最終章 14.精霊とんぼ
「なんでここに……」
狭い鉄格子の窓から夜空を見上げていた息子は、驚いた顔で僕にそう言った。その姿はまるで少し前の自分のようで乱れ切っている。僕と同じ色の瞳は潤い、真っ赤だった。きっと泣いていたに違いない。慌てて目をぬぐうその姿に胸がぎゅっと締め付けられる。僕が今、こんな息子に出来ることは――
「ダガーの計らいで先程牢獄から出してもらえたんだ。リキラルトのおかげだよ。ほら、このローブもちゃんと約束通り返してもらったしね。1年前に1歳の君に巻いたローブを18歳の君からね」
「そか、良かった、ほんとに良かった……。ダガーは分かってくれたんだな……。俺さ、じーちゃんがさ、そのローブをなんで持って来てたのか最初全然分かんなくて。けど、そのローブにきっとたくさんの想いとか思い出が詰まってたんだなって知った時、その……、父さんに、ちゃんと返さなきゃなって思って……」
少し恥ずかしそうに僕のことを父さんと呼んでくれた。
「ああ、本当にありがとう。僕はリキラルトのおかげで兄弟笑ってまた過ごせる時をもらえたんだ。父上は僕の解放に未だに反対はしているけれど、弟が仲介してくれると言ってくれていてね、頼もしい弟だよ。リニアは父の命令で弟と共に過ごしてはいるが、僕を裏切るようなことはしないと言ってくれている。だけど弟は今夜、一つ確かめたいことがあると言ってきてね。君の祖父、リュウシン法王の事だ」
「今夜ってまさか……」
僕は思う。君の祖父は本当にすごい人だったと。きっとあの場にいた誰もがそう思っているだろう。もし僕がリュウシン様の立場なら、その事実を受け止められるだろうか。
「そう、今夜はあの月食。リュウシン様とあの森で会って来たんだよ、ダガーとリニアもね。サバンさんに、ミクちゃんとゼファー君にルディも来ていたよ」
「え……!?」
「ダガーから聞いたんだ。あの森で1年前、君達が消えたあの場所でまた同じことが今夜起こると。リニアから聞いたみたいだ。君も連れて行こうと色々計らってはみたんだが、急なことで父上の目を盗む事がどうしても出来なかった。すまない……」
「いや……、もう覚悟は出来てたから……。その、じーちゃんは元気だった……?」
リキラルト、君がどんな覚悟をしようとも君を17年間一人で育ててくれた祖父にもう二度と会えないその過酷な現実は、誰もが想像できない程の苦しみだろう。
「リュウシン様は……、元気そうだったよ。未来から来た件を聞いたが、混乱を招くような事はどうしても言えずにいたこと、この世界の未来を案じ、統一によって救える未来を作りたかったと……。父上が言うような悪人ではなかったと僕達はそう結論を出した。君達をここへ連れてきた機材は君が住んでいた時代にあるべきものではないらしく、リュウシン様が未来の知識を使い、月食に合わせてミクちゃんの父親と協力してこの世界へ再度訪れるために作った特別なものとのことだった。そんな待ちわびた月食もリュウシン様が生きているうちはもう二度と訪れないと……。すぐにでもミクちゃんの父親と一緒に処分をすると言っていた。だからもう……」
今夜のリュウシン様は、僕が最後に見たあのお姿から、20年の時が経っていた。
「……そっか。なんとなく分かってたんだ。もう会えない気がするって。この世界に来た時からさ……。俺の頭の中パニックだし、考えても分からないことだらけだけど、あんな優しいじーちゃんが悪い事なんてするわけないって、それだけはずっと最初から分かってた……。俺はさ、これって結構いい未来なんじゃないかって思ってる。だってこうやって父さんはダガーと分かり合えたし、ここに無事でいるし、母さんも悪い事されてねぇなら、万々歳じゃん。みんな生きてる。この世界が今後どうなって行くのか分かんねぇけど……、俺が例えこの世界で死んだって、意味ないことなんて一つもなかったって、俺は信じてる」
あのリュウシン様に聞かせることが出来たらと未だに思う。この成長した君の姿を。
「リキラルト……、僕は今後弟と協力し、世界を支えていく。君はもうすぐここから出られるはずだ、約束する」
僕は君に黙っていることがある。
だけど、一生伝えないと約束したんだ、あの老いたリュウシン様と。
「実久は……、実久は帰ったんだろ……?」
「ミクちゃんの父親もリュウシン様と一緒に迎えに来ていたよ。けれど……彼女は……」
慌てて鉄格子に駆け寄って来た息子の顔からどんどんと血の気が引いていく。予想していたのだろうか。彼女の答えを。僕と同じ色の瞳から涙が一気に溢れた。彼が下を向くと、ぽつぽつと雫が足元に滴り落ちた。
「嘘だろ……」
「……彼女は君の帰りをずっと待っている。ここで」
リキラルト、君がもし、未来を知ることが出来たとしたら、どの選択をするのだろうか。
「……俺は酷い奴だ。だって、だってさ……、こんな感情になるだなんて、酷い奴だなって父さんも思うだろ……? あいつはいつも俺の傍から離れようとしないんだ、いつもいつも……俺を困らせるんだ……。なのにさいつも俺、嬉しいんだ……。あいつが地球へ戻ってないんじゃないかってずっとひやひやしてたのに、ここに残ってんじゃないかって期待もしちまって……。そう考えるとさ、俺のほうがあいつに頼ってんじゃん……。アイツは俺を救ってくれたんだ、何度も、何度も……。今だって……。ほんとにすごい奴だなってずっと思ってて……」
「リキラルト、君はもう分かっているはずだろう? その気持ちをただ真っすぐに伝えればいい」
素直になれないところはダガー似なのかもしれないな。見た目は僕にそっくりなのに。
下方から水の流れるせせらぎが優しく響く中、時折何かに水が激しくぶつかる音が近付いてくる。
「りっきー、りっきーー!!」
予定通りその小舟がここへ到着したようだ。
そこから響く元気で明るい声。きっとそれは息子の大好きな声なんだろう。
「実久! なんで……。ゼファーも……」
「りっきー、また泣いてるぅ!」
「な、泣いてねぇ……」
「リキト君、君はいつまでもお子様だね」
「お前だってあの時ベッドの上で泣いてたじゃねぇか、俺知ってっからな……ああ、くそっ! 俺は泣いてねぇ!」
小さな穴が空いている井戸部分から下を覗き込み、彼らに必死に訴えている。
息子の強張っていた体から力が一気に抜けたように先程よりも多くの涙が溢れている。腕で一生懸命にぬぐい、必死に堪えようとしている健気なその姿がとても愛おしく感じた。
ミクちゃんの前では強くありたいんだよな、分かってるよ、リキラルト。
「実久、いつまでも待ってるから、りっきーがそこから出てくる日! ずっと、ずっと待ってるから!!」
「お前はマジでどこまで突き抜けてんだよ。……実久っ! 俺がここからもし出られたら……、その時は俺とずっと死ぬまで一緒だからな……!」
「……うん!!」
泣いて笑う息子の笑顔が彼女へ向けられている。
彼らはこれから大きな未来を創る。
そしてまたその未来に飲み込まれ、何度だって繰り返す。
その事実を彼らは知らない。
だけど、二つの世界にとって、それは大きな意味を持つ。
例え誰も知らないとしても。
例え無駄な事に見えようとも。
「リュウシン様から君への伝言だよ。
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