第2話


 元読者モデルの母親は、娘の愛来から見ても綺麗な容姿をしている。


 歳を感じさせない若々しさも相まって、高校生の娘がいるようには見えないのだ。

 

 サラリーマンの父と結婚して以来は専業主婦として、毎日優しく愛来を出迎えてくれる。

 

 「ただいま」

 

 いつもだったら直ぐに「おかえりなさい」と返事が返ってくるところだが、今日はその言葉がない。


 不思議に思いながらリビングに通じる廊下を歩いていれば、珍しく狼狽えた様子の母親の姿を見つけた。


 「ママ、どうかしたの?」

 「あのね、落ち着いて聞いて欲しいの…パパが、事故に遭ったって」


 溢れ落とされた言葉が信じられず、足元が覚束なくなるような感覚に襲われた。


 父親が大阪で単身赴任をするようになって一年近く。


 たまにしか会えない父親の身に起こった悲劇に、冷静でいられるはずがなかった。

 

 「嘘でしょ…?」

 「本当…だから、これからパパのところ行ってくるね」

 「私も行く…だって、パパどうなっちゃうの…?死んじゃったら…」

 「あ、意識はあるわよ」


 あっさりと言葉を返されて、込み上げてきた涙が一気に引っ込んでいく。


 少しずつ落ち着きを取り戻してきたのか、分かりやすく現状を説明してくれた。


 「けどね、利き腕を骨折しちゃったらしくて…暫くの間生活するの大変だから、ママ、暫くパパの所に行くわね。話によると3ヶ月くらいかしら…向こうでビデオ通話するから」

 「人騒がせな…驚かさないでよ」


 怪我をした事に変わりはないが、命の危機に晒されているわけではない。


 ホッと肩の力が抜けて、つい唇を尖らせてしまう。

 部屋へ向かおうと足を進めれば、まだ話は終わっていなかったらしく腕を掴まれた。


 「なに?」

 「愛来をこの家で一人に出来ないでしょう?」

 「いや…私もう17歳だよ?高校2年生なんだから暫く一人でも…」

 「ダメ。何かあったらどうするの」


 母親はおっとりしているが、中々に頑固。

 特に娘のことになると尚更で、過保護な面が多々あるのだ。


 「優子に相談したらね、エマちゃんが暫く愛来のこと預かってくれるって」

 「は……?」


 落とされた爆弾発言に、再び言葉を失っていた。

 何も知らない母親は、楽しそうにおっとりとした口調で言葉を続けていく。


 「エマちゃんもう23歳よね?しばらく会ってないけど、いまは上京してこっちで暮らしてるらしくて…」

 「待ってよ。私とあの人、何年も会ってないんだよ。普通に気まずいから無理」

 「何言ってるの。エマちゃんあんなに優しいのに。優子がもう話通してくれてるのよ」


 一条いちじょう優子ゆうこは母親の妹で、愛来の叔母にあたる女性だ。


 そして、一条家の長女であるのがエマ。

 今年23歳の彼女が、今何をしているのかも知らない。


 大学生になったのを機に北海道からこちらへ上京してきた事は聞かされていたが、一度も会ってすらいないのだ。

 

 従姉妹とはいえ、6歳も歳が離れていることもあって決して仲が良いとは言えない。


 「迷惑でしょ」

 「あら、エマちゃんは是非って言ってるのに」

 「そんな…」

 「住所はさっきメールで送ったから。私はこれから深夜バスで向かうけど、ちゃんとエマちゃんの家に行くのよ?」


 手際良く準備を済ませて、母親はスーツケースを片手に家を出てしまう。


 エマの家に行ったふりをする考えも浮かんだが、万が一母親にバレたら間違いなくゲンコツものだ。


 「本当に住所送られてきてるし…」


 スマートフォンの画面を見つめながら、ため息が零れ落ちる。


 期限付きとはいえ、6歳年上で5年近く会っていない従姉妹との生活が上手くいくはずがない。


 これから起こるであろう未来を想像して、憂鬱でため息を吐いてしまっていた。






 

 スーツケースの中に下着や化粧水などの必需品を詰め込んでから、お気に入りの私服も追加していく。


 制服を一番最後にふんわりと置いてから、勢いよくファスナーを閉めた。


 「…めんどくさ」


 これからこのスーツケースを持って、一条エマの家へ向かわなければいけない。

 

 学校への通学時間も長くなって、仲良くない従姉妹との気まずい同居生活。


 楽しみのかけらもない生活の幕開けは、愛来の心を重くさせているのだ。


 




 なるべく人が少ないであろう時間帯を狙ったため、ラッシュに巻き込まれずに彼女の最寄り駅まで到着することが出来ていた。


 一夜明けても気分は晴れぬまま、スーツケースを片手に一条エマの家を目指す。


 辺りにはカップルや友達同士など、若者が多い。

 都内の一等地であるこの駅は、おでかけスポットとして休日は人で賑わうのだ。


 スーツケースをガラガラと鳴らしながら、地図アプリを頼りに足を進める。

 

 「あの人確か、今年から社会人だったよね…?」


 大学へ行くために都内に上京してきたとは聞いていたが、全く会っていない。


 仲良くない従姉妹なんて、所詮そんなものだ。

 

 どんな風に成長しているのか、たいして興味もない。


 きっとそれは向こうも同じだ。


 

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