大きな声で言えない仕事をしているのではないか、と。
風俗か、パパ活か。
綺麗な容姿を活かしてそう言った仕事をしていたとしても不思議ではない。
しかし、敢えて気づかないふりをする。
あちらから言わない限り、ズケズケと聞くべきではないと思ったのだ。
「……分かった。じゃあ、3ヶ月の間よろしく」
「こちらこそ。これカードキーね」
渡されたブラックカラーのカードキーをポケットに仕舞い込んでから、直ぐにソファから立ち上がる。
洗ったかも分からない洗濯物を横目で見ながら、気になって仕方なかった言葉を口にした。
「部屋掃除していい?」
「いいけど…」
「掃除機とかってあるの」
「あー…たしか」
クローゼットから出てきた掃除機は、有名メーカーから新しく発売された最新のものだった。
「これ高いやつ」
「そうなの?貰い物だから…」
こんな高価なものをプレゼントしてくれる相手が、果たして健全なものだろうか。
これほど綺麗な女性なのだから、容姿をウリにして貢いでもらっていたとしても不思議ではない。
話題を深掘りせずに、さっさと部屋の窓を開いて換気をし始める。
掃除機を一通り掛けた後、テーブルの上に散乱していた缶ビールを袋に纏めていた。
その様子を、エマは洗濯物で溢れたソファから興味深そうに眺めている。
「愛来、家事得意なの」
「得意も何も、出来て当たり前じゃないの」
「可愛くないなあ」
言われ慣れた言葉を聞き流しながら、ソファの上に置かれた洗濯物を引っ掴む。
「…どうせ可愛くないよ」
可愛げのない性格だと、散々言われてきたのだ。
見た目と違う。
そんなに気が強いと思わなかったと、陰口を叩かれたことだって何度もある。
ドラム式洗濯機に洗濯物を放り込んで、ボタンを押してスタートさせる。
先ほどに比べたら綺麗になった室内に満足して、明けっぱなしにしていた窓を閉じた。
「あれ…」
リビングを除けば部屋は二つで、そのうちの一つは立ち入り禁止と言われているため入っていない。
もう一つの部屋はベッドルーム。ウォークインクローゼットにも掃除がてらに入ったが、ある物が見当たらなかった。
「…その…来客用の布団とか見当たらなかったんだけど、私どこで寝れば…」
「一緒にベッドで寝ればいいじゃん」
至極当然とばかりに言葉を吐くエマに対して、勢いよく首を横に振る。
その様子を見て、エマが分かりやすく顔を歪めた。
「無理」
「はあ…?」
「ソファでいい。さっき片付けたし」
「……なに意識してんの」
タバコを取り出してから、エマは慣れた手つきでライターの火を灯していた。
一口分軽く吸い込んだ後、呆れたようにため息を吐いている。
「ガキなんて相手しないから」
ソファに腰掛けながら、左手にはタバコを手にしているエマの姿はやはり綺麗だ。
憎たらしい言葉を掛けられているにも関わらず、ついそんな事を考えてしまう。
最後に彼女と会った時はエマが高校生だったため、当然タバコも吸っていなかった。
都内の一等地にあるマンションで、気怠げにタバコを吸うエマは、益々知らない誰かのように見えた。
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