3章 10.求めた再会

 何やら台所で咳き込んでいる声が聞こえてきたから、そっと部屋の戸を開けて覗いてみるとその咳の主は息子だった。

 どうしたのかしら、心配だわ、大丈夫かしら。近くにいたゼファーが健気に息子の背中をさすってあげている。広くなってしまったその背中を。


 18歳の男らしい姿となって、突然森の中から現れたと思ったら、いきなり倒れてしまって、それも女の子まで背負ってるじゃない。ほんとにびっくりしたわ。


 ……ああ、良かった、咳が止まったみたいね。けれども顔を真っ赤にした息子が、「見てたのか……!? しかもその言葉、使い方間違ってるから……!」と何やらゼファーに必死な様子で言ってはいるけれど。もう心配はなさそう。

 そっとまた戸を閉じて部屋の寝台の上に腰かけ、真っ暗な森を窓越しに見つめた。さわさわと木々が風で揺れている。


 あの森で息子が倒れた後、ずっと目を覚まさなくて、心配で心配で。ゼファーに話を聞く限り、「疲れと寝不足が原因だから体を休ませてあげれば大丈夫ですよ」と言っていたけれど、それでも心休まらずで。息子がスースーと可愛い寝息を立てて寝ている姿をずっと見つめていたわ。その顔がとても可愛くて愛しくて。この間まで赤子だった息子の面影もそこに確かにあった。それにレスミーに本当にそっくりで。まるで彼を見ているみたいだった。だって彼と今の息子は3つしか歳が違わないんだもの。もちろん最初は信じられなったわ。でもレスミーと生き写しのようなその姿を見た瞬間、一瞬でその事実を飲み込んだ。


 あの月食の夜から約1年。あなたはこの1年でずっとずっと大人に成長して、きっと色んな経験をしてきたのね。それにこんなに元気で可愛いミクちゃんまで傍にいるだなんて。彼女もよほど息子のことが心配なのね。息子が倒れて寝ている時、何度も「りっきーまだ起きないのかな」と何度も様子を見に来てはゼファーから何度もこの部屋から引きずられるように連れ出されていたわ。ゼファーもきっと親子水入らずの時間を私に譲ってくれたのね。そんなゼファーも「彼は見た目こそレスミー様とそっくりですが、口が悪く少々荒っぽいです。ですがあなたと似て、とても縫製力が高いようですね。それに根は優しい男ですよ」とふと笑って言っていたわ。縫製の技術力も高くて、少し皮肉屋で警戒心が強いあのゼファーがそこまで言ってくれるなんてすごいことなんだから。


 リキラルト、あなたとたくさん話したい事があるわ。その17年分をね。けれども、あなたは私となんて話したくもないかもしれないかと思うと、怖いの。


 あの月食の夜、私があなたの人生を変えてしまった。父の人生さえも。私があの時もっと他の方法をとっていれば、あの場であんな行動をしなければ、また何か違った人生をあなたに与えられたはずでは、といつも思うの。何も分からず時間の流れが違う世界に行ってしまって、両親がいない世界であなたは17年何を思って生きていたのだろう。手紙に書いていたように、きっと父が私の代わりに幸せに育ててくれたんだと思うわ。けれど、やっぱり、苦しかったんじゃないか、辛かったんじゃないか、泣いていたんじゃないか、そう何度も後悔して胸が痛むの。この17年間、側にいなくてごめんね、本当にごめんね……。


 大きくなったあなたが寝台で可愛く寝息を立てていた時に、そっとその金色に輝く髪をかき上げて、額に手を当て、その暖かな体温を肌で感じてみたの。あなたの温度がこの手に響いてくるたびに、涙が込み上げてきた。


 「ごめんなさい」と何度謝っても、悔やみきれなかった。あなたと過ごせなかったこの17年間を許してほしい。そう言ったらあなたは何を思いますか、リキラルト――。



 2回コンコンと戸を叩く音が聞こえて、ハッと我に返った。


「ちょっと話、出来ますか……?」


 信じられないことに息子の声だった。焦りながらも慌てて立ち上がり、上ずった声で「はい」と返事をした。するとゆっくりと戸が開き、入って来た。私の身長を1年で15センチ程超えた息子が。


「リキラルト、どうしたの……?」


 恐る恐る息子へ投げ掛けてみた。そんなリキラルトはなぜか少し照れ臭そうな様子で口を開いた。


「今までちゃんと話出来てなかったなと思って、その、母さんと……」

「え……」

「今まで俺、こんなにみんなが、母さんが、不安で怖い思いをしながらここで暮らしてたのに何も出来なかった。それも17年もだ。……ごめん。俺、ちゃんと話したいんだ。この17年分を母さんとさ。このまま色々怖がってばっかじゃやっぱだめだなって思って。で、話、してもいいか……? 今までのことを」

 

 息子がその潤いを帯びたレスミーと同じ色の瞳で、私を真剣に見つめてくれていた。優しくはにかんだその表情で。


「何、言ってるの……、当たり前じゃない!!」


 気が付くと、嬉しさのあまり、息子にしがみつくようにして泣き崩れていた。

 するとその大きくなった腕でそっと私の体を包み込んでくれた。息子の体温から暖かさと優しさがまた染みわたって、もっと泣けてきてしまった。子供の前でこんなに号泣するなんてほんと恥ずかしい親だなって思う。けれど、いいじゃない、だってこんなに会いたかったんだから。話がしたかったんだから。


「……正直言うとさ、4つしか歳も離れてねぇし、まだ母親がどんなものかも実感もわかねぇし、恥ずかしいって言えばいいのかな……。でも言わせてくれねぇかな。……母さんって。って、もう言ってるけどな」


 照れた笑顔とその言葉に、嬉しすぎて返す言葉もない程にコクコクと頷くだけで、ずっと涙が溢れていた。「ありがとう、ごめんね」色んな言葉が次々に頭に浮かんでくる。けれどもこの腕の中が暖かすぎて、優しすぎて、ずっとただ泣くことしか出来なかった。こんなに泣きじゃくる私の背中を息子は優しくずっとさすってくれて、落ち着いて話せるまでずっと待ってくれた。しゃっくりも鼻水も止まって、涙がまだ少し出ていたけれど、ようやく落ち着けそうだと思ったら、私の顔を覗き込んだ息子の顔が優しすぎてまた泣いてしまった。馬鹿だなと思う。正直言ってどうなの、こんな親。頼りない母親でごめんね、リキラルト。


 やっと落ち着いて、二人で寝台に座ると、それから息子はチキュウという世界で暮らしたその17年間をたくさん話してくれた。勉強のことも、生活のことも。父の事も、仕事のことも。ミクちゃんとの事も「あいつはちょっと不器用だけどさ、いつも真っ直ぐに頑張ってる凄い奴だよ」と楽しそうに笑って彼女との思い出もたくさん話してくれた。ミクちゃんのことがとても大好きなんだなと思ったわ。

 父に私やレスミーのことも聞いていたみたいで、ずっと死んでいたと思っていたみたい。父はこの世界に息子を連れてくる予定はなかったみたいだったし、ついポロっと「もしかするとリキラルトは、チキュウで幸せに暮らした方が良かったのかもしれない」そう息子に伝えてしまった。この世界へ息子を連れて来ないと決めていた父は、父なりの考えがあったんだろうと思う。けれど息子はこう答えてくれた。「俺は母さんと出会えてよかったって思ってる。今はここに来たこと、後悔なんてしてないから」と。またポロポロと目から雫が落ちてしまった。息子は仕方ないな、という顔で困った笑顔を見せてくれている。その微笑みはレスミーとそっくり過ぎて、見とれてしまう程だった。すると息子はゆっくりと口を開いた。

 

「俺、レスミーさん、いや……父さんやルディさんを助けたい」

「え……?」

「俺はずっと両親なんていないと思ってた。けど、違う。今、目の前にいる。助けたいって思える人がいる。この世界に来る前さ、俺のやってることとか、じーちゃんのやってる仕事のこととか否定してきた男がいて、お前のやってることなんて意味がないって言われて、すごく悔しくて、でも返す言葉もなくてさ。思わず殴ったことがあったんだ。それからずっと俺悩んでて……。あの男に言われたその意味ってもんをずっと探してた。全ての行動の意味を」

「リキラルト……」


 息子は目を伏せて、少しうつむき加減で、悲しそうに告げた。けれども次の瞬間、ふと顔を上げた。


「けどさ、さっき実久からこれもらった時気付いたんだ。実久に教えられたんだ、自分の気持ちに正直に生きるってこと……。ほら、アイツって面白すぎるぐらい真っすぐ過ぎるだろ。時々とんでもない事件起こすのは勘弁してほしいけどさ」


 息子の手には、見覚えのあるぬいぐるみが大事そうに握られていた。私になんでもいいから布がほしいと言い出したミクちゃんが、ここに来てからずっとちくちく一生懸命作っていた、あのウサギのぬいぐるみだった。


「実久が子供の頃、よく泣いてた時期があってさ、元気になれるかなと思って、俺、うさぎのぬいぐるみ、作って渡したことがあって。それですっげー喜んでくれてさ。だからあいつも元気がない俺に同じことしたって言ってきて、これもらって。その時思い出したんだ。実久があの時、あの頃の俺が作ったひでぇウサギを見て、嬉しいって言ってくれたから、今の俺がここにいるんだって。……意味があるとかないとかさ、誰にも決められることじゃないと思うんだ。もしかすると、どうでもいいことなんじゃないかって。一生懸命意味を探す必要あんのかなって思って。ただ会いたい、ただ救いたい、ただ、やってみたい……。これだけでいいんだって。だから、俺は……、俺なりにやりたいことやろうって思って」


 とても真剣な眼差しだった。私が離れていたこの17年間、目の前にいる成長した息子はきっと想像以上に色んなことを経験している、そう思った。この17年間の溝を埋めるにはまだまだ時間が足りなさすぎる。それに父親であるレスミーにも隣にいてほしい。息子と3人で笑ってたくさん話がしたい。だけどレスミーはずっとあの城に囚われたまま。私達を助けてくれたルディも。こんな弱い私達に何か出来ることがあるというの?

 

 ……けれど、息子が言っていた。助けたいと。これは私達の願い。私達の思い。そこに意味なんてなくていいって。


 息子はふとうさぎのぬいぐるみを見つめると、強い意思を込めたその表情で、私の顔へ視線を戻した。


「俺に考えがあるんだ」

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