3章 9.ただ、それだけ

「りっきー?」


 実久の声だ。ドアの向こうから聞こえてくる。そのドアを背もたれにしたまま、泣き疲れて眠ってしまっていたみたいだ。視線の先にある窓の外を眺めると明るい夕日が部屋中へ差し込んでいた。


「実久か……」

「入りたい……部屋に」


 少し遠慮がちなその声が届き、立ち上がり開けると、実久が部屋にとぼとぼと入って来た。少し緊張したような表情だけど、なんだかはにかむように恥ずかしそうにしていて、少しうつむき加減だ。


「りっきー、大丈夫……?」


 きっと目が腫れてるんだろう。実久が下方向から見上げるように俺の目をじっと見つめてくる。


「……俺、何も出来ねぇなと思ってさ」


 思わず実久から視線を外し、下を向きそう答えた。足元は自分の気持ちとは裏腹に明るい夕日色に染められていた。


「りっきーはいつも実久をたくさん助けてくれてる。何も出来ないなんてことないよ。実久、分かってたよ。実久のこと、いつも気に掛けたりしてくれたりして、すごくすごく優しくて。そんなりっきーが勉強も、仕事のお手伝いもたくさん頑張ってるから、実久も頑張ろうって思うんだ」


 実久がひとつひとつ必死になって一生懸命言葉を伝えてくれているのが分かる。


「りっきー、あのお城から逃げてきた時からずっと悲しかったよね……。ずっと、ずっと一人で我慢してたよね。実久ね、いつもりっきーに何も出来ないけど、元気になってもらえる方法ないかなってずっと考えててね、それでね、前ね、りっきーが実久にしてくれたこと、すごく嬉しかったから、今度は実久がりっきーにプレゼントしたら喜ぶかなと思って……」

「プレゼント……?」


 そっと手渡されたのは、手に乗るほどのつぎはぎだらけのウサギのぬいぐるみだった。コットンやウール、様々な素材でつなぎ合わせて作られているカラフルなパッチワーク風のウサギ。それもガタガタだ。耳の部分も、脇の部分もほつれてるし、はっきり言って出来栄えはよくない。まるで実久そのものだ。色とりどりの表情をいつも俺に見せてくれて、様々な感情を俺に与えてくれる。喜びも困難も全部。そんなデコボコで、ガタガタしている可愛いくてほっとけないいつも側にいてくれるウサギ。


 思い出した――。


――ほら、お前いつも泣いてるばっかだからさ、それやるよ。それで元気出せよ。

――……これは、うさぎさん?

――ああ、俺がフェルトで作ったんだ。お前なんかうさぎ好きそうだなと思って。

――おめめが赤いボタンだ……!! かわいい……!! すごい!!

――そうか……?

――うん、すごい!! こんなこと出来るリキトくん、すごい!! 

――そ、そんなに言わなくていいって!

――お名前りっきーって付けていい? 

――ああ、いいけど、なんで?

――リキト君が作ったからりっきーなの! ありがとう……!!


「りっきー、実久がいつも学校で泣いてた時、ウサギさんのぬいぐるみくれたでしょ? すごく嬉しくて、実久もウサギさんプレゼントしたら喜ぶかなと思って! リニアさんにハギレもらって作ったんだよ。りっきーみたいに上手には作れないけど……。リニアさんに教えてもらいながら作ったんだ~。あの時もらった可愛いりっきー、今もおうちにあるよ! この世界にも連れて来たかったな~」


 ああ、そうだ、この顔だ。嬉しそうな実久の顔。


 あの時からだ。実久が俺のことを『りっきー』と言い始めたのは。

 

 実久が小2の時、前しか見えなくなる性格と、元気が良すぎる性質が相まって、筆箱や教科書はいつも机から落としたり、よくクラスメイトとぶつかって給食の食器をひっくり返したりしていた。色んなことが不器用過ぎてみんなから煙たがられて、仲間外れにされてる時があった。実久はわざとしてるわけじゃなかったし、本人もどうしていいかなんて分からなかったみたいだった。だけど俺はそんな真っすぐで元気な実久が好きだったし、泣いてる実久をどうにかしたくて、元気になれるようなことないかなと思って、いつもうさぎみたいな髪型してるから、フェルトを使って手縫いでうさぎを作った。あの時の俺はまだ全然縫製も上手くなくて、ガタガタででこぼこだった。今握っているこのウサギのように、こんな風にきっと。


 俺が作ったあのフェルトのぬいぐるみ。あれからだ、あれがきっかけで『俺、もっと縫い物上手になりたい! 教えてくれ!』とじーちゃんに言ったんだ。

 そうだ、そうだった――。


「俺はぬいぐるみかよ……」


 気が付くと、実久を強く抱きしめていた。


 俺の腕の中で「こ、このりりりりっきーはぬいぐるみじゃないけど、で、でもあのぬいぐるみはりっりっきーで……」とぶつぶつ言っている。暖かい実久の体温でこんなに心が落ち着けるのかってこの時初めて知った。


 俺は実久からもらったあの時の笑顔と嬉しさがあったから、もっと縫製が上手くなりたい、もっと喜んでもらいたいって、あれから頑張れたんだ。あれから始めたんだ――。そしてどんどん好きになっていった。


「りっきーはここにいるだろ?」

「……うん!」

「お前のおかげで思い出した……。俺がやりたい事に、意味なんて最初からなくてよかったんだ。俺は誰に何を言われようと、反対されようと、拒否されようと、したい事をとことんやる、それだけだ――」



 この後台所で水を飲んでいたら、ひょっこり現れたゼファーに「君達はついに一選を越えたようだね」と言われて、吹き出した。

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