第84話

 ローランド軍西部戦線の老将軍ウォーレンスは、茫然と戦場を眺めていた。

 先程までこちらの思い描いた絵図の通りに戦いが進められていた。それは間違いないはずだった。しかし、たった一騎の竜騎士の登場で、彼が作り上げた絵図はすぐさままだら模様の混とんとしたものへと変わりつつあった。

 そこで繰り広げられていたのは、彼が知る戦とは全く異なっていた。

 冒険者であれば、時に怪鳥や鳥獣と戦うこともあるので、ある程度は対空戦も心得ているだろう。しかし、こといくさに於いては、兵士達は空からの攻撃には慣れていない。しかも、ましてや見るのも初めてな竜である。心得があるものなどいなかっただろう。

 騎士や兵士も狩りに興じて鳥や空飛ぶものを射る習慣もあったものの、それは所詮鳥だ。竜ではない。誰しも伝説と思われていた生き物と対峙するとは夢にも思っておらず、ただただ軍は混乱した。


「早く〝ブラッドレイン〟を装填しろ! あの化け物を打ち落とすのだ!」


 ローランド軍西部戦線の老将軍ウォーレンスは天幕の中で喚き散らした。

 しかし、千もの矢を装填するのは簡単ではない。そして、もともと最初の矢の合戦をこの〝ブラッドレイン〟に任せる事になっていたので、ローランド軍は極端に弓兵が少ないのだ。竜騎士に対処できる者がいない。弓は好んで持っている者が使う程度だった故、歩兵隊にも戦車部隊を援護に行ける者はいなかったのだ。今はこの〝ブラッドレイン〟に任せる他ないのである。 

 否、行けたとしても誰も行かなかったであろう。

 火竜の猛攻はそれすらも許さなかったのだ。誰が進んで伝説上の生き物と戦いたがるだろうか。

 そして、西部戦線ローランド軍、ウォーレンスの居る天幕に、血相を変えた伝令が駆け込んできた。


「ウォ、ウォーレンス様ッ!」

「なんだ、この非常時に!」


 ウォーレンスは苛立たし気に応える。


「戦車部隊を殲滅した化け物が……化け物がこちらに……!」

「な……何だとぉッ!」


 もはや喚く余裕もなく、ウォーレンス将軍は絶句した。その次の瞬間、天幕と程近い〝ブラッドレイン〟が設置してある場所から悲鳴と爆発音が響いて火柱が上がった。

 ジュノーンは先のバーラッド部隊への射撃により〝ブラッドレイン〟の設置場所を割り出し、戦車部隊を殲滅した後に即座にそこへ向かっていたのだ。

 一万の肉壁など、空を駆る〝竜騎将〟ジュノーンにとっては何の障害にもならない。

 肉壁の上を駆け、上空から火竜の息吹を噴きかける。それだけで歩兵は隊列を崩して逃げまどい、伝達機能も麻痺して一気に統制を失くした。西部戦線のローランド軍歩兵・騎馬隊は今や数だけある烏合の衆になり果てていたのである。

 そうした経緯を経て、何の苦労もなく〝ブラッドレイン〟まで辿り着いたジュノーンは、火竜によりそれを焼き払わせたのである。


「ウォーレンス様、退却の準備を!」

「ふ、ふざけるなぁ!」


 ウォーレンスは叫んだ。

 ウォーレンス将軍といえば、ラーガがローランドにとって〝鉄壁〟だったように、ウォーレンスもハイランドにとっては〝鉄壁〟と言われた男だった。

 彼がハイランド=ローランド国境の砦に付属して今年で十五年になるが、彼がハイランド軍の侵入を許したのは、半年前の第一次ディアナ平原の戦いのフリードリヒ王本体のみだった。

 その〝鉄壁〟と称された男が、今回総大将の座を将軍ヘルメスに譲り、そして半年前にはなかった新兵器まで導入した。それにも関わらず、僅か数時間で退却を迫られるとはどういう事か。納得がいくわけがなかった。

 彼が退却する事とは、即ち西部戦線の敗退を意味する。つい数刻前まで圧倒的優位に運んでいたにも関わらず、だ。


「だったら逃げなくても良いぞ」


 天幕の入り口から声がしたかと思うと、いきなり天幕が黒い炎に覆われ、燃え盛った。

 燃え盛る天幕の入り口には、左手に剣、そして右手には黒い炎を盛らせた男の姿があった。


「き、貴様は……〝黒き炎使い〟! まさか、貴様があの化け物を⁉」

「久しいな、ウォーレンス。半年前、誰かさんがここを突破されそうになって助けた時以来か」


 ジュノーンは冷酷な笑みを浮かべて鼻で笑った。

 半年前の戦にてウォーレンスがフリードリヒ大王の隊に国境を突破されそうになった時、ジュノーンが急襲して危機を救ったのだ。


「黙れぇ! この裏切り者めが! ローランド人の恥さらしめ!」

「好きなように言え。俺は最初からローランド人である事を誇りになど思ったことはない」


 ジュノーンの両親を奪った悪しき国……それが彼にとってのローランドの評価だった。従っていたのは、抗う術がなかったからだ。

 だが、今は違う。彼には生きる目的と目標ができたのだ。

 ジュノーンの後方、即ち〝ブラッドレイン〟設置場所では再び炎が上がると共に、竜の咆哮が響いた。


「俺はローランド人である事を捨てた……ハイランドの〝竜騎将〟ジュノーンさ」


 彼の紅い瞳が切なく光り、銀色の髪が風に靡く。


「黙れぇ、小童こわっぱが! 化物を置いて一人で乗り込んだことを後悔するがいい! この場で斬り捨ててくれるわぁ!」


 天幕の中にいた騎士がそれぞれ剣や戦斧を構え、ウォーレンスの指示と共に斬りかかった。

 最初に斬りかかったのは三人の騎士だった。

 ジュノーンはまずは右手の黒炎を手前にいた斧騎士に投げつけた。瞬く間に黒い炎に包まれた斧騎士は転がり回るが、ジュノーンをそれを気にすることなく左手の剣で残りの二人を斬る。

 瞬殺であった。

 続く騎士には攻める隙を与えずに、ジュノーンの方から騎士達の中に飛び込み剣で一閃する。血しぶきが一気に上がり、なぜ自分が息絶えたのかもわからない騎士も多いだろう。

 音速を超える様な剣技にローランドの騎士の屍を一瞬で積み重なっていった。ある者は剣で、ある者は黒炎で天幕の中にいたウォーレンスの護衛騎士二十名は一瞬のうちに絶命させられたのである。

 鬼神のごとき戦いぶりに、ウォーレンスは言葉を無くす。

 

(おのれ……これが〝黒き炎使い〟の実力か)


 老将軍は呻いた。

 味方にいた時は心強かったが、敵になった途端ここまで恐ろしい者となるとは思ってもいなかったのだ。


「後はあんただけだな、ウォーレンス。投降するか?」


 ジュノーンは嘲笑を浮かべて訊いた。彼はプライドの高い老将が投降などするはずがないと知っているのだ。


「ふざけるなぁ、小童が! 貴様などわし一人で十分じゃあ!」


 ウォーレンスは自らの大剣を抜き放ち、ジュノーンに斬りかかった。

 だが、ジュノーンに接触するかと思われた瞬間……何故か、天幕の天井が見えていた。既に彼の首は胴体から離れ、宙を舞っていたのである。

 ごとり、とウォーレンスの首が地面に落ちた。


「……なんだって?」


 苦渋に塗れたその首は、勿論ジュノーンの問いには何も答えはしなかった。

 こうして第二次ディアナ平原の戦いは、開戦僅か三時間で大きな変化を迎えた。

 まだ兵士を八千以上残しているにも関わらず、西部戦線将軍ウォーレンスは討ち死ぬ事となったのだ。


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