シャボン玉は屋根より飛べない

ねも

シャボン玉は屋根より飛べない

「シャボン玉とんだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで 壊れて消えた」

 ぼくが一番初めにこの世界で聞いた言葉。ぼくを生んでくれた人が、そう歌ってた。ぼくは意味もわからないまま、歌声のままに揺れていた。なんだか楽しいお歌だなって思ってた。


 シャボン玉さんは、屋根にぶつかって死んじゃったの?

 いつのまにかぼくは、この歌が悲しいお歌だってわかった。でも、ぼくを生んでくれたあの人は、そうじゃないって言った。

「シャボン玉さんはきっと、わざと消えたのよ」

 死んじゃうのに?

「そうね」

 ぼくにはよくわからなかった。


 ぼくは大きくなった。大きくなったら、ヨウチエンという場所でたにんという人に会わなくちゃいけないらしい。たにんはみんな黄色の帽子をかぶって、ぴょんぴょんと遊具の間を走り回っていた。

「あなたも遊んでくれば?」

 ぼくは怖くて、体全体を大きく横に振った。だって、誰が誰か覚えられる気がしなかったんだ。それにぼくも帽子をかぶせられたから、見つけてもらえなくなっちゃうかもしれない。お母さんと呼ばれるその人の後ろから、たにんを見ていた。黄色、黄色、黄色、虹色。虹色?首をぐっと戻してさっき見ていた場所を見たけど、もうそこに虹色はなかった。

「ねぇ、この帽子、かっこいいと思わない?」

 代わりに視界の下にぐいっと虹色が入り込んだ。びっくりした拍子にぼくはうなずいていた。

「そうだよね! よかった、あなたがそう言ってくれて! ねぇ、一緒に遊ばない?」

 楽しそうに差し伸べられた手と、ふわりと弾む肩までかかった茶色の髪の毛。ぼくは迷って口をはくはくさせた。頭の上の黄色の帽子にどんどん勇気を吸い取られちゃううみたいだった。

「あ、もしかして、帽子が気になるの?」

 ぱーだった手を人差し指一本の矢印に変え、その子はぼくの頭をさした。ぼくはまた、びっくりしてうなずいていた。今度は焦ってじゃなくて落ち着いてうなずくつもりだったのに。

「作り方、教えてあげる!」

 もう一度差し伸べられた手を取りかけて、ぼくは隣のあの人の顔を振り返った。

「いってらっしゃい」

 その言葉にぼくはあの子と手をつないで、あの人の陰から飛び出した。

 その帽子、きれい。

 その子はふふっと笑ってありがとうと言った。

「でもね、みーんな変なのって言うんだよ? わたしの帽子見ても変な目しなかったのあなただけ。」

 ねぇ、どうやってその帽子作ったの?お花とか貼ったの?

「え、違うよ? 帽子とってみてよ」

 言われるままに帽子をとって、その子のと比べてみる。ぼくのより、うすっぺらい。

 もしかして、この黄色の布だけをとったの?

「お、大正解! ねぇ、きみもやろうよ!」

 でも、黄色の布の下って白の布だよ?どうやって虹色になったの?

「わたしもわかんない。 けど、かぶったまま太陽の下に行くときらきらして虹色になるんだ!」

 その子はくるりと一回転してまぶしい笑顔をみせる。太陽のように明るい笑顔と虹色だった。僕も、落ちていた枝を拾って帽子をいじる。

「うん、虹色だ! きれい!」

 ぼくからは透明にしか見えないよ?

「わたしもじぶんのは透明に見えるけど、きみのはちゃんと虹色だよ!」

 そっか....

「わたし、きみとなら虹まで飛べる気がする!」

 それはちょっと無理じゃないかなぁ..

「そんなことないよ! ね、これからよろしくね!」

 そう言って一緒に笑ったのがぼくたちの出会いだった。


 あの子と一緒に遊べるから、ヨウチエンは楽しかった。

「おはよう!」

 おはよう、今日は何して遊ぶ?

「虹まで飛んで行く作戦会議しよ!」

 ほんとに虹が好きだね。

「だってあんなにきれいなんだよ? 近くで見てみたいじゃん!」

 でも、虹ってほんとにあるの?だって、たまにしかいないじゃん。

「あるに決まってるよ! もしなかったら、わたしが描いてあげる!」

 それ、いいね。ぼくもやりたい。

「じゃあまずはあそこまで行く作戦会議だね! どっちが先にエンまで行けるか競争だよ!」

 え、それ作戦会議関係ないよ!

「何事も体力がないと始まらないのです! ほら、よーいどん!」

 ま、まってよ!

 毎日毎日、そうやってグラウンドで青空に空想を描いた。ふわふわと高く飛び、鳥や雲とお話をして..優しいあの子が作る優しい世界をぼくは毎日どきどきしながら見てた。

 でも、そんな日々はすぐに終わった。


 ぼくとその子はさらに大きくなった。待ち合わせをして向かうところは、遊ぶ場所ではなくみんなで勉強する場所になった。セカイというものについて勉強しないといけないらしい。

「最近、太っちゃったんだよねー....」

 ガッコウの入り口前で、その子は青空を見上げながらそう言った。

 そんなことないよ、きみはいつも素敵だよ

「そうかな..」

 そう語尾を濁しながらも言いつつ少し足取りが軽くなるあの子。それを見てぼくの足取りも弾む。

 いでっ

「いたっ」

 キョウシツと呼ばれるその部屋の入り口にぼくたちは頭をぶつけた。お互いを見つめて、同時に噴き出す。

「なんか、この場所、狭くなっちゃったよね。」

 小さいころは朝と夕方以外グラウンドで遊んでたもんね。

「そうだね.. いいな、わたしも遊びたい」

 窓から見下ろした小さな子供達は、みんな自由に遊んでいた。窓を開けても子供たちの声は聞こえない。遠すぎるからだろうか。

「この中がうるさすぎるんだよ」

 その子は微笑んだ。まだお昼なのに、その笑顔は月を連想させた。最近、その子は元気がなかった。ぼくにはなぜかわからなかった。

 もう、虹に飛んで行くための作戦会議はしないの?

「それは」

 その子はぼくを見て口を開いたけど、すぐにキョウシツの中に視線を向けた。しばらく無言でそれを見ていたと思ったら、そのままうるさい、と言ってうつむいてしまった。

 ねぇ、家にまだあの帽子ある?

 ぼくは笑ってほしい一心でそう言った。ぼくにはこの子の悲しさの理由がわからなかったから。

「あるよ? 懐かしいね」

 少しだけ、太陽が出てきた気がした。

 明日、久しぶりにその帽子かぶってこない?

「え、ほんとに?」

 ほんと。頷くぼくに彼女は笑った。太陽の方。

「いいよ、約束ね。 守らなかったら怒るからね?」

 指切りげんまんをつぶやいて、鐘の音とともにぼくとその子は自分の席に散った。


 次の日の朝、ぼくは鏡の前で帽子をかぶった。大きくなったぼくの体には少し小さくて、虹色は変わっていなかった。でも、あの子は帽子をかぶってこなかった。手にはもっていたけど。

 なんでかぶってないのさ。はりせんぼんのませちゃうよ?

 からかってそう聞くと、その子はうつむいたままゆっくりと帽子をかぶった。その姿にぼくは、なにも言えなかった。

「ごめんね、もう、虹色じゃなくなちゃった」

 その子の顔は真っ白だった。昨日までの丸っこくてあたたかな空気をまとったあの子はどこにもいなかった。残されたのは、触れると氷のように冷たい目の前の女の子だけだった。あっけにとられるぼくを無視して、その子は帽子を外し、僕に手渡す。

「きみは、いつまでも虹色でいてね」

 待って、なんで急に..!

 その子はうつむいて、そして言葉を絞りだした。

「急じゃないよ。 みんなそうだった」

 みんなって、キョウシツの子たち?

 うなずくことなくその子は微笑んだ。

「勉強しても勉強しても、世界って案外嫌なことが多かったよね」

 わからないけど..確かに、そうだったかもしれない。

「そしたら、みんなも、痛くて、硬くなっていっちゃった」

 ぼくは..知らなかった。

「あなたは私より強いから、平気だったんじゃないかな」

 ぼくは、強くないよ。きっときみよりのろまで愚図だから、気づけなかっただけで

 目の前のその子はゆっくりと首を横に振る。

「私があそこで生きるには、これしかなかったんだよ」

 顔を上げたその子の目から涙がこぼれた。白いその子から流れた涙には虹色がさしていて、それが最後だった。

 その後、ぼくがあの子の虹色に出会えることはなかったし、教室の入り口に頭をぶつけるのはぼく一人になった。それに気づいてしまったんだ。気づいてしまえば、あの子と同じ。この姿ではここにはいられない。


 シャボン玉とんだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで 壊れて消えた....実際、天井にぶつかったって消えなかったけれど。

 そんなことを思いながらぼくを生んでくれたお母さんと視線を合わせる。

「どうしたの?」

 ..シャボン玉は、飛んでるときが一番きれいだね。

「そうね」

 あのさ、ありがとう。もう、わかったよ。

「..ごめんね、最初に聞かせたのがあんな悲しい歌で」

 そんなことないよ。全部、ほんとだった。

「そっか」

 世界中の人たちが凍ってしまっても、ぼくだけは最後まで虹色でいよう。優しいあの子の優しい空想をのせて一人でとんでしまおう、屋根まで。虹まで届かなくても、ぼくが虹でいるから。




 一人の少女が屋上でシャボン玉を吹いている。

「かぜかぜ吹くな シャボン玉飛ばそ」

 少女の三つ編みを風が揺らす。シャボン玉が散る。

「こら! 勝手に屋上に行っちゃだめって言ってるでしょ!」

 少女が振り返った先には白衣の女の人。

「ほら、戻りますよ」

 シャボン玉を片付けた少女はおとなしく後ろをついていく。

「屋根までとんで 壊れてきえた」

 階段の前で振り返った少女の眼前に広がるのは、雲一つない青空と一筋の虹だった。

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