第57話 威圧
「ジュノーン……! 貴様、本当に……!」
フリードリヒ王がそう呟くと、ジュノーンは恭しく頭を下げた。
全身泥や煤だらけで、鎧も溶けてボロボロだ。その美しい顔も黒く汚れてしまっており、先週に王宮内を発った時とは印象が異なる。しかし、そこに居たのは、確かに先週国王自身が無理難題を課したジュノーン=バーンシュタインその人であった。
国王はわなわなと震え上がり、そして同時に体が高揚していくのを感じた。
何代も前に消え去った竜騎士が、今ここに蘇ったことへの興奮を隠せなかったのだ。
「ジュノーン=バーンシュタイン、使命を完遂し、ここに帰還致しました。これは私の竜であり、城の者への敵意はありません。皆に武器を下げさせて頂けませんか? 竜が勘違いし、誤って攻撃してしまうかもしれません」
右手を胸に当て、もう一度頭を下げる。
フリードリヒはそれに応え、右手で兵達に武器を下げる様指示した。
兵達は迷い迷いではあるが、武器を収めた。
「まさか……本当に竜を従えてきたとはな。私とて信じられん……それも、あの火竜を。我が父が今この場にいたら、逃げまどっていたかもしれぬな」
もし、この恐ろしい竜に攻撃を仕掛けられたら、誰もが武器を捨て逃げ惑うだろう。
今逃げずに留まっているだけでもハイランドの騎士・兵士達は強い精神力を持っていた。無論、火竜を前にして逃げないのは、その火竜が攻撃を仕掛けてこない事と、捕らわれたリーシャ王女を救ったジュノーンの姿があったから、というのもあるのであろうが。
「従えたわけではありません。彼は私の友であり、互いに認め合った仲間です。我々に主従関係というものはありません」
「そうか、仲間、か……」
人間より遙かに力を越えた者を従えようというその発想があったからこそ竜騎士がいなくなったのかもしれんな、と国王は心中呟いた。
「仲間だと⁉ そんな物騒な仲間がどこにいる!」
そう言って前に出てきたのは、〝疾風迅雷〟バーラッドである。ジュノーンの台頭によりハイランドの〝暫定〟的な国王の右腕と化してしまった男、とも言えるだろう。
「この竜が本当に我々を攻撃しないという保証はどこにあるのだ? 私は貴様がローランドの回し者ではないとまだ信じていないのだぞ! 一体どんな汚い手を使ったのだ! この様な不吉な生物など……しかも一番凶悪な火竜ではないか! 我らを喰らわせる契約でも交わしたか!」
バーラッドはジュノーンに詰めより、挑みかかるように言った。
彼がジュノーンに対して良い気がしないのは尤もだった。ジュノーンはハイランド人でなく、ほんの数日前まで敵国ローランドに所属し、ハイランドに何度も畏怖を与えた武将。彼に殺されたバーラッドの部下や友も、一人や二人ではない。その男がいきなり亡命してきたかと思えば、遙か過去にハイランドの伝説と化した竜騎士として戻ってきたのである。
しかも、その人物は彼が密かに将来妻として迎える予定であったリーシャ王女が惚れ込んでいるとの噂もある。次期国王の座を狙っていたバーラッドとしては、穏やかな話ではない。下手をすれば次期国王の座だけでなく、ハイランド国王の右手の地位も失いつつあるのだ。
ジュノーンは〝疾風迅雷〟バーラッドを横目で見ると、火竜をちらりと見た。そして、すっと耳を塞ぐ。
すると、火竜は突如バーラッドの目前まで首を運んで──
「──────────!」
竜の咆哮を浴びせた。
聞いた事もないような凶悪な鳴き声が城内、城外に響き渡った。おそらく、街の方までも聞こえているのだろう。至るところで悲鳴が上がっていた。中庭にいたものは突風と轟音に襲われた気分になり、兵士達は慌てて耳を防いで地面に伏せる。
そして、〝疾風迅雷〟のバーラッドは、あまりの驚きと恐怖で腰を抜かせてペタンと座り込んでしまった。いきなりの竜の咆哮を目の前に、〝疾風迅雷〟の異名は何の意味もなさなかったのだ。
「失礼、バーラッド卿。この竜は頭が良く、言葉を理解できるんでな。どうやら彼はあなたの言葉に多少苛立った様だ。後で言って聞かせるので、このご無礼をどうかお許し頂きたい」
彼はバーラッドを見下ろし、謝る気など全くない様子で詫びた。これは、完全なるジュノーンからの圧力であった。『どちらが上か弁えろ』と、彼は無言で伝えたのだ。
無論、それに気付かぬ程バーラッドも愚かではない。顔を真っ赤にしながらも、近くにいた兵士二人に抱えられて、その場を去っていく。
バーラッドが運ばれたのを確認してから、フリードリヒ王は咳払いをした。
「やり過ぎだぞ、ジュノーン。それに、この城内の混乱、どうしてくれる」
国王は先程の咆哮で恐慌状態になりつつある城内を見回し、溜め息を吐いた。
「はっ。失礼致しました。何分、陛下に早くお見せしたかったが故に王宮内まで来ましたが、まさかここまで混乱させるとは思いも寄りませんでしたので」
しれっとジュノーンが言ったので、フリードリヒ王は引き攣った笑みを浮かべた。
(言いよるわ……この小僧めが)
そして、内心で毒づく。
ジュノーンの行動は、明らかに混乱させ見せつける事を目的としていた。且つ竜を使えば城内の中庭まで簡単に入り、いつでも城を陥落させられるぞ、と暗に示したのだ。
誰がこの国で強者か、それを彼は誇示してみせたのである。
「貴公が課題を成した事、この目でしかと見させてもらった。ご苦労である。だが……いつまでもここにその竜を置かれておると、城内の混乱がいつまで経っても収まらぬ。巣に帰ってもらう事はできぬか? いくらハイランドが過去は竜騎士部隊を抱えていたとは言え、我らが生まれる遙か前の話……皆、実際に竜など見たことがないのだ」
「承知致しました」
ジュノーンが片膝を立てて座りそう返事をすると、火竜はその大きな翼を羽ばたかせ、空中へと一瞬で舞い上がって北方の山へと帰った。
そこで、城内の至るところで安堵の声が上がったのだった。
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