第91話
「……何とか切り抜けたか」
イグラシオは嘆息し、振り返ると、精鋭を集めたはずの自慢のランス部隊が壊滅しているのを見た。立っている者は誰一人としていなかった。
「たった二人の女相手にこのザマか」
この戦、正面から戦っていればローランドは負けていたかもしれない。そして、か弱い王女ですら王族の誇りを持ち多勢の騎士に向かって立ち向かうその姿……本来勝つべきはどちらの国であろうか。
ローランド国王とハイランドの王族……比べるまでもない。
うっすらとイグラシオはそんな事を考えていた。
その時である。イグラシオの上空を急に影が覆った。はっとして上を見上げると、そこには自分に斬りかかってくる人影。
「なっ!?」
咄嗟に右手の剣を上空に持ち上げ、その剣を受ける。
その瞬間、自らの腕に信じられない圧力がかかり、片手では堪え切れずに彼は地面に叩きつけられる。
そして、倒れた彼の前に一人の男が立っていた。
イグラシオはその男を見て歯が震えるかのような恐怖心を感じた。
銀髪の、一瞬性別を見誤るかのような美青年。
かつては〝銀髪の戦鬼〟と呼ばれ、今では〝竜騎将〟という異名を持ち、先程僅か数時間で西部戦線の将軍を討ち取った、ローランドが最も恐れている男だ。
「おのれ……ジュノーン!」
イグラシオは左手首の外れた関節をはめ直して立ち上がった。
その時、彼は自身の目を疑い、驚愕する。目の前には異形の生き物がいたのだ。
「な……んだ、それ、は……?」
銀髪の美青年の後ろには信じられないほど巨大で邪悪な、それこそ童話でしか見た事のない生き物がジュノーンの後方でイグラシオをのぞきこんでいたのだ。
その赤く黒い鱗で覆われた巨大な生き物は、金色の鋭い瞳でイグラシオを射抜いている。そして、威嚇するようにその大きな翼を広げると、イグラシオに向かって咆哮を浴びせた。
この世のものと思えぬ鳴き声が陣営に響き渡り、イグラシオは先日のバーラットと同様、腰をすとんと落とした。
「ま、まさか……こんな……どうやって……」
体を抑えきれないほど震わせつつも、イグラシオは言葉を必死で探していた。彼は歴戦の勇者であるが、目の前の恐怖は想像を超えていた。
戦で恐怖など感じたことはない。だが、目の前の恐怖の象徴たる生物は、彼の経歴も誇りも消し飛ばした。
(こんな化け物と我々はやり合おうとしていたというのか……!)
この瞬間、イグラシオの戦意は完全に挫けた。落とした剣を拾おうとせず、彼は両手を挙げた。
「……投降する。どうか、生きている部下も殺さないでやってほしい」
ジュノーンは何も言わずに剣を引いて背を向けた。
同時にラーガ直属の騎士団が援軍として到着し、イグラシオはその場で捕縛され、奇襲は失敗に終わった。
◇◇◇
「リーシャ、大丈夫か」
倒れていたリーシャを抱きかかえ、頬を撫でる。
リーシャはゆっくりと瞳を開けた。
「えっ……あれ? ジュノーン? どうしてここにいるんですか?」
彼女は視界に映った愛すべき人物に、目をぱちくりさせる。
「上空から見ていて、医療部隊の方で陣形が乱れていたからな……慌ててきたんだ。無事でよかった」
青髪の王女はその声を聞くと、思わず涙が溢れてきた。それを隠すように、彼の首に腕を回して抱きつく。
「怖かった、です。もう、会えないかと思いました」
「よく頑張ったな。お前が頑張ったから、医療部隊も怪我人も無事だった。凄い王女様だ」
ジュノーンは子供をあやすように、彼女の髪を撫でた。
先程までの勇敢さは消え、青髪の王女は彼の胸の中で泣きついた。はじめて経験する戦争の恐怖。死への恐怖。そんなものが溢れ出たのだ。
上空からでもリーシャが懸命に戦っていたのは見て取れた。そして、彼女のその努力が医療部隊と怪我人を救ったのである。
「もう自分の足で立てるか?」
彼女はこくりとうなずき、ジュノーンは彼女を地面に降ろした。
彼とてもっとリーシャと過ごしてやりたかったが、そういうわけにもいかない。
まだ戦争は終わっていないのだ。そして、この戦争のキーマンとも言うべきジュノーンが、ゆっくりしていて良いわけがない。
次に、ジュノーンは意識を失って倒れていたヴェーダを抱きかかえた。彼女はまだ目を覚ましておらず、反応がない。
「リーシャ、ヴェーダと一緒に医療部隊に戻って安静にしてろ。今馬車を呼ぶ」
「え? でも、ジュノーンは?」
「俺は今からもう一度前線に戻る」
「そっか……そうですよね」
しょんぼりとするリーシャを見て、ジュノーンはにやりと笑って彼女の髪を撫でる。
「安心しろ、リーシャ。この戦は、もうすぐ終わる。すぐに会えるさ」
「え?」
この半日後、ジュノーンの予言通りに戦は終わることになる。
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