ミニマムはマキシム外伝 武蔵野うどんと七福神

特技は穴掘りナノ

第1話 ミニマムはマキシム外伝 武蔵野うどんと七福神

  俺の名は、星野敬太、原発の核燃料になる前の下ごしらえの、

硝酸ウラニル溶液を、沈殿槽にバケツで、流し込む作業に、

臨界事故に合い、精神体になってしまった。


 (詳しくは本編をお読みください)


 今は、キョウという惑星で、なんとダンジョンマスターをやっている。

ダンジョンマスターと言っても、洞窟でモンスターバトルをしているのではなく。


 ほとんど街づくりをしている、判り易く言うと、シム○ティみたいなものである。


 今回は、その中でうどん屋を出店しようと思っている。


 一店舗は、讃岐うどんに決まったが、対抗のもう一店舗が決まらない。


 博多うどんを候補に挙げたが、うどんが柔らかい、

あれはあれで、うまいのだが好みでない。


 ならいっそ固めの、吉田うどんにしようとしたが、ちょっと年寄りにはきついか?

そうだ、武蔵野うどんがあるじゃないか。


 武蔵野うどんは、食べた感じがワシワシとしており、

讃岐うどんの、ツルツルに対抗するのに、ぴったりだ。


 とりあえず、うまログで検索をかけてみると、

本格手打ちうどん、か○たろうがヒットしてきた。


 うまログの点数も結構高い、とりあえず地図を片手に探してみることにした。

途中なんかでっかい石のオブシェと階段がいっぱい見えた。


 なんだこれ? 名前を見ると角川武蔵野ミュージアム、

営業時間10時から18時までとあった。


 うどんを食べて、時間が余ったら中を覗いてみようかな?


 角川武蔵野ミュージアムから、約1kmのところに、

お目当ての、か○たろうはあった。


 中に入ると、有名人の色紙がある、バ○ナマンとか高○純次さんとかある。

頼んだのは、勿論武蔵野うどんの代名詞である、極太うどん。


 食べると、結構な硬さ、でも癖になりそうな味、

うちのモンちゃんたちが好みそうだ。


 そもそも、なんで武蔵野うどんいうんだ? 教えてくくるさん。


 くくってみると、東京都北西部の多摩地域から、

埼玉県西部にかけて広がる武蔵野台地及びその周辺地域で、

古くから食べられてきたうどんとある。


 よし、出店候補として、登録をしておこう。


 せっかく武蔵野まで来たんだ、うちのモンちゃんたちにお土産でも買って行ってやるか。


 おお、これなんかいいな、紅○堂 コーヒー大福、値段は1個172円か、

こっちも、いいかも、吉○寺MATSUHIRO、金箔入り吉祥寺辣油、90g1296円を購入した。


 これらはすべて、武蔵境駅直結の「ころくや武蔵境店」で買える。


 さあ、そろそろ帰ろうかと思っていたら、店員から声を掛けられた。


 「お客さん、武蔵野のおみやげかい?」


 「そうだが、何かあるのか?」


 「武蔵野七福神はもう行ってきたかい?」


 「武蔵野七福神? そんなものあるのか?」


 「武蔵野・吉祥寺エリアにある寺社をめぐる約9キロメートルのコースだよ」

 「そこに、パンフレットあるから、暇だったら行ってみな」


 パンフレットを見ると、「武蔵野吉祥七福神めぐり」と書いてある。


 武蔵野・吉祥寺エリアにある6つの寺社、7つのご神体をめぐる七福神のコースで、

約9km、徒歩で約3時間と書かれていた。


 ほうなかなか面白そうだな、一丁散策をしてみるか。


 パンフレットによると、どこから周ってもいいが、

武蔵境からだと、杵築大社→延命寺→武蔵野八幡宮→安養寺→大法禅寺→井の頭弁財天

が、お薦めと書いてある。


 まず最初は、杵築大社か、パンフレットによると「恵比寿神」をお祀りしているのか、

江戸時代初め、松江藩主松平直政によって建てられ、千本イチョウが社殿をお護りしており、

高さ10メートルのミニ富士と3つの池があり、病気平癒の祈願で信仰されたそうだ。

 

 へ、恵比寿神って、商売繁盛や大漁追福、五穀豊穣などのご利益の神じゃなかったか?

 まあいいわ、お祈りしておこう。


 つぎは、延命寺か、なになに「毘沙門天」と「寿老人」の2つのご神体をお祀りしているのか、

おお、一気に2体とは奮発だな。


 江戸時代1670年(寛永10年)の開山。入口に、阿形と吽形の金剛力士像がそびえ立ており、

境内に入ると、毘沙門天と寿老人の像が立っていた。ちゃんと立て札があり、どちらかは判る。


 なぜか、社殿の前に平和観音像があった。パンフレットによると、

このエリアは空襲で被害が大きかったので、平和への祈りを今に伝える為と書いてある。

おお、そうか合掌。


 で、3番目は、武蔵野八幡宮で、「大國様」をお祀りしているのか、

789年(延暦8年)、坂上田村麻呂が宇佐神宮の分霊を勧請したのが始まりであり

もとは水道橋付近にあったが、江戸時代に明暦の大火を受けて、

住民たちの集団移住と共にこの地に遷座した。


 ふんふん、なるほど。


 4番目は、安養寺か、おお武蔵野八幡宮のすぐ隣じやないか、「布袋尊」が祀られているのか、

1624年(寛永元年)開山。本尊は、不動明王で、境内の布袋尊はやさしそうな顔つき。


 ちなみに梵鐘は、江戸時代の作で、大晦日には除夜の鐘を撞く人で賑わうのか。


 5番目は、大法禅寺で、「福禄寿」をお祀りしているのか、

1634年(寛永10年)開山の禅寺。開創当初は現在の六本木にあったが、

1932年(昭和7年)に現在の地に移転。

他にも、吉祥観音像、お徳地蔵様の像も立っている。


 最後が、井の頭弁財天で、当然「弁財天」が祀られている。

井の頭弁財天は、天慶年間(938-946)に関東源氏の祖・源経基が、

弁財天女像をこの地に安置したのが始まり。


 その後、1197年(建久8年)に源頼朝が、

東国の平安を祈願して宮社を建立したとされいる。


 さらに、鎌倉時代末期に新田義貞が戦勝祈願に訪れ、

江戸時代には徳川家康も家光も訪れたことが伝えられている。


 ちなみに、徳川家光が鷹狩りに訪れた際に、

湧水がほとばしるように出ているのを見て、「井の頭」と命名したとされている。


 うん、今回は中々勉強になった、たまには散策も良いもんだなあ。




 

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