第47話 学習

「今回は私の我儘で危ない事に付き合わせてしまい、申し訳ありませんでした。ヴェーダがいなかったら、どうなっていたかわかりません」


 村を出てすぐにところで、まずリーシャはヴェーダに謝った。

 ただでさえ急がなければならなかったところで、予想外に時間を喰ってしまった。既に予定到着日時から二日も過ぎてしまっている。

 それに、今回の戦いはリーシャにとっての初めての実戦だ。初めてどす黒い感情を向けてくる敵に向かって魔法を放ち、剣を振るった。幸い死者こそ出なかったが、中には致命傷を負わせてしまった人物もいた。

 あの時は村を助けたい一心で行動をしていたが、冷静に考えればとても危険な事だったと思えた。もし、相手の中にジュノーンの様な手練れがいれば、自分だけでなくヴェーダをも危険な目に遭わせていた可能性があるのだ。


「いいわよ、別に。私はあなたの護衛だから。それに、一目見てあいつらが弱い事もわかってたもの。もし手練れがいたら、その時点で身を潜める事を選んでいたわ」


 ヴェーダはそう言って馬をリーシャに寄せると、彼女の青髪をくしゃくしゃと撫でた。


「あ、ちょ……子供扱いはやめて下さいッ」


 青髪の王女はエルフ娘の手を払うと、乱された髪を整えてむすっとした顔をする。

 ヴェーダはそんな王女を見て、穏やかな笑みを浮かべるのだった。


「ところで、あの<聖弾ホーリー・バレット>には驚いたわ。それだけの攻撃魔法が使えるなら、ローランドに侵入した時も追手から逃げ切れたんじゃないかしら?」


 ヴェーダの言葉を受けて、リーシャは自らの手のひらを悩ましい表情で見た。

 確かに、自分の攻撃魔法は、数人がかりでは到底止められる様な代物ではないだろう。少なくとも、大の男の兵士三人を一瞬で片付けてしまったのだ。余程の手練れでない限り、リーシャを取り押さえる事は難しい。

 ただ、それに関してリーシャは、良い答えを持ち合わせていなかった。


「どうなんでしょう……? ローランドで捕縛された時は取り囲まれていましたし、兵の数も多かったです。逃げるのも難しかった様に思います」


 それに、とリーシャは続けた。


「あの時の私には戦うという選択肢がありませんでした」

「戦うという選択肢がなかった?」


 美しいエルフは首を傾げて訊いた。


「はい……私はこれまで、戦いを避けてきました。練習でも<聖弾ホーリー・バレット>を使った事がないぐらいで。本当に、人を傷つけるのが嫌だったんです」


 リーシャは眉根をきゅっと寄せて、辛そうな表情をした。

 彼女の中には、非暴力の正義というものがあった。もともとマルファ=ミルファリア神は非暴力を謳っており、争いを良しとしない。その為、聖魔法には攻撃魔法は殆どなく、力や魔法は自衛の為以外に用いてはならないとする教えがあるのだ。

 彼女の非暴力の精神は、マルファ=ミルファリア神の教義とも相性がよく、より強いものとなっていた。


「そうね、確かにあなたは昔からそうだったわ。夕飯にお肉を食べさせてあげようと思ってせっかく狩りで鹿を射たっていうのに、あなたは泣きながら私に怒ったもの」

「そ、それは……私が子供だったから、です」


 青髪の王女は顔を赤くして俯いた。

 当時はまだ幼く、生き物を殺すという事そのものが悪だと思っていた。自分も普段は肉を食べているくせに、目の前で動物が死に、それを食すという現実に耐えられなかったのだ。結局あの時は泣いて鹿に謝りながら鹿肉を食し、命の重みと食べ物の有難みを学んだのだった。

 ちなみに、ローランド領に侵入して敵に見つかった時も、リーシャが何の抵抗もせず捕まった事は、後の歴史書にも記されている。それほどまでに、リーシャ=ヴェーゼという少女は争い事が嫌いだったのである。

 彼女はその時、戦争でさえも片方が降伏して終わるのであれば、負けてしまえばいいと思っていたほどだったのだ。誰かが傷つくよりは良いと本気で思っていたのである。

 だが、そんなリーシャを変えた人物がいる。

 それがジュノーン=バーンシュタインという男だった。彼は自分の身を挺して、死を覚悟してでも戦ってリーシャを守り、そしてハイランドまで送り届けた。

 あの時リーシャは、命を張って戦ってでも守ろうとする者を初めて生で見たのだ。そして、この戦乱の地では、戦わなければ守れないものもあると知った。

 思えば、戦争が終わらないのも、どちらにも守らなければならないものがあるからこそだ。彼女はその時知識としてでなく初めて感情として理解できたのである。

 そして、リーシャがそれを感情として理解し、自らの力を戦いで使うと決意したのは、この脱走兵討伐の時ではないと後に彼女は語っている。彼女がそれを決意した時は、ローランドにいた頃まで時間を遡るのだと言う。

 リーシャ=ヴェーゼが力を用いる事を決断した時──それは、ジュノーン=バーンシュタインを助けに戻った時だ。あの時は上手くジュノーンを馬に乗せて戦場を脱出する事ができたが、それが叶わなければ彼女は聖魔法を用いて人を殺めてでも彼を助ける気でいたのだ。

 自分の大切なものを守る為には、手を血に染めねばならぬ時もある──リーシャは、彼の姿を見てそれを学んだ。そして、綺麗事だけでは世の中回らないという事も。

 だからこそ、彼女はこの脱走兵討伐の際にも、人を傷つける事への躊躇をしなかった。その覚悟は、既に一度持った事があるからだ。

 しかし、リーシャは同時にこうも思っていた。


『人を痛めつけた時の自らの心の痛みだけは絶対に忘れてはならない』


 人は、人を傷つける。時としては自らの大切なものの為に、人を殺める事もあるだろう。そしてその機会は、これからの戦乱の世に自分の力が必要となるのであれば、必ず訪れる。

 だからこそ、この痛みは絶対に忘れてはならない──彼女はこの時、そう自戒したのだと言う。

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