1章 8.そんなファンタジー世界は幻想で
朝起きると、隣で寝ていたゼファーの姿も実久の姿もない。
実久は一応年頃の女だからか、生前ゼファーの夫婦が使っていたという寝室に案内され、一人で寝るよう言われていたが、「嫌だ! りっきー達と寝る!!」とどうしても言うので6畳程の部屋に3人で寝ていた。
この部屋にはもちろんシングルサイズほどのベッドが一つしかない。困った男共二人は、仕方なくベッドを実久に渡し、床で寝る事になった。
夫婦の寝室で俺かゼファーが寝ても良かったんだけど、ゼファーと実久を二人きりで寝かせるのはぜってーやだし、かといって実久と俺が二人きりで寝るのもどうかと思い、ゼファーには一緒に俺と仲良く床で寝てもらったわけだ。
ちょっと、いやだいぶ申し訳ない。毎晩の事となるとちょっと不憫なので、どうにか解決したいところだな……。
床からむくりと起き上がるとつんつん頭が重いしボーっとする。そして足の筋肉痛。この見た目からか、何かスポーツしてそうなんてよく言われるけど、被服デザイン科に通うぐらいだし、俺は真っ向な文科系だ。運動はめちゃくちゃ苦手ではないが、得意でもない。ぴりぴりと痛む太ももにムチを入れるように立ち上がると、外から聞きなれた声が聞こえた。実久だ。
「おっしゃーー!! 満杯だぜ!」
「そうそう、その調子。だいぶ掴めてきたね」
窓から覗き込むと、隣にはゼファーが立っている。胸元が結構、いやかなり強調されている淡いピンクのロングドレスに身を包んだ実久と、井戸の前で二人で立ち、水を汲み上げているみたいだ。昨日のポニーテールもほどき、学校でいつもよくしていた二つに分けて高い位置で結んでいる。いや、その恰好にその髪型、どこからどう見ても不釣り合いじゃないか?
そんな様子を見ていると、どうもゼファーに井戸の使い方を教えてもらっているらしい。その場所でこのとげとげ頭を洗い流したい衝動に駆られ、黒の重たいブーツを履き、昨日走り過ぎた足を引きずるようにふらふらと外へ出た。
「あ、りっきー! おはよーー!!」
「相変わらず朝から元気だな……。俺はまだ頭がボーっとしてて……。ちょっと頭洗わせてくれ」
「んじゃー下向いてー?」
「こうか……?」
下を向いた瞬間に嫌な予感がよぎる。だけども時既に遅し。頭の後ろから滝のように勢いをつけた冷たい水が一気にかかり、目も一気に覚める。分かっていたはずだ、こうなることが。下を向いていたのに、勢いが有りすぎたせいで下着も靴下も全てがびちょびちょだ。頭がまだよく働いていなかったとしても、実久に頼んだ俺が完全に馬鹿だった……。
「うわっ、ごめん! でも髪の毛、元に戻ったよ! クロウドもカッコよかったけどやっぱ普通のりっきーもかっこいい!!」
「水もしたたるいい男に仕上げてくれたんだな……」
そんな元気過ぎる実久に怒る気もせず、げんなりとしながらそう呟いたら、突然ゼファーがふっと笑い始めた。
「くッ……君達いつもこんなおかしなことやってるの……? まるで夫婦みたいだね。君達どんな関係なわけ?」
「ふーふっ……!?」
突然実久が体を硬直させ、顔を赤らめたかと思うと、下を向き急に口ごもった。
「おかしなこと言うなよ! 俺達はただの幼馴染で……」
まだ笑いが止まらないのか必死に声を押し殺しながら「冗談だよ」と言っている。するとゼファーの隣にいる実久が「フーフというものはそのっそのっ、相思相愛というものでっ、一つ屋根の下で一緒に時を過ごし、食事も一緒で、そのそのっ、夜も一緒にベ、ベッドで……」とまたぶつぶつと地面に向かって言い、一人であちらの世界へ行っている。
確かに俺達は傍から見れば仲がいい方だ。ずっとじーちゃんと俺は実久の家族には世話になっているみたいだし、いわゆる家族ぐるみの付き合いだ。実久とも就学前からずっと一緒に育ってきた。小学校から高校まで一緒なんだ。付き合ってる? なんて聞かれることも何度かあったけど、そんなこと思ったこともないし、実久だってそうだろう。友達というより世話の焼ける妹のような存在だ。実久の世話が出来るのはあいつの両親と俺ぐらいじゃないかってマジで思う。
「ちょっと着替えてくるわ……」
びしょびしょになったままぐちょぐちょになったブーツで足を踏み鳴らしながら家へ戻る。昨晩は暗くてよく見えなかったが、周囲の建物はこの家だけで、すぐ隣には大きな木が数多く並び、どこまでも深い森みたいだ。俺達が昨晩逃げて来た森なのかもしれない。
家に入り、昨晩ゼファーに貸してもらった洋服にまた着替え、下着も濡れてたから脱いで窓際に置いて干す。この世界の下着があと数枚欲しいところだな……。下着一枚買うのにもお金が必要だろうし、この世界でまず生きて行くためには仕事をしなくてはいけない。どこの世界でもこれは一緒だな、ったく。仕方なしにノーパンでボトムスを履く。わりぃゼファー。
着替えてゼファーの部屋から出ると、玄関と繋がる足踏みミシンがある部屋へ繋がる。そこへ二人が外から戻って来た。ゼファーが水の入ったバケツを台所へ持っていきながら口を開いた。
「昨日から思ってたけど、君達二人とも髪の色も顔の作りも全然違うんだね」
「……別にいいだろ」
こういうのは散々言われ慣れてるけど、その度にムッとしてしまう。日本の中では俺はいつもこの見た目だけで目立ち過ぎていた。
「あ、ごめん。そんなつもりで言ったんじゃないんだ。クード語も喋れないみたいだし、どこから来たのかと思ってね。特に彼女の顔立ちはこの辺りじゃ珍しいから気になってね」
「実久の顔ってめずらしいの?」
きょとんとした顔でゼファーに尋ねている。確かにゼファーも俺も、生粋な日本人の実久と違って、同じような西洋人の顔立ちをしている。
「そうだよ。だからあまり目立つようなことしちゃだめだよ。目をつけられちゃうからね。特に魔女狩りの人達に」
「魔法も使っちゃダメなの?」
「魔法? 君って面白い事言うね。使えるなら僕だって使ってみたいよ。でもそんなのはおとぎ話の中だけだし、それにそんな素振りを少しでもしてるだけですぐに牢獄行きだろ。魔女裁判にかけられると無罪になることはほぼないし、火あぶりの刑で人生終わりじゃないか」
「ええええええええ!!!!」
実久が絶叫した後に床に手を付き、頭をガクンと垂れ、びくともしなくなった。珍しく無言だし、かける言葉さえもない。頭に高く結んでいる二つ結びの黒い髪も同じようにだらんとしている。
あんなにはしゃいで魔法が使えると思い込んでたからな。それもそうだよな。誰だってこんな状況になれば、魔法の一つや二つ、使えるはずだって思うはずだ。俺だってちょっと思ったぐらいだ。それこそがアニメ大国を背負う日本人ってもんだろう。それに実久のような2次元大好きっ子なら余計そう思うだろうな。
「……彼女、大丈夫?」
「ああ、今はそっとしておいてくれ……。なあ、さっき言ってたクード語っていう言語、みんな使えるのか?」
少し引き気味な……いやかなり引いているゼファーに、まだ下を向き続けている実久をちらっと横目に見ながら、気になっていたことを尋ねてみた。
「ああ、この辺りの人達は使えるよ。ここは元々クード王国だからね。未だにキーブルド語を使えない人も多いからクード語を喋っている人もかなり多いよ。3国が統一されてからまだ25年しか経っていないしね。わざわざ世界共通語を作るだなんて、前の法王はすごい方だったなとよく思うよ。世界を1年で統一もしちゃうしね」
なるほどな、段々と分かってきた。じーちゃん達と別れた場所にいたあの甲冑集団は多分クード語というのを喋てったわけか。実久が訪ねた民家の人も。道理で何語かさえも分からないわけだ。でも、なんでこの世界の共通語が日本語なんだ……?
「さて、君の縫製技術を見せてもらおうかな」
「ああ、何をすればいい?」
ゼファーは足踏みミシンの前にあった、年季の入った無垢材の丸椅子に座り、近くにあった白い布のハギレを手に取ると、俺達の世界で言う、いわゆるアンティークな黒いミシンを慣れた手つきで踏み出した。試し縫いをするかのようにただステッチを入れている。
電気がなくとも動く足踏みミシン。その動作を見ていると、これほど画期的で便利な機械はないんじゃないかといつも思う。
「まずは僕が縫ったようにやってもらえるかな」
言われた通り椅子に腰かけて、ミシンのペダル部分を右足でそっと踏む出す。その動作に合わせて卓上のミシンが一針一針ゆっくりと動き始めた。
じーちゃんの仕事場に年季の入った足踏みミシンがあったから時々使ったことはあるけど、使い慣れていないミシンは、ペダルを押し込む力加減の要領を掴むまでが難しい。今まで足踏みミシンなんて頻繁に使うことはなかったし、何と言ってもあの世界では電気で動くという便利なミシンがある。この足踏みミシンだと足はずっと踏み続けないといけないし、慣れていない分、余計に使いづらい。それに学校じゃ職業用ミシン、家ではじーちゃんの工業用ミシンを使わせてもらっていたし、それらと比べると動作スピードもパワーもかなりこのミシンは劣る。
けれど、ここでしっかり縫えるところを見せておかないと俺達の死活問題だ。実久に毎晩野宿なんてさせたくねぇし、危険な目にあわせるわけにもいかない。
「……もういいよ」
「え、もういいって……」
ゼファーのそっけいない声に少し焦る。何か変な事仕出かしたか? いや、ただミシンを動かして少し試し縫いをしただけだ。そのはずだ。実久が難しいといつもギャーギャー騒いでいた縁取り縫いもしてないし、折り伏せ縫いさえしていない。これがテストだというのか?
魔法無しの世界から立ち直ったのか、いつの間にかゼファーの隣に実久が立っていて、こちらを見つめていた。すると無表情のその青年が透き通るような青い瞳を向けて呟いた。
「……君は確かに縫えるようだ」
「ほらーー! 言ったでしょーー!? りっきーはすごいんだって!」
なぜか実久が得意気で鼻高々になっている。
「これだけで分かるのか……?」
「君の手の動きや指の使い方を見ればどれだけ縫ってきたのかだいたい分かるよ。一応僕は縫製ギルドの一員だし。とりあえず一時の間、僕の手伝いをしてもらおう」
「助かる……!」
「ちなみにミクちゃんも縫えるのかな?」
「縫える!!」
目をキラキラさせながら右手をバッと勢いよく上げたかと思うとこの即答具合だ。
「いや、実久は……」
俺の経験上、「縫える!」と自身満々で言う奴は結構な確率であまり縫えないことが多い。いや、実久が悪いと言っているわけじゃないが……。そう思ってる最中に既にミシンの前へ座って、実久はペダルを踏み始めた。
「……ミクちゃん、もう大丈夫だよ。真剣さは誰にも負けないみたいだね」
案の定、スタートした直後にストップをかけられた。実久もこのミシンには慣れていないはずだ。真っすぐ縫えているのかさえも怪しいレベルで、もう少しで指まで縫ってしまいそうな勢いだった。ゼファーがすぐに止めなかったら俺が止めに入っていただろう。
「……実久もお仕事、手伝える?」
珍しく恐る恐る聞くその姿を見て、実久自身も世話になるからには、ゼファーへ恩返しをしたいんだろう、そう思った。けれど、やっぱり実久の技術はまだまだだ。
「そうだな、君はリキト君の仕事を手伝ってくれると嬉しいよ」
「おっしゃぁぁぁぁ! 実久は今日からりっきーのアシスタントになりましたぁぁ!!」
ガッツポーズをしながらいつもの笑顔を振りまいている。さっきの落胆ぶりからのこれ。ほんとにこいつは百面相だな。
しかしゼファーめ、うまいこと言って切り抜けやがったな。その涼しそうな顔には、実久の世話はちゃんと君がやれと書いてある。まあいつものことだから慣れてるけど。
「……ゼファー、ありがとな。世話になる」
するとふっと笑って「君には2倍頑張ってもらわないとね」と言った。
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