第42話 治安
ハイランド王国王女リーシャ=ヴェーゼが母のメアリー王妃から命を受け、王城を発ってから丸四日が経過していた。
ローランド帝国は未だリーシャを探し求めて国内を駆け回っているのか、帝国からの攻撃もなかった。今のところ、ハイランド王国の国情は落ち着きを見せていると言っても良いだろう。
しかし、リーシャとヴェーダがマルファ神殿へ向かう道中に目にしたものは、決してハイランドという国が良い状態ではないという事を嫌でも実感させられた。リーシャ達が経由地点として訪れた小さな村では、活気がなく、まるで死んだ様に絶望感に打ちひしがれていたのだ。
村人達に覇気がなく、またリーシャ自身身分を伏せていた事もあって、村人が彼らをもてなす事もなかった。
(変、ですね……?)
リーシャは村に着くなり、ふと何か違和感を覚えた。
ハイランド王国内村々では旅人を持て成す風習があったはずだ。他者を持て成している余裕もないという事だろうか。
そんな事を考えつつ、馬を馬舎に預けて、リーシャ達は食糧調達も兼ねて村を散策する事にした。
たが、村は閑散としており、まるで活気がない。ヴェーダなど、エルフの集落以下だ、と呆れている程だった。
「ねえ、ご老人。私達、食べ物を売っている店を探しているのだけれど」
ヴェーダが苛立ちながら近くにいた老いた村人に訊いた。
「ああ、悪いが、余所者に売る食べ物なんかないよ」
「なっ⁉ あなたね、ここにいるのが誰だかわかってるの?」
村人があまりに素っ気なく応えたので、美しいエルフは怒りを露わにしてリーシャの身分を明かそうとするが、リーシャは首を振り止めさせる。
「どうしてでしょう? 私達はマルファ神殿へ向かう最中で、食べ物がないと困ります。お金であれば持っているので、食べ物を売って頂けないでしょうか?」
リーシャは優しい口調で老人に訊いた。
「悪いが、金の問題じゃないんじゃ。儂等は自分の食い物を確保するだけで精一杯……あんた等みたいな美人さんにケチな真似したくないんだが、このままじゃ王国にも納税できない位さ」
老人はリーシャとヴェーダを見て言った。
リーシャはその老人の言葉に疑問を覚える。ハイランド王国の納税はそこまで厳しくはない。悪天候や不作が続けばその際は考慮などもする様に通達が出されており、各領主もそれには従っているはずなのである。
「どうしてですか? ここ数か月は天候も落ち着いていますし、この地方が不作だと言う事も聞いてません」
「ああ、そうさ。普通なら何の苦労もなく、あんたらを持て成せるだけの作物はあったさ。だが、数か月前にハイランドの脱走兵どもが近くに住み着きやがって、儂等から作物を奪って行ったのじゃ……!」
「なっ……脱走兵が!? どうして領主に知らせに行かないのですか!」
リーシャは憤然として言った。
まさか自国の脱走兵が村人に対してそのような振る舞いをしているとは考えもしなかったからだ。
「知らせたかったさ! じゃが、奴らは街の子供達を人質に取っておる。もしそんなことしようものなら、殺されてしまう……儂の孫も捕らわれておるのだぞ!」
「そんな……!」
王女は老人の話を聞いて、唖然とする。
ハイランド王国の兵士は志が高く、民の為に戦っている勇敢な者達であると彼女は思っていた。しかし、現実はそうではなかった。自国の兵に野盗の様な事をしている者がいるのだ。
「外道ね……」
ヴェーダがぽつりとそう呟いていた。
「そんなっ……許せません。誇りあるハイランドの兵でありながら、山賊みたいな事をするなんて……!」
王女は怒りを隠さずにそう言った。
父が聞けば、即座に討伐部隊を差し向けるだろう。しかし、彼らには人質がいる。その状態では、国や領主に助けを求めたくとも求められないだろう。
「お嬢さんは、貴族か何かかい? 金髪の姉さんはエルフか……悪い事は言わん。早くここから立ち去りなさい」
老人は声を潜めて、急かす様に言う。
「どうして?」
金髪のエルフ娘が訊いた。
「おそらく今日、奴らはここに来る手筈になっていたはず。あんたらみたいな美人さんが奴らの手に落ちるなど、儂らは考えたくもないんじゃ……!」
老人は涙ながらに言う。
おそらく、何人かが見せしめとして殺されたか、辱められたのだろう。だからこそ村人は絶望し、ただ言う事を聞くしかないのだ。
人は圧倒的な恐怖を目にすると、反抗する意思を失い、希望を持たない。これも戦争が長引いている事から生じた事だ。
リーシャはこれまで人生の殆どを王宮と神殿で暮らしてきた。この様な惨状が国内にあったなど、話には聞いていたが実際に目で見る事はなかったのだ。
この村だけでなく、おそらくハイランドの中に無数にある小さな村では、ここと同じ様な状況下であるところが多いだろう。それも全て、戦争が長引いているが所以である。
「なるほど、わかりました。それなら都合が良いです」
「……都合が良い、と言いますと?」
「私達が脱走兵を説得します」
リーシャは表情を引き締めて、老人を見据えてはっきりと言った。
「ちょっと、何考えてるのよ! 今私達にそんな事をしている余裕はなくてよ?」
リーシャの驚くべく発言に、真っ先に異議を唱えたのはヴェーダだった。
そして、ヴェーダの異議が真っ当なものである事はリーシャ自身もわかっていた。相手の勢力も解らぬまま、こちらはたったの二人である。しかも、リーシャ自身は実戦経験がない。いくらヴェーダの精霊魔法があったとは言え、人数が多ければどうにもならないだろう。
しかし、リーシャとて高い魔力を持つ聖魔法の使い手だ。護身の魔法もしっかりと身に着けている。
「すみません、ヴェーダ。ですが、私はこのままこの村を見過ごして神殿に赴くなど、できそうにありません」
「でも、リーシャ! それなら領主に知らせるなりしたっていいはずよ。何もあなたが危険を冒す必要は──」
「もし、私に大きな使命があるとして……」
リーシャはヴェーダの言葉を遮って、彼女を見据えた。
「自国の村さえ救えない者に、大いなる闇から皆を守れると思いますか?」
王女の瞳には強い意思が宿っていた。
ここで立ち去って何が光の五大使徒の子孫だ、と彼女は思ったのだ。世界を救う、そんな大それた役目がもし自分にあるとするならば、こうして困っている人達を救う事も役目の一つであるはずだ。むしろ、この人達さえも救えないで何が世界の危機など救えるはずもないと考えるのだった。
ヴェーダはそんな彼女を見て小さく溜め息を吐いた。
「わかったわよ……私はあなたを護衛する役目であって、あなたに意見する立場じゃないものね。でも、危なくなったら逃げるわよ?」
ヴェーダの答えに、リーシャの表情がぱっと明るくなる。
そんな彼女を見て、ヴェーダはもう一度大きな溜め息を吐くのだった。
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