第80話
「くっ……おのれ、ジュノーンめ。やはりあの時殺しておくべきだったわ」
会議が終わり、一人になったマフバルは、血を吐くような思いで呟いた。
その時である。マフバルの背後に突如として影が現れた。
『大変そうだな、マフバルよ』
その影は唐突に声を発した。まるでその声は心臓と頭の両方に響くように聞こえてくる。だが、彼以外にはその声を聞き取れる者はいない。
マフバルが振り向くと、その影より一人の司祭風の男が現れた。全身を黒いローブと装飾品に覆われており、暗黒司祭という言葉が相応しい人物であった。顔色は青白く、生気を感じない。
「あ、アンデル様……!」
宰相マフバルは慌てて平伏し、その男に敬意を示した。
「如何なさいましたか、アンデル様。大司教の貴方様がこの様な辺境になど……」
「なに、少し風向きの流れの変化をここハイランド=ローランド地方から感じたのでな。光の精霊力がこの地方をもとに世界に強まったのだ。来てみれば、案の定この騒動だ」
アンデルと呼ばれた男はくっくと喉の奥で笑い、嗤笑を浮かべた。
この男は、闇の神を信仰する〝密儀教〟最高位にあたる大司教である。
ローランド帝国宰相・マフバルは〝密儀教〟の信者であったのだ。宰相は過剰に課した税の一部をこの暗黒なる宗教に献上していたのである。
「ははぁっ……! 大変申し訳ございません!」
マフバルは頭を下げた。
言葉の意味はわかっていなかったが、自らが咎められているように感じたのだ。
だが、闇の司祭たるこの男にその意思はなかった。ただ、彼の持つ雰囲気が人を無意識のうちに平服させるのだ。
「汝の読みは正しい。ジュノーンという男はリーシャ王女と共に国境を抜け、ハイランドに入った。そして、ハイランドにて光の聖櫃を手に入れた様だ。今は総勢三万の兵を率いてディアナ平原に向かっておるわ」
「な、なんと……!」
どの様にしてこの闇の導師がその事実を知ったかはわからなかったが、マフバルはその男の言葉を信じた。
この男には自らの目が届かぬ場所でも水晶に映す力がある。全てを映せるほど万能ではない様だが、彼がわざわざ辺境国の宰相にそれを教えに来たのだから、嘘ではあるまい。
「で、ですが……どうやって? 我々の包囲網に無駄はなかったはず……」
マフバルは自らの持つ疑問を口に出した。
「〝帰らずの森〟を抜けたのであろう。リーシャ王女程の聖魔法の力を以てすれば、結界を解く事など容易。リーシャ王女がマルファ=ミルフィリアの末裔だと知っていれば儂も手を打っておいたのだがな」
他人事のように闇の大司教はくっくと笑った。
それはまるで、予想外の事実に彼自身が驚きそれを楽しんでいる様にも思えた。
「リーシャ王女がマルファ=ミルフィリアの末裔⁉ それは誠ですか⁉」
マフバルは驚きを隠せなかった。
まさかそんな重要人物──闇の神陣営にとってはハイランド王女ということ以上に──が自分たちの手の内にあったとは予想外だったのだ。だとすれば、余計に逃がしてしまった事が悔やまれた。
この闇の導師はマルファ=ミルフィリアの末裔を探し続けていたのである。もし王女を捕縛した際にこの導師にそれを伝えていたならば、〝密儀教〟内でのマフバルは確固たるものになっていただろう。
「うむ。今の世で唯一の五大使徒の末裔だ。ハイランド地方にマルファ神殿があることからこちらの方にいるとは思っていたが……」
まさか王女だったとはな、と暗黒大司教は声を低くして笑う。
そして、表情を引き締めるとローランド帝国宰相をじっと見据えた。
「マフバルよ……なんとしてもハイランド王女を捕らえよ。汝のこれまでの献上金、それに加えて〝密儀教〟の地下布教は誠に素晴らしいものであった。汝の御陰でローランド地方の信者は相当数増えている事もわかっている。今回の事を乗り越え、リーシャ王女の身柄を確保出来たならば……汝にも然るべき地位が待っていよう」
「ははぁっ! 必ずや闇の神〝メルフィス〟の復活に貢献してみせましょう」
マフバルは国王にさえ見せた事のない敬意を示し、改めて闇の導師に平服して見せた。
彼にとっては、国王などよりも遥かに上に立つ男なのだ。
「良い返事だ。汝にこれを与える……活用するが良い」
アンデルは闇の中から黒い装飾を施された杖を取り出すと、マフバルに渡した。
「これは……?」
「〝妖魔の杖〟だ。闇の神のしもべを召喚する事ができる。もし、身に危険を感じたら使うが良い」
「ありがとうございます。必ずや結果を残してみせましょう」
「期待しているぞ」
大司教はそういうと、ふっとまるで元々そこに存在しなかったように消えた。
先程までこの空間にあった邪悪なる空気も消え、マフバルはほっと安堵の息を吐く。アンデルがこうして現れた時は、彼の緊張感も増すのである。
ただ、彼から得られた情報はとても有用だった。
ハイランド軍の総数三万というと、残りの国境駐屯兵と同数である。ローランドは兵器開発も進めており、単純な三万対三万の衝突であればローランドに旗は上がるだろう。
だが、ハイランドとて総力戦、謂わば死兵と化して挑んでくる上に、戦闘能力の未知数な竜騎士までいるのは間違いないだろう。
かといって、今更ケシャーナ朝討伐に向けて南下させた部隊を呼び戻しても間に合わない。ローランドとしても何としてでも抑え込まなければならない戦だ。
「これ以上邪魔をさせてなるものか……! ジュノーン=バーンシュタインよ! 今度こそ我が手で貴様を葬ってくれる!」
アンデルは杖を握り締め、虚空を睨みつけてそう誓った。
彼の人生にとっても、やはりジュノーンは邪魔でしかない存在なのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます