3.唯に振り回されている夏樹

 「待って、良くないよ。唯が元気になれば一時のこういう感情は落ち着くと思うんだよね」


 夏樹は声を振り絞った。

 手足がガタガタ震えている。

 

 唯は夏樹に伸ばそうとしていた手を元に戻した。


 「そうだよね。おかしいね、私。夏樹をこんなに怖がらせて」


 怖いわけなじゃいんだよ。ただ、緊張しちゃってね、と夏樹は言いかけたところで止めた。


 「私は、病気になってしまってね。仕事を失い、子供は週末に会うだけなの。胸にぽっかり穴が空いてね」


 唯は初めて他人に本当の事を話した。


 「話してくれてありがとう、唯。ただ、夫婦の事は話し合ったほうがいいよ」


 「こればっかりはなるようにしかならないから、話し合ってもあまり意味はないと思う。夏樹のところは?」


 「私?うーん、時々?」


 「時々はあるんだね。羨ましいかも」


 自分の事を話して、唯は肩の荷が下りた。




 

 ***

 



 唯の病気は寛解状態となり、子供は小学生になるタイミングで引き取った。

 唯を休めるためにも、蓮は金曜日は義母の家にお泊まりさせることにした。宿題を持って。


 今日も唯は夏樹のマンションにいる。


 「夏樹」


 「どうしたの?」

 

 「泊まりに行きたいな」


 「どこへ?」


 「箱根の温泉宿がいいな。そんなに遠くないし」


 「いいね、それ」


 ネットで箱根の温泉宿を調べると、たくさんの旅館がある。

 夏樹は、強羅にある温泉旅館を選んだ。


 (たまにはいいよね)



***


 

 芦ノ湖で遊覧船に乗る。


 強羅の大涌谷を登って温泉たまごを食べ、箱根を満喫する。


 強羅の温泉宿に入ると、豪華なつくりに圧倒される。


 「夏樹、凄いねここ。高そうだね」


 「カードで支払っちゃったから、いくらだか忘れた」


 「えっ、それは悪いよ。割り勘にしようよ」


 「いくらだか忘れちゃったから、いいよ」


 唯は、申し訳ないなと思いつつも夏樹の厚意に甘えた。


 予約していた部屋へ行くと、広い畳の部屋で窓際にはリラックス出来そうな椅子とテーブルがあった。

 

 「唯、食事の前に先にお風呂に入ろうよ。露天風呂があって、泉質も良いらしいよ」


 「そうだね」

 

 この旅館では何もかもに驚かされる。

 白濁した温泉。硫黄臭がする。

 屋内も露天も綺麗で、手入れが行き届いている。特に露天はライトアップされており、風情がある。


 「夏樹、背中流そうか?」


 夏樹はその言葉にドキっとした。


 (背中流してもらうだけだからいいかな。やましいことは何も...)


 唯はフェイスタオルにボディソープをつけて夏樹の体に触れる。


 (うっ!)


 夏樹の体はビクッと震える。


 「嫌?」


 唯は残念そうに呟く。


 「い、嫌じゃないよ」


 夏樹の声は上擦る。

 

 唯は背中を流し続ける。


 (可愛い夏樹)


 唯は夏樹の反応を楽しむ。


 「夏樹、私の背中も流して」


 「い、いいよ」


 夏樹の手が震える。


 唯は夏樹と違って、余裕そうに背中を流してもらう。

 

 「ありがとう夏樹。気持ちよかったよ」

 

 (どういう意味の気持ちの良さ?)


 唯と夏樹は露天の湯船に浸かった。


 余裕そうな唯、余裕のない夏樹。

 

 (私は唯に振り回されてばかりいる。唯はこんなキャラだったっけ?)


 夏樹は唯との関わりについて考えてみた。


 


 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る