2.唯の悲しそうな顔

 れんが4歳の時、急に蓮の姿を見なくなった。

 唯に理由は聞けなかったが、唯は元気がなかった。時々、蓮は週末お泊まりに唯の自宅へ来ていた。

 あおいの物心がつく前の事だった。


 ある日の朝、夏樹は14階のエレベーターの前で唯と偶然出会う。葵は幼稚園のスモッグを来ており、働く親のために預けられる時間が延長される、延長保育を受けている。

 唯は私服、夏樹はスーツだ。


 「蓮君元気ですか?」

 

 と夏樹が尋ねると、


 「うん、元気だよ」


 オウム返しで帰ってくる。

 

 「葵、蓮君のお母さんだよ」


 と葵に言うと、


 「蓮君って誰?葵知らないよ」


 と残酷な言葉が返ってくる。

 夏樹は取り繕うと思えば思うほど、空回りをしている。

 

 「蓮はね、義実家に預けているの」


 唯は夏樹の顔を見て呟いた。

 悲しそうな顔をしていた。


 夏樹は唯が何故そんな事になっているのか聞きたかったが、ぐっとこらえた。

 秘密は話してくれるのを待つ、そうしないと関係は崩れてしまうだろうと夏樹は思った。


 「またケーキ買って二人で紅茶飲みたいな」


 夏樹は唯に声をかけたが、唯は何も言わなかった。



 

***


 金曜日の夜八時頃。夏樹が仕事から帰宅する頃だった。

 かなりの大雨で雷も鳴っていた。

 夏樹がエレベーターで14階に上がると、そこには唯が立っていた。


 「唯...、お買い物?酷い雨だから足元に気をつけて...。」


 唯は夏樹をじっと見た。唯は何だかぼーっとしている。

 夏樹の声は上擦っていた。


 「今日は忙しい?」


 唯は夏樹に問いかけた。

 

 「ううん。今日は夫が葵と一緒に実家へ帰っているから。金曜日は私を休ませたいんだって。」


 「ハーブティーがあるから、持っていってもいい?紅茶だと、夜に目が冴えるから」


 「いいよ。私はケーキ買ってくる」


 夏樹は大きな傘をさして近所のショッピングモールへ向かった。


 『唯と話が出来る。ここまで待ち続けたんだ。この機会を逃すものか』


 夏樹はテンションが上がっていた。


 

 夏樹はロールケーキを買ってきた。

 ロールケーキを包丁で切り、ハーブティーをティーポッドからカップへ入れた。


 「夏樹、ありがとうね」


 ソファに座った二人は、テーブルにあるロールケーキを食べ、ハーブティーを飲んだ。


 「唯、久し振りだね、こういうの」


 「うん。またこういう関係に戻れるかな?」


 「戻れるよ。唯さえ良ければ、金曜日にお茶飲んだり外で食事取ったりしようよ」


 やはり、夏樹の声が上擦る。夏樹は一定の状況下におかれると話し方が変化するようだ。


 「夏樹...」


 唯はハーブティーを飲んでからこう言った。


 「夏樹の私に対する気持ちには、ずっと前から気付いていたよ」


 夏樹は食べているロールケーキを皿へ落とした。


 「何を..言っているのかわからないよ」


 夏樹は知らないフリをしようとしたが、声がまた上擦る。こんなのバレバレだ。


 「手を触ってもいい?」


 夏樹は拒否しようとしたが、体が言うことを利かない。


 「私はこういう、弱みに漬け込むのはあまり好きじゃないから...」


 「私は、蓮を産んでから夜の営みが全くないの」


 夏樹は言葉では拒否しているが、本能では唯を求めている。この流れはそういう物だ。そして、唯は慰められたがっている。

 でも一度でも慰めてしまったら、元の関係には戻れなくなる。

 

 欲望に忠実になるか理性でやり過ごすかで、唯との今後の関係が変わってくる。

 

 『私はどうしたいんだ...』

 

 

 

 

 

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