第56話 火竜
馬を飛ばして王宮へと向かう〝賢王〟ことフリードリヒは、市街地を通ると、住人の混乱が見てとれた。
彼らは王宮とは逆の方向へと悲鳴を挙げて殺到していたのだ。
だが、火竜が攻めているにしては、街や城に火の手が上がっていない。
(ただ気まぐれで飛んできただけなのか?)
フリードリヒ王はその様な希望的観測をしてしまう。
国王は混乱する人々を制し、近くにいる兵に避難経路を確保させながら、なるべく早く王宮へと向かった。
やっとの思いで王宮に辿り着くと、そこは怯えながらも城内を見つめる兵士ばかりだった。怯えてはいるものの、逃げようとする兵士はいない。何だか何か不思議な空気であった。火竜が攻めて来ようものなら、逃げてもいいはずである。
「おい! 火竜はどうなった! もう飛び去ったか⁉」
国王はまず門兵に声をかけた。
いきなり国王に話しかけられ、門兵はびくっと肩を震わせたが、慌てて敬礼し、恐る恐る──それは門兵自身が自らの口から信じられない事を言っている事を自覚しているかのようだった──話した。
「その、火竜は王宮の中庭に居座っている模様です。私もまだ信じられませんが……王宮の中庭に降り立つのを見ました」
「な、なんだとぉ……⁉」
ますますフリードリヒ王は混乱した。
(王宮の中庭まで入っておきながら、炎も吐かずに待機? 火竜は一体何を考えているのだ!)
国王は心中で怒鳴った。
先代国王の手記を見る限り、火竜は気性も荒く人を見る度に攻撃してくるとの記載されていたのだ。先代国王の手記には、それ以外にも火竜が如何に残忍で恐ろしいかが事細かに記載されていた。あまりにそれと違い過ぎるではないか、と思うのだ。
だが、実際に火竜はハイランドに飛来し、王宮の中庭で大人しくしているのだと言う。その事実は疑いようがない。
「ええい、見てみぬ事には何とも言えぬ! どけい!」
フリードリヒ王は道を開けさせて、慌てて王宮内に入る。
そして、中庭に出てみると──そこはあったのは、ある種異質な光景だった。
まず目に入ったのは、その問題の火竜だ。
フリードリヒ王とて竜を見るのは初めてだ。そのあまりの大きさとおぞましさに、勇猛果敢なフリードリヒ王と言えども固唾を飲み、全身に冷や汗が伝う。
火竜は赤い鱗を纏い、金色の鋭い瞳で人間を見下ろしていた。一対の蝙蝠の様な翼は威嚇する様に広げられ、ずしりと両前足の鋭い鉤爪が中庭の芝生に突き刺さっている。
そして圧倒すべくはその大きさである。全高はおよそ三メルト、全幅はおよそ八メルト、全長に至っては十メルト以上はあると思われた。
そして、その火竜から兵は十分な距離を取りつつ剣を抜いているものの、そのあまりの恐怖から腰が引け、剣を持つ手がふるえていた。
「お待ちしておりましたよ、陛下」
そこで、声がかけられた。
あまりの火竜の大きさとその異常な存在感に目を奪われていたが、火竜にもたれ掛かるようにして立っていた男がいたのだ。
その男は銀色の髪を持ち、一瞬女かと見間違えるほどの中性的な顔立ちをした美しい青年であった。マントは焼け焦げ形を変えてしまっているが、その者に国王は見覚えがあった。
〝黒き炎使い〟ことジュノーン=バーンシュタインだ。
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