最終章 13.月食

 あれから何日経ったんだろうか。毎日このひんやりとした暗い場所で過ごしている。鉄格子がある小さな窓だけが日中の明るさと時の流れを教えてくれる唯一の方法だった。


 石畳の牢獄と言っても簡易的なベッドや地下に流れる川と繋がるトイレや井戸があり、食事も日に1回渡されどうにか生活できる程度には過ごしていた。


 父親もここで過ごしていたのだろうか。今はどこにいるのかさえも分からない。

 俺って結局父さんとは、ほとんど何も話してないんだよな。実久のおかげで向こうは色々俺のことを知ってくれてはいたみたいだけど。せめてこうなる前にもうちょっと話してみたかったな。


 母さんもどう過ごしているんだろう。俺と一緒に捕まったから何か悪い事でもされてるんじゃないかって心配になる。けど、ここで狼狽えたって何も出来ない。なのに不安で心配事しか浮かばない。こんな暗くてじめじめして冷たいところにずっといると、何もかもマイナスなことばかり浮かんでくる。そうならないヤツなんていないだろ。こうならないヤツの方がよっぽどおかしいんじゃないかってマジで思う。


 鉄格子がはめ込まれた小窓から夜空を見上げる。

 その景色に少しだけマシな気分になれる気がするんだ。


 そんな真っ暗な空には、無数の星がばらまかれたかのように散りばめられている。

 あの時、俺をこの世界へ連れてきたあの不思議な球体のように。


 鉄格子の隙間から、いつもの月を眺める。

 今夜はどうやら満月みたいだ。


 ――そう、約束の月食の日だ。


「始まったな……」


 じーちゃんが言ってたこの世界と地球が繋がるタイムリミットの日。


 月がどんどんと赤く燃え盛っていく。


 毎日増えていく月の黄色の面積を眺めながら、青くて綺麗な惑星へ帰れる日を待っていた。そして、その日が今夜だった――。


 実久、帰ってくれるかな。あいつのことだ。まさか帰らないとか言うんじゃないかってすごく心配になる。けど、もうここからじゃアイツに何も言うことなんて出来ない。考えれば考えるほど色々マイナスなことばっか浮かんできて、自分の頭ん中がぐちゃぐちゃでやばい。


「あーーーマジで、泣きたくなるんだけど!」


 実際何度も泣いた。あんなにカッコよくみんなの前でを選んだけどさ、結局は泣いてるわけだ。後悔とかしてるわけじゃない、けど、けどさ、泣けてくるんだよ。もうみんなに会えないのかって思うと。心底情けねぇ奴だなってつくづく思う。でもさ、やっぱみんなの前じゃ泣きたくねぇじゃん。男のプライドって奴? 実久にもぜってー見られたくない。けどさ、実久もゼファーも両親も周りも、誰一人いないからさ、気にせず泣けた。それだけが救いだったかもなと思う。


 鉄格子をぎゅっと握ってあの赤褐色の月を眺める。鉄も空気もひんやりとして冷たい。


 もし俺が今夜日本へ帰れたとしたとしても、あの両親とはもう一生会えなくなるかもしれない。かと言って帰らない選択をしても、じーちゃんとも会えなくなる。次の月の引き合いは35年後だから。重力のせいでこの世界の1年が、地球で17年も経ってるんなら、計算上地球では595年も経ってるはずだ。正直言って笑えてくる。ありえねぇだろ。595年とかさ。地球ってまだ存在してんのかなってレベルだし。俺とか52歳だしさ、それに帰れたとしてもさ誰も知ってる人いないじゃん。じーちゃんも実久も……、みんないない。


 はっきり言って迷ってた。どっちかだなんて選べるわけないじゃん。だからさ、こうなって良かったんだ。どっちも選べない未来。こうなることが定めだった。そう思ってる。いや、そう思うことにしてるって言えばいいのか……。


 あの時あの広場で誰も死ななかった。それだけですげー事したじゃん俺。まるで勇者じゃん。みんなと会えなくなってもさ。あーくそっ。


「なんでだよ……」


 なんでまた泣けてくるんだよ。ずっと考えてた、じーちゃんのことを。教えてくれよ。18年ずっと一緒にいたじーちゃん。俺を育ててくれたじーちゃん。大好きな縫製の事もたくさん教えてくれたじーちゃん。俺に怒って笑って泣いてくれたじーちゃん。


「もう会えないっていうのかよ……」


 月から目を離した。下を向くと、やっぱり涙が足元に落ちて来る。……皮肉にも、これが重力っていうやつだ。


 じーちゃんが未来から来たってほんとかよ。じーちゃんが一体なんで日本の未来からこの世界に来て、世界を統一したのか俺には分からない。けどさ、信じてんだ、俺。じーちゃんのこと信じてる。あの黒髭のマーヴィスっていう奴が言ってた世界征服とか、詐欺師とか、ぜったい有り得ないだろ。そんなことじーちゃんがするわけないじゃん。


 これからどうなるんだろ、俺。死ぬのかな。殺されるかもな。けどさ、もし、もしさ、望みを持ってもいいんなら、この世界で普通に生きられることが出来るんなら、じーちゃんがこの世界で生きるはずだったその世界で必死に生きたいって思うんだ。ほんとはさ、そんな姿をじーちゃんに見せたいんだけどさ。けど、それってやっぱ無理だと思うから、どこかで見てくれたらいいんだけどな。あの夜空でキラキラしてる星のどこかからとかさ。


 空をまた見上げた。


 月食が終わる。


 ぼうっと光る月明かりがこの牢獄の窓からまた強く差し込む。


「終わっちまったな……」

 

 もし願ってもいいなら。


 ブリッジ教の月の導きが本当にあるなら。


 俺を導いてくれよ、月の神様。


 またあの明るいところへ――



「泣いているのか……?」


 振り向くと、俺と同じ容姿を持つ男性がもっと泣きたくなるような優しい目を向け、あのローブ姿で立っていた。


 

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